はてなキーワード: パンクとは
テクノ・ハウス・トランス・エレクトロ・エレクトロニカ・アンビエント・ビッグビート・ポストロックと電子音楽も、今となってはジャズやロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義が結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。
ちなみに書いている人は元テクノ少年のテクノ中年のシロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。
電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルやパンクやオルタナティブを包括するのがロック、フリージャズやスウィングジャズやハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカもアンビエントもトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである。
よくある批判(?)として「中田ヤスタカはテクノじゃない」「小室哲哉はテクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリの番組で、ユーロビートは日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスやデリック・メイ、ケビン・サンダースの創設した「デトロイトテクノ」からの派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義は意味が無いと思う。
デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージック。リズムマシンとシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーなメロディやピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカ。テクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。
上記に上げたようにホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダースがデトロイトで創設したジャンル。トランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人・ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイトの黒人が始めた音楽である。
ハウスとテクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。
音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの。久石譲のsummerとか坂本龍一の戦場のメリークリスマスなんかがそう。
これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェやサロン、美術館でかかっているような音楽。或いはクラブでチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ、細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。
ハウスやデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンル。ハウス+テクノ+ファンクという形で成立。ポップでキャッチーなメロディで賑やかな感じ。
たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノやアンビエントからの派生ジャンル。キャッチーなメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。
ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドやプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。
ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽。トランス・ハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドン・ドン・ドン・ドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。
テクノ歌謡、シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージック。キャッチーなメロディラインとヴォーカル。1980年代の小中学生や流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMO、クラフトワーク。Perfume。現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球やケン・イシイ、デリック・メイなんかは影響を公言している。
これこそ未だによく分からんジャンル。ポストロックのポストはポストモダンのポストと考えると分かりやすい。
こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。
踊れる ↑ ドラムンベース | トランス ユーロビート デトロイトテクノ ハウス | エレクトロ ドリルンベース | |ビッグビート 難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易 | エレクトロニカ | テクノポップ アンビエント| | | | テクノ歌謡 ポストロック ↓ 踊れない
あとこのジャンルのミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。
というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。
余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーのイメージのほうが日本では大きいような気がする。
ハウス:オシャレ
トランス:チャラい
こんな感じ。
id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメで評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。
id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか?
id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。
これから土俵という言葉を使ってネットでの会話を考えたいと思う。
会話をバトルに例えると、自分の土俵で戦うか、相手の土俵で戦うか、どちらを選択するかが大事になると思う。
一般に、自分の土俵で戦う場合は、自分は経験値が高く、アイテムもたくさんある。相手より有利で安心して戦える。
一方、相手の土俵で戦う場合は、自分は経験値が低く、アイテムもない。不利な状況から頭を働かせて互角に持っていく必要がある。
常に有利な自分の土俵で戦えればもちろんいいのだけれど、
相手もバカではないので最初から最初まで自分が有利な土俵にこだわって引きこもるなら、そもそも勝負をしてもらえなくなるケースが多い。
飛んで火にいる夏の虫を相手にする場合以外において、
しんどくても最初は相手の土俵に合わせ、そこからいかに自分の土俵に引きずり込むか、という勝負になる。
さて、ネットの会話においては、実名匿名という問題があるが、これは基本的に土俵の選択権に関わる。
実名の強さは、相手の土俵で戦う際でも自分の名前やステータスといった道具を持ち込めることにある。聞き手もある程度勝手が通じる人である場合が多い。
匿名は、基本的には相手の土俵で戦うしかない。匿名の人間が自分の土俵で戦おうとしても、誰も相手にはしてもらえない。
というかそもそも自分の土俵の存在を認識してもらえない。自分の土俵で戦いたければ、まずその都度作っていかなければいけない。
非常に面倒くさい。実にめんどくさい。本当に面倒くさい。
いうなれば、匿名はシレンジャーであり、実名はチョコボの不思議なダンジョンになるだろうか。
アイテムを持っていなければ、あるいはアイテムを持っていても持ち込まないなら、実名で有ることのメリットは何も無い。
せいぜい普通の人であれば阿呆なことは言わないだろうと期待してもらえる程度なのだから。
もしそこに価値があると思っているのであれば
「俺はチョコボのダンジョンでもアイテムやレベルを常に初期状態のままで挑んでるんだぜ」と自慢している阿呆である。
それならシレンをプレイすればいいだけの話だ。そうでなくとも、「で、あなたは初期レベルでどこまでがんばれるの?」と聞かれるだけである。
それで大した実力がないということになれば、匿名でまともに会話できるようになってから出なおしておいで、と言われておしまいである。
・・・とまぁ、匿名で、知らない人相手に伝わる話を書こうとすると、本題に入る前にいちいちこういう説明をしないといけないわけです。
説明が長くて相手に飽きられたらソレでおしまいだし、説明がピンぼけだったらさんざんに叩かれます。
自信のある記事が見向きもされなかったり、たまたま通りすがりの人間がクズで実にひどいコメントしかもらえないなんてザラです。
めんどくさい割に実入りが少ないです。(だからどうしても読んで欲しい時はタイトルとかも考えます。この記事はそれほどでもないかな)
だから、基本的に相手を批判したり喧嘩を売ったりする時など、相手のフィードバックがしんどいなーって思う場合を除き、匿名っておすすめできないと思います。
あと私みたいにgdgdと前提部分から語りたい暇人なら匿名もありだと思うけど、まぁ一般にはオススメしない。
どうでもいいけどG.A.Wの人とmedtoolzの人とNBONLINEのオダジマンは僕ら増田民のあこがれだと思う。あのくらいカラーを持てたらなぁ・・・。
で、土俵の話。烏賀陽というひとはどんなことがあっても自分の土俵から出てこないタイプみたいですな。
正直、相手にする価値がないというか、相手にして欲しくても相手にしてくれないんだからほうっておくしかない人だ。
ネットでは、自分の土俵から一歩もでてこない人間というのは会話する意味が全くない。
にも関わらず、katsuta66という人は、相手が土俵の外から一歩も出てこない引きこもりであることにすぐ気づいておきながら
それでも相手の土俵で戦おうとするのだろうか。それがパンク・ロックというものなのだろうか。
リアルが充実している人間は、ネットでもリアルの流儀を貫こうというのか。
それはネットという土俵を理解しないで、自分の土俵で戦おうとしているという意味で烏賀陽という人とあんまり変わらないと思う。
っていうか根本的な話をすると、先にちょっかい出したのはこのkatsuta66という人でしょう。撤退戦略取らずにケンカ売るのは30歳までにしろよ。
初代ニコ動みたいなサイトを作った。動画の生データを保持するサーバは手元に持たないタイプ(寄生型というやつ)。動画上をコメントが流れる感じも初代ニコ動みたいな感じ。
サービスを始めたときはまずブログや2chなどで、自作自演でURLを載せたりしてた。数週間後、急に動画が増えだした。国内アニメと思われる動画が次々に上げられてくる。数十の動画が、ほんの1人の手によって次々に登録されてくる。とある動画が登録された瞬間アクセスが100倍以上になり、人生で初めて「アクセス過多でサーバが落ちる」というのを経験することになった。
その後も、利用者のほとんどが検索サイトやアニメ紹介まとめブログ系からの直リンク、あるいはime.nu経由でやってくる。そして、最初から特定のアニメを目的にやってくる。必然的にページランクがあがっていく。
自分は、著作権に違反していると思われる動画が多いことに困っていた。著作権者が知らないところで動画が再生されていてはいけないような気がしていた。そこで、権利者向けの連絡フォームをサイトに設置することにした。そして、その日から複数の権利者から削除依頼が来た。
いくら自分のサイトに動画がアップ登録、動画そのものは自分が持っているわけではないことを伝えてみたが、手元に動画データがなくても結果的に再生できるのはマズい、そして、権利者が指摘した動画が再生できないように処理してもらえればそれで良い、との説明をうけたので、遅くとも連絡をもらった当日の夜には削除することにした。
翌日、また違う動画に対して削除依頼が来たので、同じように削除して返信。これを繰り返す日々。そののち、他の権利者からも連絡が来るようになり、言われたものを削除。権利者によっては、その会社の定休日(土日祝など)には連絡が全くとれないところもあり、このことから、どうやら権利者のみなさんは多かれ少なかれ人手を割いて削除要請を行っているものと容易に想像ができた。
かなりの量の動画がたまってきて、削除依頼を送ってくる権利者がどんどん増え続け、どの権利者さんも言う「速やかに削除して下さい」という要望に添えなくなってきた。そして、体調を崩して入院することになった直前で一旦サービスを停止した。
こんな感じです
人より言葉やパンクチュエーションを無駄に(というのもそこには大した美学や整合性もないから)気にするたちであるとは自覚している。
「死」という言葉の重さ云々と今更ここで滔々と述べても誰の為にもならないと思うのでそこは省略するが, です。
「死ねばいい」という言葉は彼女達にとってきっとジャングルジムのてっぺんの様な誇らしいものなのであろう。
最初は「嫌い」「気持ち悪い」という言葉だったのがどんどん高いところへ憧れていき
「死ねばいい」と飛び降りる瞬間その言葉の持つ危うさ,スリルを楽しんでいるのだろうか。
死ぬという言葉を否定しているわけではない。例えば「 」に描かれる死はまさに的確に人の死への恐怖や好奇心を描写していると思うし,その他私たちにとって乗り越えられない(そして乗り越えられないことが好ましいであろう)死について興味深い考察を残した作品は沢山ある
(2012年1月書き直し。文章が長いという意見が多く見られたので箇条書きでまとめ直した)
自分の父はまだ生きている。本当は死んだら書こうと思ったけど、今匿名で書く。
幼少期に父にされた事
これでコミュ障にならない方がおかしい。なんとか仕事して生きているけど、いつもスレスレ。で、そういう状況を相談すると「なんできちんと考えないんだ」と返される。
まあ、こんなのだから、60になった今じゃ、友達もおらずに常に一人だけど。
正直、父と酒を飲みかわせる人がうらやましい。自分の父とは、嫌悪でいっぱいで酒がまずくなる。一秒だって一緒にいたくないのに。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう(直すってのは方言らしいです、すまん))などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。
イニスと別れた後にもロデオのピエロをひっかけようとしたり、寂しくなったらメキシコで男を買うような奴だった。
牧場主任の男とも関係があった。イニスには妻と不倫してると言ってたが、できてたのは旦那の方とだろう。
イニスはホモじゃなかったけど、ジャックと出会ってホモになった。
もちろんイニスにもホモの素質はあった。幼い頃、近所の牧場で殺されたホモの死体を見せられたことがトラウマになっていたからだ。
イニスとアニマはジャックのことがバレてなくても別れていたと思う。アニマは都会志向が強いが、イニスは田舎から離れられない。アニマとモンローの関係はイニスと離婚する前からあったと思う。
ジャックがホモとバレて男たちに殺されたのか、ほんとにタイヤのパンクで死んだのかはわからない。
けど、ジャックの両親は、ジャックの性質のことは知っていたし、受け入れていたのだろう。ジャックの妻は、ジャックがホモだったとは最期まで気付いていなかった可能性が高い。
結局、ホモが受け入れられなかった時代にホモだった奴らの話だった。
それ以上ではない。
ダウンタウンというコンビについて、「天才・松本を補佐する凡才・浜田」という間違った認識の人間がとても多い。ゆとり以下のガキどもに至っては、浜田に対して、クソつまらん芸人だという認識しか持っていないと思われる。
たしかに近年、クソ番組でMCをただこなしているときの浜田は、いくつか落とすパターンこそ持ってはいるが、さんまや、中堅のくりぃむ上田等に比べると、明らかにパターンの数が少ない上に、相手の話を膨らませる能力にも乏しくはっきりいって面白くない。
浜田がその実力を遺憾なく発揮し芸人として、テレビタレントとして革命的な存在だったのは、売れ始めてから成り上がるまでの時期だ。
テレビ画面に現れた、まだ若さの残る浜田は、競演した大御所や先輩タレントに対して、問答無用でツッコんでは、時にどついてみせた。
たったこれだけである。
だが、これがとんでもなく衝撃的だったのだ。
それに先んじて、とんねるずが お笑いとアイドル・ミュージシャンとの関係性を変化させていた。当時、芸人は歌手より地位の低い物と見なされており、「公の場」でアイドルをバカにしたり、ミュージシャンに無礼な振る舞いをする芸人は、ほぼ存在しなかった。たけし(軍団)ですら、公の場ではその関係性を守っていたのだ。
だが、とんねるずは体育会系のルールそのままに、年上に対してはそれなりの礼節を持って振る舞ったが、年下のアイドルやミュージシャンに対して、平気でタメ口をきいたり、時にバカにしたりして笑いに変えた。そうして芸能界の暗黙の掟を一変させたのである。
浜田の革新性は、こういった土台があったからこそという側面はある。それでも、芸能界において先輩後輩の序列は絶対であり、そこを侵す者は現れなかったのだ。浜田を除いて。
そのことに気づいてから、俺はテレビで浜田を追いかけるようになった。相手が誰であろうとも、己の信念と姿勢を曲げることなく容赦のないツッコミを浴びせる浜田は間違いなく『パンク』な存在であった。そして、上下関係抜きの辛辣なツッコミを浴びせても、浜田は決して場の空気を乱すことがなかった。それ故に、つっこまれた人間は、浜田に怒りの感情を示すことがなかった。松本の天才性の陰に隠れてはいたが、この事実は、浜田もまた紛れもなく天才であったと言うことの証左である。
だが、いつの頃からだろうか。おそらく、ダウンタウンが多くの冠番組を持ち始めてからのことだが、主に若い世代から、浜田に叩かれることを喜ぶような連中が現れた。こうなると、もはや猪木のビンタと変わらない。ツッコミの鋭さそのものは変わらずとも、その意味合いは、全く別のものになっていった。
わたしはそれを否定する。松本が天才であったのは間違いないが、浜田という斬り込み隊長の存在がなければ、もっとマニアックな存在としてしか、世に出ることはなかったと思われる。若かりし頃の浜田には、とんねるずと同じように、予定調和をぶち壊し、新しい地平を切り開く革命家としてのパワーが宿っていたのだ。それは、ともすれば狂気的とも言えるものであった。
浜田が切り開いた新しい地平の上で、松本がその才能を遺憾なく発揮した結果として、日本のテレビお笑い史上最高のコンビになった、というのが俺のダウンタウンに対する短評である。
今のテレビお笑い界、特に若い世代に、登場するたび「今日は何をやらかすんだろう?」と、わくわくさせてくれる存在がいるだろうか? 浜田もとんねるずも年をとった。丸くなってしまった。たとえ懐古厨と言われようとも、俺をテレビに夢中にさせた、かつてのダウンタウンととんねるずほどの存在は、テレビに誰一人見あたらない。強いて言うなら大泉洋であったり、ブラックマヨネーズであったりといったところだが、大泉は役者であるし、ブラマヨは真の実力(フリートークスキル)を発揮できる場を与えられないまま年を重ねている。
寂しいことだ。
花をきれいだと思わない子どもたち
http://anond.hatelabo.jp/20110711193536
を読んで森博嗣のこれをおもいだした。
絵を描くことが好きで、自分一人で絵を描いて、誰にも見せない、ということが子供のときからよくあった。人に見せないのは、その絵が上手に描けたかどうかは、自分で判断ができたからだ。逆に、大人に見せても、ちゃんとした評価をしてくれない、という思いが強かった。小学校の低学年のときには、既にそうだった。たまに、ここが良い、ここが悪いとずばり的を射る指摘をしてくれる大人がいて、「あ、凄いな」とこちらが大人を評価する、という立場なのだ。思い上がった子供である。
しかし、ちゃんと見てくれる大人は、例外なく自分でも絵を描ける人だった。プロの絵描きのような人も多かった。小学校の担任は、国語も算数も教えてくれる先生で、でも絵を見てくれる先生ではない、ということは理解できた。どこにでもあるような、こじんまりまとまった、全然つまらない絵を褒めるのだ。無難な配色で、楽しそうにしている人たちを描いた絵だけが褒められる。明らかに大人が描いてほしい絵であって、子供にしか描けない絵ではない。それは作文でも同じだったし、音楽でも同じだった、と思う。たとえば、小学生がむちゃくちゃなパンクを歌っても、褒めてもらえないのである。
大人は、空が綺麗だ、森林が美しい、花が可愛い、といった既成の平凡な価値観を子供に押しつける。子供たちは、大人に認められたい、親に褒められたい、良い子になりたい、という一心で、持っていた個性と感性を捨てていく。
動物を見たら怖いと感じる。臭いと思う。それが自然である。「ほら、可愛いね」という大人のなにげない一言、その押しつけの繰り返しが、芸術家を少数にしているのではないか。
元増田は無関心の話をしていて、森博嗣は価値観の押し付けの話をしているので、別に意味はないです。思い出しただけ。
ただ、「評価する側」のついて最初にきちんと言及しているところが、この文章のすごいなぁと思うところ。
結婚3年目。そろそろ子供が欲しいと夫に言われて、子供が欲しくないことに気付いた。
夫の子供が欲しくないのか、誰の子供であろうと欲しくないのかはわからない。
まず育児中の収入についての不安。半年間休職するとして、その間私の収入は給付金頼りで半分になる。
もし、未熟児や病気を抱えて生まれたりしてお金がかかることになったら…
私の独身時代の貯蓄に頼るしか無くなる。それで足りるかどうか。夫は趣味にお金を使うため、貯蓄は期待できない。
そして育児についての不安。ネグレクトは孤立した母親が起こすと言う。
私は仕事についての不満・愚痴は自己解決できるので夫を頼る必要が無いが、
しかも、乳児は昼夜関係なしに親を起こし授乳やおむつ交換をせがむものだが、
私は本当に残念なことに、毎日十分な睡眠をとらないとすぐ体調を崩すタイプだ。
さらに残念なことに、夫も似たタイプで十分な睡眠を必要とするし、一度寝ると本当に起きない。
もし私と夫が二人とも寝入っている間に、子供が突然死してしまったら…
一人の時間も少しは欲しい。結婚してからはいつも家に夫がいるので、河川敷を一人で走るようになった。
学生時代はバスケのような動きのある運動が好きで、走るだけなんてつまらなく感じていたが、
あの時間が私の精神安定を支えているので、大事にしたいと思っている。
妊娠中も、育児中も、ずっとその時間が作れないのだと思うと、それだけで追い詰められるような気持ちになる。
夫は人の話をあまり聞かない。何か悩み事とか無いの?と向こうから聞いてくるのはいいが、
最後まで聞かずに説教を始めるので、余計にストレスになる。結局、一人で熟考して決めたほうが上手くいく。
最近は色々と面倒になり、解決が簡単な"悩み事"をストックしておいて、
夫に聞かれたときに蔵出しし、二人で即効解決できるようにしている。
私が育児について悩んだら、そんな余裕も無くすぐにパンクすると思う。
夫は頼りにならない。子供を見ていてねと頼んでも、見てくれずに一人でPCか何かで遊んでいる姿しか想像できない。
全て私がやることになって、私がパンクし、何もかもが私のせいになることしか想像できない。
今日夫と一緒に行ったスーパーで、若いお父さんの足にくっついている小さい女の子を見かけた。
夫が「やっぱり子供かわいいよなあ」と言った。そう、もちろん子供は可愛い。
でも可愛いだけでなく大変なことも沢山ある。病気もする。経済的に苦しくもなる。
わが子が人に迷惑をかけることだってあり、その責任は子供が成人するまでは親が負うものだ。
わかった上で、欲しがっているんだろうか。
無邪気な夫を見ていると、捨て猫や犬を拾ってくる子供を思い出すのだ。
可愛いから飼いたい!絶対面倒見るから!そう言ってお母さんを説得し、しかし数週間で飽きて、
結局餌やりや散歩は全部お母さんの仕事になっていく。子供は気が向いたときに遊ぶだけ。
夫の年相応の横顔に宿る雰囲気は、年不相応な少年のそれだった。
やはり私たちに子供は無理だ。
いつ、夫に切り出そう。
3回目ぐらいの家デートで、押し倒された。
成り行きはよく覚えていないけれど、確かその前に電話で喧嘩をして、
でもなんで「本番」になったのかは本当に覚えていない。やっぱり頭がパンクしてたのかな。
ベッドで上を脱がされて、胸を愛撫されて、その時は少し気持ち良かったと思う。
手を誘導されて相手のものを触らされて、でも今にして思えば結局最後まで相手のものを見なかった。
触った感触だけで、「何だろうコレ」に近いものがあったと思う。
知識として男性にはそういうものがあるんだ、ということは知っていても、ちゃんと見たことはなかったし、
性行為がどういうものかだって知っていたけれど、実際にしたことはない。
気持ちが良いという感覚は雑誌を読んで自慰をしたこともあったし、知っている。
でも誰かに気持ち良くされたことはない。
頭でっかちで、知ったつもりになって、何も知らない本当に垢まみれの処女だったんだと思う。
愛撫されつつも、残った理性での「どうなるんだろう」「何をしてるんだろう」という疑問が渦巻いてぼーっとしているうちに、
下の服も脱がされてアソコを触られた。
多分その時はもう濡れてたんだろう、「入れるよー」っていう一言で挿入された。
覚悟とか、そんな余裕もなく、激痛が走った。本当に激痛としか言いようがなかった。
一番自分でもよくわからない場所が、焼けるように痛くて。怖くて。
でもまだまだ入りきっていないから、だんだんと挿入は進んでいく。そのたびにどんどん痛みが増していく。
怖くて怖くてしがみついて、「痛い、痛い」と泣き叫んだ。
相手は「大丈夫だから、もうちょっと我慢して」と言ってさらに挿入する。
そう言われて必死で堪えてしまった。やっぱり好きだったんだろうな。
挿入はなんとか終わったけれど痛みは激しく、おさまるまでは動かずにいてくれた。
だいぶ痛みが薄れてきて、じゃあ・・・と動かされるとまた激痛。
気持ちが良くなるとかありえなかった。
あまりにも痛がって泣き叫ぶ私に困ったのか、相手はどこからかローションを取り出して結合部に塗った。
でも痛みは全く薄れなくて、結局口を押さえられて相手がイクまでただひたすら耐えるだけだった。
コトが終わり、シャワーを貸してもらって、シャワーを浴びながら泣いた。
こういう事態を招いたのは自分で、コトが始まった時だって拒絶もほとんどしなかったし、
全てが自業自得というか、あるいは望んだことだったかもしれないのに。
甘い、あるいはロマンティックな幻想が全てなくなったような。
それでもその時はまだ相手を好きだったから、
結ばれてよかったとまでは思わなかったけれど、その後も普通に過ごして自宅へ帰った。
その後は電話をしてもそっけなく、電話の向こうでゲームをしてる相手に話しかけるだけ、が普通になった。
1カ月ほどして迎えた私の誕生日にメールのひとつもなく、こちらからかけても相変わらず上の空。
大学受験の日にも何も連絡がなかった時点で、私の中で諦めがついた。そしてこちらからの連絡を全て絶った。
結局連絡を絶ってからも、相手からは何一つとして連絡があることはなかった。
その頃にはインターネットでの関係もバラけつつあったので、ネット上で会うこともなく。
完全に自然消滅だった。自分の気持も、相手への恋愛感情は不思議なぐらい残らずに。
ただ性行為への不快感というか、拒絶というか、諦めというか、そんなようなものが残った。
正直なところ10年近く経った今もまだ、この不快感は消えていない。
愛している相手と、一つになれる、一番近くにいれる。そういう意味では嫌ではないけれど。
素直に気持ち良くなることができないし、気持ち良くしてほしいともあまり思わない。
愛撫されれば気持ちが良い時もあるけれど、挿入はいまだに気持ち良くなったことがない。
むしろ気持ち良くしようと頑張ってくれる夫に対して申し訳なく思ってしまう。
私は気持ち良くならなくていい、貴方が気持ち良くなってくれれば、とは言っているけど、やっぱりそうもいかないみたいで。
性行為に「何のため?」なんて思うことが馬鹿げているんだけれど、
何のためにあの初体験があったのか。
いずれは通る道だったし、少なくとも顔も知らない男にレイプされるとかじゃなかったわけで、
その時好きだった相手と経験できたというのは恵まれてる部類なんだろう。
でもあの時の自分は、まだきっと恋愛とか、性行為とかに、夢を見ていたかった。
処女を捧げる、という行為をやっぱり神聖に思っていたし、自分のタイミングで捧げたかった。
好きだった相手でも、あの状況での行為に対して私は「処女を捧げた」とは思えない。
結果を見れば相手は処女を味わえたから私はもう用済み、ということだったわけで。
2年の夢のあと、1時間の地獄を見て、1カ月の寂しさを経験しておしまい。
不思議なくらい空っぽになった心には、自分を労わるとか大切にする、という感覚も抜けた。
その後付き合った人には数カ月で体の関係を持ったり。
それでも比較的すぐに今の夫に出会えて、性行為に関しては苦しみながらも
愛し合い分かり合うこと、自分を大切にすることも取り戻せたと思う。
性行為も「したい」とは言えないけれど、嫌じゃないし、夫はいくらでも愛せる。
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
安定して幸せなときには、筋金入りの音楽好きでない限り、音楽を熱烈に必要としない。
普通の人は、片思いが辛いときに片思いソングを欲し、失恋が辛いときに失恋ソングを欲する。
作詞者としても感情が大きく動く、片思いや失恋についてのほうが創作しやすいんだろう。
恋愛以外でエネルギーを持つといったら、社会批判や憎悪の要素を持つ歌詞になると思う。
曲や編曲がすごく好きでも、「無政府万歳」とか「女を解体、内臓を引きずり出す」みたいな歌詞だと、
聴きながら引いてしまうし、ipodを見た人に反社会的で攻撃的な人間だと思われても困る。
そういう、あんまり反社会的な歌詞は困るなあ、曲や編曲は好きだけど、という需要から、
曲はロックやパンクだけど歌詞はただのラブソングという、思想的に骨抜きのものが生まれてくる。
無難に普遍的に需要を持つのがラブソングなのだということだと思う。
だからいろんなタイプの音楽がラブソング化してしまい、ラブソングばかり溢れるようになる。
で、
http://www.adcircle.co.jp/greenbelt/news/contents/2921.html
http://www.vsearch.co.jp/entry/news07/post-6653.php
なんだけど…。
まず店舗数の減少は実は反パチ派にとっては喜ばしい事態でも何でもなくて、単に中小ホールが淘汰されて大型店が増えているだけ。
こっちのソースを見てもらえば早い。
http://www.adcircle.co.jp/greenbelt/news/contents/4384.html
ただ大型チェーンの方が警察も送金とか脱税とか監視はしやすいだろうから喜んでもらってもいいのかな。反パチの方が何を目指しているのかは知らんけど。
もう一方の売り上げ減少は反パチで新規客が減ったのももちろんあるんだけど、
・趣味が多様化している
・1パチの流行
っていうあたりの方が大きいと思うんだよねえ。
元の記事を書いたものです。コメントありがとうございます。
しかし、国難だからといって東京電力や政府を信頼しろなどと言うのは納得がいかない。
そういうご意見はよく目にするのですが、では政府や東電が「信用できない」と仰るのは何故でしょうか。私も「完全に信じろ」と言っているのでなく、「一応は信じるべきだ」と提言しているだけです。もちろん、政府や東電がたまに情報を後出ししたり訂正したりしていることは事実ですが、だからと言ってたまの後出しや訂正で「やっぱり信用できない」と決め付けてしまうのはどうかと思います。
「話半分で聞く」というのは、「すべて本当だと決め付けず、すべて嘘だとも決め付けない」ということで、何だかよいことのようにも思われます。しかしそれは、「信用しない」というのとどこが違うのでしょうか。疑うのは悪いことではありませんが、しかし疑ってばかりいて、いつまでたっても何も信じようとしないのはよくないと思います。
また、仮に政府や東電が信用できないのであれば、一体何を信じるべきでしょうか。「まず疑って、複数の国際機関や専門家が政府や東電に賛同しているのを確認してから信じる」というお考えなのかも知れませんが、それでは数日のタイムロスが生じます。しかもこれまでの経緯を見ていますと、複数の国際機関や専門家はほぼ常に政府や東電の対応を支持しています。反対しているかのように見えるのはただの誤解だ、ということは元の記事にも書きました。もういい加減、政府や東電にそれなりの信頼を置いてもいいのではないでしょうか。
そして何より、原発に反対する音楽家が頭空っぽのバカのように書いたのは許せない。
パンクロッカーはすべからく反権力で政府や企業のやる事なす事すべてにこだまのように反射的にことごとく反対しケチを付けるべきなのだ、ファッキン。
それでは。
識者や有名人の誤った言動もあるだろうし、
海外メディアが過激な記事を書くため煽動された面もあるだろうし、
情報が隠蔽されているのではないか、報道は正しくないのではないかといった
人は与えられる情報が多ければ多いほど正しい判断が出来る、というのは幻想だろう。
だから不確実な情報が広まらないようにして、情報を集約して確実な情報を流すという政府の方針は正しいと思わなくもない。
しかし、国難だからといって東京電力や政府を信頼しろなどと言うのは納得がいかない。
信用できないものを信頼などできようか、それこそ盲信ではないのか。
事実を見極めるためには当事者である東京電力や政府の発表も話半分で聞くべきではないのか。
そして何より、原発に反対する音楽家が頭空っぽのバカのように書いたのは許せない。
パンクロッカーはすべからく反権力で政府や企業のやる事なす事すべてにこだまのように反射的にことごとく反対しケチを付けるべきなのだ、ファッキン。
今回の震災で特にけがはないけどライフライン停止で困った増田です.
まず第一に、我々に見せつけられたのは、被災
元記事を知らないので,その方の考え方についてはわかりませんが,
地震やら台風やらで苦労するのは今に始まったことではないので,
その圧倒的な力の前で,今回いろいろとネットの力が発揮されたのは,
人類が(ちょっと大げさ)また一つ抗うための武器を手に入れたと喜びたくなるのでは.
やはり情報源としては強い.震災にあった時,まずTVを見たいと思いました.
twitter上では「ゆれた!」というtweetばかりでそれ以上の状況把握が困難.
最初の状況把握手段としてTVやラジオは圧倒的に強かったと思います.
東電の輪番停電情報とかニュースで聞いただけではほとんど意味不明でしたよね.
twitter経由で入手できたり地図化されたり表データ化されたりと便利になって流通.
これは放送ではなくネットという情報流通形態があってこそでしょう.
こういうネットの優位性の話は今に始まったことではないのだけど,
まぁ元増田が言いたいのは,元記事の人があまりにも小さな事例一つをとって