2011-01-22

読まなければいけない行間が多すぎたと感じるのは、横から眺めてた人間の贔屓目かね。

行間が多いのはいいんだよね。

ただ作品の方向性すらその行間で読まなければいけなくて、しかも読めるようになったのは中盤になってからだったというね。多分テーマや序盤の方向性からそれを予想できた人はいなかったんじゃないかなと思う。

そういう意味ですごく人を選ぶ(=考察好きな人とか、感性監督脚本とひどく近い人とか)作品だったと感じる。あれ、でも小説版とか監督インタビューとか読まないと補完するのも難しいような……。

この描写はこことの対比で~とか、すごく意味をこめた演出だけど気付かれなかったらどうしようもないよね。何度も見返してそれに気付くことが出来ればすごくおもしろい……と思うんだけど。

最初から方向性を提示された上で視聴するなら、多分いろいろ納得してもらえるとは思うんだけど、今から言っても仕方ないよね。作品の進行方向が突飛すぎて理解されない、なんて最初から考えてもいなかったんだから。序盤との雰囲気の違いで「これは違う」「どうしてこうなったのか…」「こうなるべきだった」って感想をよく見かけたけど、これってつまり感情からね。その感情を覆させることって難しい

尺足りないとか行間多すぎて本文足りないとか、いろいろ不満はあるけど、横から眺めてた人間としては少しだけ感慨深い終わり方だった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん