石田三成の「三献茶」。博学なはてなーのことだから、わざわざここで書くまでもなくご存知だろう。
逸話にはありがちなことだが、史実ではないらしい。
そして私はああいうのが大嫌いなのだ。
人の事情を察して動け、というのに表立って逆らう気はないが、そこまで察しなきゃいけないものなのか?
そもそも、おもてなしの心のカケラもない自分が言うのもなんだが、ああいうのに正解はない。
猫舌だったらその気配りはおもっくそ無駄になるけどどうすんねんお前という話である。
だいたい、そこまで超人的な気配りのできる奴が、なんでその後鼻持ちならない奸臣キャラになっているのか。
話を作るにしても設定というものを考えてほしい。
Permalink | 記事への反応(1) | 14:26
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