ふとはてブを見たら、前に仕事をしていた小さな会社の社長が、別の大きな会社の取締役になっていて、小さな会社と業務提携をする発表会の記事が載っていた。微妙に5Users。
ああ、あんな頃もあったな、と。
中学に入ったときにPC-9801VXを入手。高校時代にMS-DOSを操作するいわゆるパソコンおたくとなり、大学時代にLinux, FreeBSDの薫陶を受けた。
そして、大学出るところで怪しげな個人事業主に騙されてベンチャー企業で偽装請負、最初は18万の給料だったか。
そこそこ頑張っていると、やがてそのベンチャーの社長に声をかけていただき、その個人事業主と訣別してベンチャーに入社。気が付くと、ある大手のお客様に納品するサブシステムのリーダーを22の時にやっていた。
だが、開発のいろはを何もしらないペーペーだ。基本設計も詳細設計もぼろぼろというかやっていないような酷い出来で、正常系の1本も通るか怪しいプログラムをお客様に持っていって、ただ一言「動かねーじゃねーか。」と言われて6徹、そこからなんとか作り上げた体力と精神力やら何やらよくわからないものを買われたのか、日本で屈指と言われる大会社の事業部長から、蒼くぼーっと幻想的な雰囲気のバーで「うちに来て働かないか」と1:1で引きぬきをかけられたのを、あっさりと断ったところまでは良かったな。
まるでバブルのような、というか真正のネットバブルだったわけだが、きらめく怪しげな話の間を飛びまわった。異常系がまともにできていない大手小売業者向けのプロモーションシステム、お客様の要件をないがしろにして作り上げた画像配信サイト。
しかし、序盤の奇跡的な飛躍で力を見誤った自分も会社も、徐々に、不可逆的に傾いていった。
そして、度重なる失敗に組織から見放された自分は会社を抜け、25の時にいわゆる中堅ソフト屋に転職した。
ソフト屋にいたおかげで、基本設計書も詳細設計書も書けるようになった。もうぐちゃぐちゃなシステムは書かない自信はある。
だが、新技術は何でも吸収してきた自分が、その後に出てきたRubyやAjaxには、もう付いていくことができない。
今では、ごくごくありがちなオープン系システムのしがない保守要員だ。
ブラウザの上には、きらめいていたあの頃の面影を残す彼がいた。
そこには、確かにきらめいていた自分の残滓もまた投影されていて、そんな彼をブックマークする気にはなれなかった。
それでも、彼の名前を時々思い出しては、Googleに掛けてしまう自分に嫌悪する。
今はてなダイアラーをしているということは、まだ残滓にしがみついてしまおうとしている自分がいるんだろうな。そんなもうすぐ30歳。