2007-02-24

熱い人間になろうよ

10代の頃は、大人ってもんになんとなく反発して、ブルーハーツ、聞いて、この世の中なんて腐ってるなんてこと言ってる。

浜崎あゆみを聞いて、あたしは孤独だなぁ、なんてヒロインきどってみたりする。

でも大学生になってセックスへの未知への恐怖喪失して、あぁもうすぐ卒業ねって、社会に出ること考え出すと、大人ってのも現実を見なきゃなんないから大変だなって気づき始めて、10代の頃の棘が擦り切れてくる。

就職活動に勝つためなんてブログ読んだり、ビジネス書読んで、就活には、「ロジカルシンキング論理力!英語力!」が重要なんて言葉ばっかに触れると、そうか論理勉強しないと、英語勉強しないとって思えてくる。でもさぁそんな自分に違和感感じることもあるんだよね。なんか大切なもん忘れてないかって。魂をさ。情熱をさ。

10代の頃は、今から考えるとマスコミに踊らされて、教師のことバカにして、親のことバカにして、ほんまアホなことしてたなって思うけど、なんかこのままじゃ嫌とかなんか自分の手で変えてやろうとかあの先輩だいしゅき??、誰があいつに負けるかみたいな魂や情熱があったと思う。

どろくさいけど、そういう熱さ忘れちゃいけないと思うんだね。大人なって社会人なっても、ブルハーツの音楽感動したり、三島文学感動したり、好きな人に感動したり、自分に感動したり、論理じゃない感性、魂の声ってもんに耳傾け続けられる人間になりたいってほんと思うのさ。

なんか私が生きる原動力はやっぱ熱い魂があるからこそ発動するもので、その上で論理力とか英語力とか知性とかそんなものがついてくるイメージなのさ。

原動力失っちゃ、他のものがあってもそれは意味ないわけ。たとえ超エリート大学の肩書きがあったってさ。それはこの大学入りたいという熱い思いがあったからこそ手に入れたものじゃなかったけ?たんなるラベルになんてしたくない。

自分が熱い人間になること。すっごく泥臭くてかっこ悪いけど、好きなんだよね。くそったれの世界とかまじめに歌ったりできる人好きなのよ。両親に親孝行したいとかまじで言う奴かなり好きだよ。

私が今まで本気に好きになった人はみんなアホほど熱くてこっちが逆にその熱さに目をそらしてしまうほどに恥ずかしくなってしまう人ばっかだったなぁ。でも不思議とその人は私にとってキラキラ輝いてみえるんだ。ほんと不思議なぐらい。その人といるとこっちまで熱くなるんだ。

熱さって目に見えないものだけれど、感じれるものなのさ。そういうもの持ってる人大好きだし、そう人に自分はなりたいと思うのさ。普段忘れてしまいがちなことだから、ここにこうして記しておこうと思うのよ。

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