どんな恋愛も男から動かなきゃ成立しないもんだぞ
男がリードしてやらなきゃ成立しなくなる。
そういう瞬間のドキドキする感じはいくつになっても楽しいもんだ
いや、「なんで需要ないんだろう」って事でしょう、要するに
え…なんで勝手に手繋ぐの?
まず聞こうよ…
そんな後輩なんだから下の人も言ってるけど滅茶苦茶断りづらいでしょ…
メール来なかったんならもう嫌がられてるの完全確定じゃん…
最低…正直引くわ
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/11/4_299a.html
とかを見てると,大学の研究に夢見すぎだろうと思う.特に予算額を比較するくだり.実情を知らないとそんな夢を見れるのねと笑ってしまう.
国立大学なんて基本的には国の機関(もちろん,今は独法化されてるから正式には違うけど)だし,目的もあいまいだから現状公共工事がかわいくなるくらいのレベルで無駄がはびこっている.だから,システムを変えずに額だけ増やすと10年後くらいにすごい勢いで糾弾されそうで怖い.(というか,もうされてる?)
うちの大学だけじゃないと思うけど,支払いの融通が利かなさすぎてすごい勢いで無駄なお金を使う羽目になっていることが多いと思う.特に問題だと感じるのは,
あと,4000USDを86万円にしてきた商社は生物系の京都にある商社.持ってきたカタログを見ると,中華メーカーなら8000円,高くても29800円くらいで利益をのせて作りそうなUVのLED付きの帽子が40万円位しててふいた.その時に工学系もたいがいだけど,医療生物系は魔窟だと思ったよ.
だなー。先手の飛が両方とも機能してなかった。
しかし最大の敗因は1手目に王を動かして盾の歩をとられちまったことじゃないか、と密かに思っている。
「そうならない様に、低賃金でも我慢して働けば何とか喰っていけますよ」という感じで正社員以下の雇用形態がますます増えて、
貧富格差どころか、支配階級と実質的奴隷階級の二種の人種に分かたれることになろう。戦後教育によって、大きいものに立ち向かう
「信頼感」「価値観の相似」「敬意」
とか色々あると思うけど、「遠距離の彼」ってなかなかポイント上げられないじゃない。
何考えているかは分かりにくいしさ。
接触時間が増えるってことはそれだけポイントを上げられるチャンスが増えるということだとも思うし。
「いい人だけど恋愛対象にはならない」って話もよく聞くけど、あっさり前言撤回のケースもままあるから、そのへんはようわからん。
このあと友人に、おいしくいただかれました。
殆ど関係ないと思うが、昔アメリカのラッパー2PACが自由であるからこそ苦痛だ、刑務所の中で
生活している方が楽だ、でも俺はLAで生きLAで死ぬことを選ぶなんて事を歌っていたな。
所得の少ないゲトーで生活をすると、真面目に働く事が馬鹿らしくなり犯罪に手を染める。
今のニート世代より、その次ぎの世代になると親も金を持ってないなんて事になり
全然別の感じ、でも先手が有利になりますかね。大駒1枚+金とれるんで
…メタ視して「君はまだこの域まで来れてはいないよ」とか、ちょっと赤面しちゃうじゃないか。
どちらかというと私はこっち側がいいなあ笑 まだまだ恋愛の話したいし…。
どうでもいいけど、恋愛至上主義を信じるのも結構なことだと思うんですよ。そういう女の子のほうが着飾って化粧して恋愛沢山して魅力的になったりするよね。恋愛至上主義の女の子が増えるのはよろこばしいことだと思うんだよ。(男のほうはどうだか知らん。個人的には男が運命の女性とかほざいてフラフラしていては困るという感覚があるけれど。)
ただ、そういう恋愛至上主義でキレイでカワイイ女の子が好みだったりして、でもゲットできないと、これは落ち込む。しかたのない事だ。
でも、世の中、恋愛第一なキャピキャピした女の子ばかりじゃない。仕事したい子も居るし、勉強したい子も居るし、音楽大好きな子も居る。そういう「フツーの層」も、恋愛至上主義のおかげである程度浮わついてくれるので、非モテでも小ぎれいにしていれば普通の子と普通に知り合って仲を深めていくチャンスはゼロじゃない。やっぱり恋愛至上主義ってありがたいものなんですよ。
まともな人間であれば恋愛ヒエラルキー最下層の非モテだからといって女の子と会話すらできないわけはないので、卑屈にならず気長にやればいいと思う。 人間がまともでも女の子と会話すらできないのなら、それはその女がおかしいだけなので、気にするこたあない。
いや、ぜんぜん違うけど…。
時間がループしたり殺人鬼がうろついてるような世界に現実味があると思う?
というか、男女に限らずオタクはみんな第三者の立場からの傍観が大好き。
たんに需要が無い。需要があると主張する人にそう言っても納得しないかもしれないけどw
そもそも、なぜデザインの時代がくるのではないかといえば。
消費者の手に馴染むまでにも長い時間を要するはずで。
なのに今時代は、人の手に馴染む前に、新しいものを提供し続けます。
(前記事の進化はとまらない。でも進化をもとめてはいない、というのと同じですね)
それと私は別に昔に存在したものを取り戻すつもりで書いているわけではありません。
むしろ、デザインは常に新しいものをデザインしていかなければとおもいます。
新しいといっても、昔あったよかったものを取り入れるなと言っているのではなく、
新しい、時代を見て、技術を見て、人を見て、デザインすべきだという話で。
それが今は技術に偏りすぎて、人や時代を省みることなく、そしてその技術が時代すら作っている面があるような気もします。
もちろん技術すら、必要なものを必要な分だけ与える、というのはこの資本主義社会の時代じゃぁ無理な話です。
だからって別に社会システム時代をデザインしろとまでは言いません。
技術を人にたどり着けるまでには、カタチに落とし込む必要があり、環境も整える必要がある。
そこにデザイナーの入り込む余地がある。そしてその余地はいまあふれかえるほどあります。
結論が遅くなりました。だから、来ます。
何をどのようにデザインするか。
ちゃんとした固定されたものを言えず申し訳ありませんが、
私の中の回答としては「新しい技術」を「新しい時代と人にむけたカタチ」で。
でも、未来を作っていくなんて当たり前のことですよね。
私が産まれて、成長して、結婚して、子どもを産んで、子どもを育てていくならば。
子どもが笑ってすごせるカタチをデザインしなければいけないなんて、ごくごく当たり前のようにやらなければいけないことなんですよね。