自分が座った目の前にジジとババが立ちやがったわけだが、始発なんだから一本遅らせれば座れるだろう?
てか、現に自分は一本遅らせて、この席を確保したわけだ。
譲れって言われたわけでもないし、譲って欲しそうにしているわけでも無いんだが、端から見るとやつはなぜ譲らんのだ?と思われるのが不愉快だ。
だから絶対に譲らない。
途中駅からジジババが乗ってきたら、そっちに譲ってやる。
同様に各停だったら余裕で座れるのに、あえて混んでいる特快なり急行に乗ってくるジジババもなんなんだろう?
そういうのに限って、変に譲ってやると最初の停車駅で降りたりして。
こっちは終点近くまで乗るってのに、早々に着席権を喪失するわけだ。
心が狭いのはわかってるが…
事前に聞いていた内容よりも酷かった。
第三者から見ればどっちもどっちとも言えず、若干女が分が悪い気がする。
しかし相手の男も断ち切ったり、突き放したりしなかったのも問題かと。
だが、知らなければ知らないで済んだ話だ。
話してくれたって事は脈有り…と言うか信頼されてる証拠なのかな。
心の奥底ではちょっとは期待していたのではないか、と疑いたくなってしまう自分が悲しい。
お互いに前に進むために今の関係に踏ん切りを付けると言ってくれた。
俺はそれを信じて待っている。
それでも、俺でダメなのなら諦めるしかないだろうが。
更に、理系男の大半は(女が希少なため)垣根が低いので、妥協相手となってしまうのも仕方がない。
理系男の多くがスピリチュアル的なもの、イオン発生器的なもの、その他そうした類のものの魅力を不可解に思い理解出来ない(故に詰まらない)のと同じように、文系女の多くは(文系なので)理系的なものの魅力がわからないし、当然ながらそこに注力している姿にときめこうはずもない。だったら、その分お洒落や社交に気を遣う文系男の方が良いのは当然だろう。
理系男の地位が上がる/上げるためには、何らかの理由で文系男が徹底的に没落する、理系男が理系男たる所以の研究活動を放棄し、徹底的にお洒落し遊ぶ、といった道が考えられる。それ以外の場合、文系男が没落せず、理系男が理系男であるままにプライマリになれるのは、(絶対数が釣り合っていないけど)理系女に対してじゃないかと思う。理系的なものの魅力がわかっていればこそ、それに没頭する姿にときめき、論理的であることに格好良さを感じるはず。
ま、あなたが理系的なままでいたいなら、「世の大半の女性」なんか気にしてないで、「世の大半の女性」から外れた、一見地味な理系女狙いなさいってこった。「世の大半の女性」があなたをセカンダリとみなすのと同じく、あなたにとっても「世の大半の女性」は、外見上は兎に角、本質的にはセカンダリだろうから。
http://anond.hatelabo.jp/20090613194853
女性は、旧帝大理系院生であることの価値を、あなた自身ほど理解しない。
よって、あなたは旧帝大理系院生などということを取っ払って、普通の「男性」として見られるわけなんですが、
その時に、恋愛スキル・ファッションなども含めた、一般的な意味での恋愛力で、平均を上回ってるなら普通にもてるかと。
「恋愛力は低いけど、何か自分の専門なんかがあるタイプで、合コンではもてないけど、付き合ってみるとまあ悪くはない」
男子の総称みたいなもので、別に理系だから即セカンダリってわけじゃないと思うけど。
基本的には、「いかにものモテな男子じゃなくても、いいやつはいるよ!」という形で視野を広げようという話なのでは。
まあ、その呼び方が気にくわないとか言う気持ちはわかるけど、「理系=モテスキルの平均値を取ると、ちょっと…」なのは増田も認めるとこなのでは。
なるほど。少し分かった。ありがとう。
でも、あなたが「出来ない奴に○○って言われたくねえ」と思ってるのと同様に
出来ない奴が下手って言う分には「出来ないくせに何言ってるの?w」と思えるし、上手な奴の下手って言葉は、まさしくその通りなので素直に受け止められる。
出来ない奴もまた「出来ないくせに何言ってるの?w」と言われたくないんだと思うんだよね。難しいね。
横だけど、元増田は元記事読む限り「友人のため」にやったんではないと思うので、最初のレスには微妙に勘違いがあると思うな。
NTR属性を公言する馬鹿の(こともあろうに)彼女のことが好きだった男の話だろ?
美談じゃないか。
当然擁護するに決まってるじゃないか。何を言ってますかね、この人は。
それこそ「女には子供を産んで、将来の労働者をつくるという大事な仕事」は適性のある女にだけ任せて、
結婚や育児に不向きな女性をこうした煩い事から解放すべきだろう。
男性誌のセックス特集「緊急アンケート!女の子はこんなセックスが好き」→売上増狙いの歪曲・捏造
男同士の猥談「女はこうすれば喜ぶ」→ブラフ、あるいは特殊な経験を一般化
性教育教材→「正しいセックス」を押し付けようとするイデオロギー
こうして人はセックスの喜びを他人と共有することは決してできない。
あえて茶化すが、確かにそれが一番ソラで書く自信が無い。
『■「痴漢で感じる女なんていない」という暴力』を読んで思い出した。
知り合いの女の子が昔、上司にレイプされて、そのままずるずるつきあってたことを。ハタからみて、事後正当化みたいなその流れがものすごく歯がゆかったことを。
それが「レイプされたが感じた」という話であるかないかはここでは問わない。だけど「受け入れた場合、その責任は受け入れた側にもある」みたいな負い目が彼女の生き方を狂わせたという意味では、オレも「レイプで感じる(受け入れる)人間なんていない」という類の言説は暴力だと思う。
だって「痴漢で感じる女なんていねーよ」という言説は、イコール「感じたら痴漢じゃねーだろw」という言説なのだから。「レイプを受け入れる女なんていねーよ」=「受け入れたらレイプじゃねーだろ」と同じく。
それは違うと思うが。自分は全然テレビ見ないが無欲ってわけでもなく、ほしい物はすぐ買うし、オナニー三昧な日々を送ってるし。