「わたしは究極のところ、ただ一つの境界線しか認めません。すなわち、よい芸術か悪い芸術かということです。ところが、当人の政治的態度になんら非難すべきところがない場合でも、ユダヤ人と非ユダヤ人の間に、理論的に仮借なき厳格さで境界線が引かれているのに対し、われわれの音楽活動にとって長い目で見れば極めて重要な、いや、決定的と言ってもいいもう一つの境界線、つまりよい芸術か悪い芸術か、があまりにもおざなりにされているのです」、それは「文化活動の利益になりません」。
「あなたが自己を芸術家として感じ、ものごとを徹頭徹尾、芸術家の見地からごらんになるのはあなたの勝手です。しかしだからといって、今ドイツで起こっている全体の進展に、あなたが非政治的態度で臨んでよいということにはなりません。政治もまた芸術であり、おそらく最高の、もっと包括的な芸術であります。芸術と芸術家の使命とは、ただ単に結びあわせるだけでなく、さらにそれを越えて形成し、形を与え、病んだものを取り除き、健康なものに道を拓いてやることなのです。したがってわたしはドイツの芸術家として、あなたが認めようとなさる境界線…つまりよい芸術か悪い芸術か……だけを承認するというわけにはまいりません。芸術はよくなくてはならないばかりか、民族に適しているという条件をみたしていなければならないのです」。