上司というわけじゃないんですが、
一緒に仕事している他社の人だけに
あんまり邪険にできなかったのです。
何回かはぐらかしたら、
ご送付いただきました・・・
嫁はグリルをあまり使わない
だがフライパンも使わない
オーブン付きレンジのオーブンを使ってプレートにクッキングシートを敷いて魚を焼いてる
そうすると台所が魚臭くならないし後片付けも楽なんだそうだ
「両面から火が通るから美味しいし早い」
って言ってた
すまん。
魂の不在を証明できるというレベルで「信じてない」という日本人は、逆に圧倒的少数だと思うが。
せいぜい「なんか分からないけどいないんじゃないの?」というレベル。
つまり、証明は出来ないが「居ないと信じてる」ということであって、そりゃほとんど宗教だな。
「神様なんかいない教」
むしろ、グリルを使うほうが後始末は面倒だよねw
http://anond.hatelabo.jp/20070520162059
フライパンでも焼けるものを、
わざわざグリルで焼いてます。ごめんなさい。
とでも言えば良いですか?
「わたしは究極のところ、ただ一つの境界線しか認めません。すなわち、よい芸術か悪い芸術かということです。ところが、当人の政治的態度になんら非難すべきところがない場合でも、ユダヤ人と非ユダヤ人の間に、理論的に仮借なき厳格さで境界線が引かれているのに対し、われわれの音楽活動にとって長い目で見れば極めて重要な、いや、決定的と言ってもいいもう一つの境界線、つまりよい芸術か悪い芸術か、があまりにもおざなりにされているのです」、それは「文化活動の利益になりません」。
「あなたが自己を芸術家として感じ、ものごとを徹頭徹尾、芸術家の見地からごらんになるのはあなたの勝手です。しかしだからといって、今ドイツで起こっている全体の進展に、あなたが非政治的態度で臨んでよいということにはなりません。政治もまた芸術であり、おそらく最高の、もっと包括的な芸術であります。芸術と芸術家の使命とは、ただ単に結びあわせるだけでなく、さらにそれを越えて形成し、形を与え、病んだものを取り除き、健康なものに道を拓いてやることなのです。したがってわたしはドイツの芸術家として、あなたが認めようとなさる境界線…つまりよい芸術か悪い芸術か……だけを承認するというわけにはまいりません。芸術はよくなくてはならないばかりか、民族に適しているという条件をみたしていなければならないのです」。
グルメ気取りって魚焼き網なんて昭和からあったんじゃないか?
少なくともフライパンと同じくらいの値段で買えるし…
なんでわざわざクッキングペーパー使ったりティッシュ使ったりするのか
そっちのほうがランニングコストかかるじゃないか
人の信じているものを指して大丈夫か?とか言うやつがもっとも信じられない
普通とか一般化する奴も信じられない
最初から
「日本人は魂は信じてるのに神は信じないとか複雑」的に一般化されている話だったから
「いや、たいがいの日本人は魂の存在を信じてないと思う」というように返しただけ。
大丈夫か?なんて言ってない。そう言われがち、といっただけ。以上。
あんまり親しくない人をマイミクシィに
登録し始めてからうっとうしくなってきた。
「ミクシィやってる?登録してよ!」
「え、あ、は、はい。」
逐一、日記にコメントしていただくのですが、正直うっとうしい。
今はトゥイッターで独り言書くのが楽しいんだー
増田でも独り言書かせてねー
http://anond.hatelabo.jp/20070520155724
真顔で真剣に信じているが宗教はやっていない
ついでに言えば精霊は信じるしばちが当たるとかいう話も信じる
人の信じているものを指して大丈夫か?とか言うやつがもっとも信じられない
普通とか一般化する奴も信じられない
人の信じているものに口を出すから宗教が悪いもののようにされるんであって
個人の信仰に不可侵なら何の問題もない
だから意味をでっちあげるんだ、という話をしているつもりだったが。
いや、俺「価値も無い」とか初めから言ってないんだけど。
俺が「意味は無い」といったら君が「じゃあなんで生きていられるの」「価値が云々」的なことを言い出しただけだろ?
あのね、これを見て分かったよ。多分君が言ってる意味ってのは俺の言ってるのと違うんじゃないのかな。
人生には何の意味があるっていうんだ!なんで人間は生まれてきたんだ!とかそういう類の話、そういう意味での「人生の意味」の話だから。うまくいえんけど。
俺の場合で言えば。
人間の生きる意味など無い。何の意味もなく生まれ、何の意味もなく死んでゆくだけ。
じゃあ君の疑問、「何故死なないか」については、特別死ぬ理由もないからだ。死ぬまでにしてみたい事もある。それにどうせ死ぬのだから今特別先走って死のうとは思わない。それだけだ。君は多分、そういうのを「人間の生きる意味だ」といいたいのでは?
俺から言わせてもらえば、
そういうことだ。
祈りとは、特別な事で無くてもう状況が八方塞がりで最悪どうしようもなくなった時に、本能的に自然な衝動として人間がとる行動なんだと思う。
そこから宗教も生まれた。
科学が発達する前の大昔なら自然災害に対して人間がなす術も無くただ翻弄されるだけだったから、自然現象への畏敬の念から原始的な自然崇拝が生まれた。
また、生きる苦しさ、老いる苦しさ、病の苦しさ、死ぬ苦しさ、ありとあらゆる人間が感じる苦しみをいかにして取り除くか。
それから、ちょっと気になるのは、増田さんたちの言う神はキリスト教的な神の事のように感じる。
私は神は信じないが、人間の内面に内在する仏は信じている。