写真って、瞬間を写し出すにも関わらず時間を記録するんだよね。
言い換えるなら、点を照射して線を保存するような感じ。
時間を閉じ込める技術が生み出されてから、今日までに様々な記録が保存され続けてきた。
広島の原爆や、パールハーバーでの攻撃、ベルリンの壁が崩壊して、月には人が降り立った。
どの場面も、瞬間を記録しているのにそこに時間が封刻されている。だから、カメラって不思議だなって思う。
ここから話がちょっと飛躍する。
もし写真というものが刹那を被写体に時流を刻むものだとするならば、それはありとあらゆる写真にも応用されるわけで、
例えば家族写真、例えば修学旅行での集合写真に写ってしまうと、そこに私がいる(いた)ことが記録されてしまうわけなんだよね。
なんなんだろうな、それがちょっと嫌なのだ。
前々から写真やビデオに写るのは嫌いだったけれど、形あるものとして残りたくないのかもしれないなあって思ったりする。
気味が悪いような気がするんだ。
どうして人はカメラを向けるんだろう。どうして人は映像に残そうとするんだろう。
その人がいたこと、その出来事が在ったことは、己の記憶の中に仕舞っておくだけで十分じゃないのかな。
残すということと、存在を照明すること。
所詮は私こそが認識世界の中心なのに、他者に存在をアピールしてどうするんだろう。
私は誰かの記憶には残りたいけれど、だからと言って記録にはなりたくない。
ここまで書いたけれど、もしかしたら、記憶に残りたいからこそ記録を残すのかもしれないなあって思い至った次第。
終了。
写真が好きな俺がレス。 「記憶の補完としての記録」として、とても使える技術だと思う。 いつ居なくなるかもわからない家族とか。 記憶を頼りにするとどうも曖昧だったりするから...
言いたいことがまとまってないけど、おもしろい話だな。 後半は自分自身の記録を残すことについて書いているようなので、 その辺りで思ったこと。 その人がいたこと、その出来...
トラバに返信。 http://anond.hatelabo.jp/20090722134344 記憶を頼りにするとどうも曖昧だったりするからね 個人的に、その曖昧さが好きなんだなあ。儚さというか、朦朧とした映像って直接的...
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