原稿は落とさずに済んだのかな? お疲れさま。
これって、葬式自体に価値を感じれないのかな。それとも、他の誰かの葬式だったら、仕事なんか放って出るのかな。そのどちらかで変わるんだけど。
前者だったらそれぞれの価値観だから自由だけど、母親とかに分かってもらうのは難しいよね、って話かな。
後者でも私はやっぱり、亡くなった方との関わり方は人それぞれだから、どんな感情を持っても自由だと思うけど。
私はおばあちゃんが亡くなった時、ある事情で訃報を知ったのが2日経ってからになってしまい、その時にはお通夜にもお葬式も終わっていた。おばあちゃんのことはずっと一番大好きですごく仲良しで、今でもおばあちゃんのことを思い出すと涙が出てくる。本当に。
今もし、もう一度おばあちゃんが死んでお葬式があったら、何があっても駆けつける。ずっとやりたかった仕事で、いつも必死でやっている仕事だけれど、それでも一生仕事が出来なくなったとしても構わないから、とにかく葬式に出る。
一方で──。私は父が亡くなったのを知ったのも、ある事情から半年後だった。弁護士から送られてきた紙に、逝去って書いてあった。私は読んでも何とも思わなくて、そこでは葬式に出れなかった事実にすら気付かなかった。まあ実の父だし、何の恨みもないので、もちろん出た方がよかったとは思うけれどね。ただ、仕事があったらそっちを優先してただろうと思うなあ。
あなたはお父さんのお葬式でも、おばあさんと同じように思うかな? それとも、お父さんのお葬式は出たいかな? どうなんだろう。
でも、どう思っていてもいいんだろうな。大事なのは、倫理的とか常識的とか何とかいう言葉と関係ないところにある自分の正直な感情で、それは否定したらどうもならないから。最後の土壇場で自分を強くしてくれるのは、本当に自分の中にある何かだけだしね。
って、読み返してみたら、ちょっとあなたの言いたいこととズレてしまったね。
私が私に言いたかったことを、ようやく言えただけなのかもしれません。ありがとね。
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原稿は落とさずに済んだのかな? お疲れさま。 これって、葬式自体に価値を感じれないのかな。それとも、他の誰かの葬式だったら、仕事なんか放って出るのかな。そのどちらかで変...
葬式は生き残っている人のためのもの。 誰も悲しんでいないようなら出る必要はないが、母親は誰かに側にいてほしそうだな。
麻痺してるみたいだから言うけど、身近な、文字通り家族の葬式も手伝えないってさ、なんのためにそんな仕事しているんだい?
食うためじゃね? 黙ってても自動的に三度の飯が出てくるニートにゃ分からんかもしれないけど