2009-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20091205193508

都会は縦・田舎は横、というイメージ高層ビルにょきにょきしていてつい見上げたくなる東京と、木や民家より大きいものは山と電柱しかない茨城(水戸じゃないもっと田舎の町です。地方都市じゃなくてごめん、それは分かんない)。人間関係も縦と横。

昼は東京、夜は神奈川で生活していて、茨城に行くと空が広いなーと思う。ゆったりする。そーら がぁー ひっろーい、なぁー ていう感じ。開放感! 空気が土臭くて時々牛臭くて、一面田んぼで平均年齢が高そうだなと思って、勝手後継者の心配をしたり第一次産業の行く末や過疎化を憂えてみたり、ああ日本にもまだこういう風景がなぁ、とか、そんなことを思い、ふと我に返ってそういう自分馬鹿らしく思うのが、私にとっての田舎空気。寝ころんで空を見ていたくなる。空気が澄んでいて星も綺麗に見えて、野菜がおいしくて自然が豊かで、人は実直で勤勉。

一方で、人はいないし物は何もかも時代遅れだし言葉も違うしで、隔絶されているように思えて怖かった。小さい頃、お手洗いのカレンダーの「ヤクルト」の文字に自分現実とその世界の共通項を見つけて縋ったのを覚えてる。夜も蛙や虫の鳴き声を聴きながら時計の音まで意識してしまったり。今は村社会と、人の少なさが怖い。「正しさ」を強いられて、外れたら問答無用で悪、阻害されたら暮らしていけなくなる、みたいな。

そんな感じで、空間としてすごく開放的なのを味わいながら社会として閉鎖的なのが怖くて、長閑だなぁと思いながら東京を恋しく思う。東京生まれだから慣れの問題かな。事の是非はともかく他人の重さは多ければ多いほど軽くなる気がして、だから田舎に行くと土地人間の重さに引く。どちらにせよ人間の濃さに引くんだし、数に引くのも重みに引くのも似たようなものじゃないかな。

田舎で暮らしたことがないので、隔絶・村社会云々は自分イメージと母の実家のある村の話です。その村も自分の住む市も通っている区もそれぞれ好きだ。

記事への反応 -
  • 渋谷に行くたびに「肉の壁」「弾幕シューティング」という言葉が思い浮かんでしょうがない。 新宿や池袋も同様。 私は田舎育ちで成人してから東京に来たので、あの人の多さにはち...

    • 都会は縦・田舎は横、というイメージ。高層ビルがにょきにょきしていてつい見上げたくなる東京と、木や民家より大きいものは山と電柱しかない茨城。人間関係も縦と横。 昼は東京、...

    • こういう意見を見て、毎回思う事。 どうして田舎者は、「都会を歩く人」を「人」として見ないんだろうか。 はっきり言えば、貴方も「都会を歩いている人」の一人だ。その一人一人に...

      • そんなこと考えて町を歩いたら窒息死する

      • だってあんなん景色として異常だもん。個体が過密しすぎ。 横増田ですが、そんな都心の人「ごみ」で、個々を思うなんて無理だ。 自分は、五分いれば不機嫌になり、三十分で目眩を覚...

      • 親しい人しか入れたくない距離に他人が居ると、不快さを避けようとして人と思わなくなるんだって。 田舎人・都会人関係なく、たぶん増田も、東京人だけど私も、皆そうらしいよ。

    • 急用があるときは邪魔だし、退いてくれないかと思うけど いろいろな人の服装だとか雰囲気を一度に見れていいなーと思ってる。

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