http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/324601/
これとか。
上司が怖い,読者が怖い,スポンサーも怖い,さらには取材先も怖い。改めて考えてみると,こうした構造のなかで私たちは仕事をしているのである。そこに身を置きながらも「真実をありのまま舌鋒鋭く」表現するのは,それなりに勇気のいることである。けれど,それに慄き怖れに身を委ねてしまえば,手放しの賞賛や腰が砕けた当たり障りのない論評しかできなくなってしまう。
でもそれでは読者や視聴者も飽きてしまうから,たまには何かを痛烈に批判したい。その,格好の標的になっているのが,とりあえず叩いてもどこからも文句がきそうにない犯罪者や大問題が露呈して立ち直れそうもない企業,さらには失言をしてしまった政治家ということになるのだろうか。昨今のテレビや新聞の報道をみていると,そんな「いじめ」にも似た傾向がどんどん強まっているような気がしてならない。
いやさ、フローリングなんてダサいと思うけどさ、「全く新しい何か」ってのはできんもんなのかなあと思って。
それができないんだったら細部まですでにある様式に完全に従った方がいいんじゃないかなと。
値段がかかろうが不便だろうが。
マジコンとかいうので家庭用ゲームが無くなってしまうとかいう意見をちょくちょく見かける。
実際の所は捕食獣と被捕食獣みたいなもので、ゲームがなくなればマジコンも意味がなくなるんだし、どっかでバランスが取れるんじゃないかとは思うが、それ以前に、質問がある。
食べ物の例を出して食べ物がなくなったら困るだろ、と言われたりもしてるが、ゲームは食べ物と違って生きていくのに必要なものじゃない。それに第一、無くなるなくなると言われているゲームって、有料の家庭用ゲームだろ。コンピューター利用のゲームに限っても無料のオンラインゲームのあるし、コンピューターを使わないゲームも一杯ある。で、そのなかでもし技術的・経済的理由(マジコンは製作可能かつ安い)によって有料家庭用ゲームが打撃を受けて、もし無くなったとして、だからなに?マジコンをつかって喜んでいる人達は、ゲームがなければ他の事をして時間つぶしをするだろう。思い入れのない人間に金を出せといっても無駄だ。興味のない人間に何かいうのではなくて、ゲームが無くなるのが嫌ならゲームに思い入れのある人間が金を出して支える、それしかないだろ。勿論、支えきれなくなったら、おわり、と。
question:1234699173
回答もコメントも、まさしく[5] まったく同意できないがてんこもりな質問…
人力検索なんだから
「「我こそは腐女子」という方に質問」なんて、”あなたの好みを教えてください”なんて質問じゃなくて
はてなの質が落ちたのか
質問者の質問に答えてるんだからそれでいい(正確な答えを求めているのではない)、って風潮のままなのか
まさか本気でそう信じ込んでいる人々なのか。
俺もPで、同じような事をいつも思ってるから気持ちはわかるけど、まぁ元増田はミスっただろ。
そのデザイナーの名前を出してしまったか、
そういったデザイナーを使う旨を代理店かクライアントにアピールしてしまって、
「だけどこういう人を使うとちょっとお金がかかります」って付け加えるのを忘れたんじゃねえの?
聞いてない金は払えない、って言われるわな。俺もいつも言われるよ。がんばれ。
http://anond.hatelabo.jp/20090221080414
ヨーロッパ風とかがださいってのには激同なんだけど
そもそも和室なら室だけじゃなく家全体を武家屋敷みたいにしないとつじつま合わんだろ。
ここまでくると、何を批判してるのかもはやわからんな。
フローリングにすればよいのか? しかしフローリングって日本のものじゃないよね。じゃあどこの? 北欧なの?
イギリスなの? アメリカなの? それをはっきりさせずにフローリングの部屋があってもつじつまあわんだろ。
つまり、君がいいたいことは「家たてるな、家に住むな」ってことか。
まあ標準語のベース江戸弁だし、その後のマイナーチェンジもかなりあったからねえ。
ただ古文→現代文ていうほどのでっかい規範チェンジはこれ以上起こしようのない部分ではあるんだよね。
カッチリとした国語がないっていうのは東浩紀なんかも7、8年前に言ってたなあ。阿部和重との対談で。
そういうの作っちゃえば勝ちかなみたいなこと言ってた。
でも夏目漱石の日本語も、いまどき通用しないよ、あれは。江戸っ子丸出しだし。
本当はもっとかっちりした標準日本語文法を小学校中学校で教えて、それで読み書きしながら、片方で個人的に自分の日本語を作らなきゃならないんだろうけどねえ。普段用口語とか書類用とかブログ用とか。
それなんか相手心の病気とかじゃない?
友人と雑談してて、恋愛の話になって、いろいろと彼女の話とか聞かされて、へーそんなこともあるんかと思って、親身になってアドバイスした。
後日、村上春樹の小説を読んだら、まったく同じストーリーだった。というか、恋愛以外の日常の雑談にもネタ元が。
こういう風に小説の話を自分の話として騙る人がいるというのは、オレにとっては驚き。本当に脳内乙ですよ。
ていうのはさ、元の記事の記者がどの程度知識があって言ってるのかわからんけど、明治以前て「日本語」というか「国語」ってのがなかったのよ。
みんな地方とか村とか階級とかでバラバラにしゃべってたっていうかさ。
で、欧米列強みたいな体制にしなきゃいかんと、そうなったとき、どの国でもやってたのは言語の統一+使いやすくしようってことなのね。言文一致とかいうけど。
これやると情報伝達のベース言語が日本中で統一されて、学問に参加できる人が増えたり法律とかもろもろの情報が日本中に伝達しやすくなるし、なによりも同じ言葉を共有してる俺たちって同じ日本人だよねー的な感覚が生まれて富国強兵に役立つと。「構成員が自分のこと国民だと思ってる集団」てのができるんだよね。こうしないと列強とやり合えないぜと。
で、じゃあそうやって国語以前の言語をカスタムして国語ってのを作らなきゃ!ってことでせっせと作ってたのが明治初期の小説家たちで、夏目漱石とか森鴎外ってのはその最終仕上げみたいなことをやったのさ。彼らは国の金でイギリスとかドイツに言ってたわけだけど、これってその辺ヨーロッパを参考に研究して来いよという部分でもある。森鴎外なんかは医学のこともあるんだけど、この時代、新しく作ってる言葉をどうやって自然科学の言葉として使えるようにするかってのも重要だったからさ。
ああ、分かる分かる。でも、○○風なら買う精神的にさもしい人たちが多いんだから、仕方ないよ。「これは家です」といって売るより、いいんじゃないの。まあ、さもしいけどねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20090221042937
名声を恣にしてる人が羨ましい
抑も、俺には才能がない
俺の歴史を繙いてみると努力してなかったと言うのもあるんだけど
まあ、あまり詳らかに出来ないが、俺には今まで良いことがあまりなかった
だったら○○風なんてやらなきゃいいのにと思うんよ。○○の中はヨーロッパに限らずさ。