けど、それを一般化し、人生の唯一解にしてしまうのはどうなのだろう?
そもそも、人生の労苦の積み方に正解などないと思う
府の財政が厳しい故に空々しい夢や希望など語れないのは仕方ないかもしれないが、
社会の未来へのビジョンを語れずに全てを本人の努力に帰するのは如何なものか
以下は勘違いがあれば指摘してほしいのだけど、
それが相対評価であるならば、絶対的な学力弱者の存在を必要としているわけだし、
それに対して、自己責任を問うとしたら、相対評価というシステム自体が矛盾してないか
ってか私学助成金削減がそのまま授業料値上げにつながるのもどうかと
生徒が語るべきことはもっと違うことな気もするんだけど
そりゃ大阪府全体の問題からすれば今回の件は(教育問題というカテゴリー全体に広げても)ミクロ中のミクロの問題でしかない。 人生の労苦の積み方に正解などない ごもっとも。で...