2009-07-22

写真って、瞬間を写し出すにも関わらず時間記録するんだよね。

言い換えるなら、点を照射して線を保存するような感じ。

時間を閉じ込める技術が生み出されてから、今日までに様々な記録が保存され続けてきた。

広島原爆や、パールハーバーでの攻撃、ベルリンの壁が崩壊して、月には人が降り立った。

どの場面も、瞬間を記録しているのにそこに時間が封刻されている。だから、カメラって不思議だなって思う。

ここから話がちょっと飛躍する。

もし写真というものが刹那被写体に時流を刻むものだとするならば、それはありとあらゆる写真にも応用されるわけで、

例えば家族写真、例えば修学旅行での集合写真に写ってしまうと、そこに私がいる(いた)ことが記録されてしまうわけなんだよね。

存在を空間時間ごと封じ込めてしまう。

なんなんだろうな、それがちょっと嫌なのだ。

前々から写真ビデオに写るのは嫌いだったけれど、形あるものとして残りたくないのかもしれないなあって思ったりする。

気味が悪いような気がするんだ。

どうして人はカメラを向けるんだろう。どうして人は映像に残そうとするんだろう。

その人がいたこと、その出来事が在ったことは、己の記憶の中に仕舞っておくだけで十分じゃないのかな。

残すということと、存在を照明すること。

所詮は私こそが認識世界の中心なのに、他者に存在をアピールしてどうするんだろう。

私は誰かの記憶には残りたいけれど、だからと言って記録にはなりたくない。

ここまで書いたけれど、もしかしたら、記憶に残りたいからこそ記録を残すのかもしれないなあって思い至った次第。

終了。

  • 写真が好きな俺がレス。 「記憶の補完としての記録」として、とても使える技術だと思う。 いつ居なくなるかもわからない家族とか。 記憶を頼りにするとどうも曖昧だったりするから...

  • 言いたいことがまとまってないけど、おもしろい話だな。   後半は自分自身の記録を残すことについて書いているようなので、 その辺りで思ったこと。 その人がいたこと、その出来...

  • トラバに返信。 http://anond.hatelabo.jp/20090722134344 記憶を頼りにするとどうも曖昧だったりするからね 個人的に、その曖昧さが好きなんだなあ。儚さというか、朦朧とした映像って直接的...

    • まだ終わりにするには早い。 でもね、だからこそ私はできる限り私がいる間に誰かの記憶に残りたい。 記憶として、いつか忘れ去られてしまってもいいんだ。記録としていつまでも...

      • 私は強情だからなかなか相手の意見を受け入れられないんだ。 だから、相手の文意を読み解き咀嚼してみるわけなんだけれどもさ、言葉を自分のものに置き換えないと居心地が悪いのよ...

        • 認識が微妙に違っていい感じだ。 というのも、記憶や記録をされるにあたっては誰かに認識してもらうことが大前提にあるからです。みんなそう思っているんだろうね。 認識されな...

          • なんかすごい寝ていた。15時間寝てた。どうした、私。 認識されなくても記憶や記録に残る可能性はある。(背景の一人とかその他大勢とか) うん。だけれどもさ、そうやって残るた...

            • なんかわかってきた気がする。 でも、だからと言って“他者が見る”世界の存在を否定しているわけではなくて、私と他者が同時に認識している“世界”がないとも思っていないんだ...

              • 今日は午後から雨が降るらしい。 私の考え方では、世界は大きい世界だけで、自分たちの存在はあくまで世界の一部と言う捉え方。 あなたのいう「小さい世界」を、「意識」あるいは...

                • 天気が悪くなるかと思ったけどそんなこと無かったぜ。 認める/認めないと言う話も、「意識が世界に対して開いているか?」と言いたかったんだよう。 認める/認めないという話...

                  • 今年の梅雨はとても長い。けれども、雨量の少ない梅雨になんの魅力があるんだろう。雨は降ってこそ雨たりえるのにな。 「認める/認めないという話」は、これまでのやり取りで出て...

                    • 梅雨は明けたと聞いた覚えがあるのだけど、違う世界の話だったかな。 どうすればうまく表現できるんだろうか、突飛な喩えになるけれども、個人的に「小さな世界」は川における水...

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