2009-06-07

部屋にポスターを貼ればよかった

28歳。サラリーマン。僕の住む家の近くに、こんな家がある。

クリーム色の外壁は雨風で薄汚れていて、玄関のドアは新しくペンキで塗りつけられたのか、光沢ある深緑色。家の前に止めているのは鍵の壊れた「チャリ」と、よくわからないシールが貼られたヤマハジョグ

夏になればその家の2階の窓は開け放たれていて、日本パンクバンドの歌声が聞こえてくる。多分ipodとかではなくCDラジカセとかから鳴っているに違いない。会社からの帰り道中学生高校生男の子が、その家の前でうんこ座りをしているのをよく見る。前を通る度、ちょっと緊張する。

今夜、その家の前を通りがかったとき、中の様子が望めた。漫画が中心の本棚の上に地球儀が乗っていて、その横には有名らしい海外サッカー選手ポスターが貼ってあった。

それを見て、友達の家には必ずポスターが貼ってあったことを思い出した。やはり有名なサッカー選手だったり、ヴィジュアル系バンドであったり、グラビアアイドルであったりした。

子供の頃、友達の家に行くのが楽しみで、他人の家のニオイが好きだった。学校で会う友人とは違う一面を見ているような気がしていた。そして、自分実家の部屋には何も貼っていなかったことも思い出した。

なぜ僕は自分の部屋にポスターを貼らなかったのだろう?

それなりに少年時代は好きなバンドマンガ小説なんかがあって、それを幼稚なパーソナリティの源泉にしていた。むしろ、マイナー海外バンドインタビュー記事から、自分人生訓を見出していた典型的中学二年生だったと思う。

なのに、僕はそれらのポスターを貼らなかった。別に小奇麗な部屋でもなかったし、画鋲の穴を気にするような性質でもなかったのに。

さっきの家を通り過ぎて、オリジン弁当を買いにいく道すがら、ずっと考えていた。店について、紅鮭弁当を注文して、弁当が出来上がるまでにひとつの答えを出してみた。

どんなポスターだって、親の目には触れるし、家に呼んだ友達も見るかもしれない。何より毎日、自分がそのポスターを眺めることで、「自分はこれが好きなのだ」と言い聞かせることになる。好きなものを好きだと表明することは覚悟がいるのだ。

何者かになると言うことは、その覚悟をするということだったんじゃないか?その覚悟とのギャップを埋めるために、努力することだったんじゃないか?

満足とも不満足とも言えない今のサラリーマン生活から、ふと出した答えだった。

僕はポスターを貼らなかった。剥がしたくなるようなポスターもない。紅鮭の皮を剥がしながら、この事は忘れないでおこうと思った。

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