■「誰が主体か」を履き違えるとややこしくなる。
保育士の件でもそうだけど、色んな意見を見てるにつれ、
意見の内容として「誰が主体か」を履き違えたような反応というか非難が多く、ややこしくなる原因なのではないかと思った。
「女児が」~と思うかもしれない
に対して
「普通の親は」そう思うはずはない
と批判してるのとか、明らかに主体が違ってるから話が噛み合ってない。
勿論客体も履き違えたらよろしくない。
「誰が」「誰に」なのかをちゃんと考えることも必要なのではないか。
勿論女児と親を履き違えると言うのは極端な例だが、第三者目線と当事者目線をごっちゃにしたり、「普通の親」と「何らかの事情がある親」を取り違えたり
そういう意外と気づきにくいところにも罠はある。
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