正しいっぽい感じを表す言葉。
この言葉で気づかされるのは、正しさがゼロイチではないのだということ。
正しく感じられる要素がいくつか集まって初めて、その事項は「正しい」と感じられるわけであり、
その途中の態様は「正しい」ではなく「正しみが深い」とでも形容すべきだろう。
そういや昔、某セカイ系ライトノベルを読んだときに、科学の正しさは多数決で決まるという話が載っていたが、この言葉を聞いてそれを思い出した。
科学でさえ、客観的に決まる正しさなどなく、「正しみ」あるエビデンスが積み重なることで、人々が「正しみが深い」と感じて多数決により「正しさ」が決まるのだ。
増田でも「正しさ」を求めてレスバする人々が見られるが、「正しさ」とは、ある人間が「正しい」と証明することで得られるものではないのだろう。
善悪とかに対してはそれでいいけど、自然科学や統計で事実判定できそうなものまでそれだと困る 言葉分けたい
もっともらしい 蓋然性 確からしい などは使われていそうだ
話し言葉に客観性はいらないの衝撃だよね
これ棍棒