2012-08-21

ジャーナリスト死亡のニュース

シリアでの紛争とか今までニュースを聞き流す程度だった。

シリア」とか「アサド」とか断片的なカタカナが頭の中に残ってる程度。

「あーなんかシリアって国で揉めてんねんな」くらいにしか思ってなかった。

テレビネット報道なんかもただ聞き流してただけな気がする。

でも、今回の一件で一気に密度のある情報として自分の中に流れ込んできた。

そのきっかけが邦人記者の死亡。

そんなきっかけでもなきゃニュースも聞き流すだけだった自分の冷たさに驚き苛立つ。

ものすごくもやもやするし、記者の方に対する申し訳なさというかなんというかよくわからない気持ちで押しつぶされそうになる。

どっかにこんなよくわからない気持ちを書きなぐりたくなったけど、僕には増田くらいしかない。

  • あなたの感覚はごく当たり前だと思いますよ。 ちなみに、日本人カラメマンが射殺された時も同じ感覚じゃありませんでしたか?

    • そうかもしれない。でもカメラマンの時に自分がどんな感情を持ってたのかははっきり記憶にないんです。 今回の一件も半年もすれば自分の中で風化してしまうのかと思うととても怖い...

  • 同じ民族の同朋が死ぬとDNA的に疼くものがあるのかね?

    • そうなのかな。 でも、いままで災害報道とかで「現地領事館によりますと邦人の被害は今のところ確認されていないということです」みたいなのを聞くと、 とてももやもやした腹立たし...

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