2009-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20090214053710

違う違う。たんに日本に「演説」の伝統がないだけなんだよ。

ヨーロッパにはローマ以来の伝統があるから、もともとラテン語古典を物真似したんだ。シェイクスピア歴史劇で登場人物が演説しだすと、見てた貴族ラテン語でぶつぶついいだしたんだって。子供の時に勉強したやつを、大人になっても覚えてるんだね。それにヨーロッパの所詮片田舎英語なんてものはかっこいいんじゃなくて、むしろダサダサの言語だったのさ。

だから、言葉がカッコイイとかじゃなくて、田舎っぺのイギリス人の、さらに落ちこぼれかつニート連中の子孫が、大昔の真似して権威づけてるだけなんだよ。本当はね。

日本に「演説」という言葉が輸入されたのは明治になってから。speechってなにかが分らなかった。似たようなもので、坊さんが道端で仏教の教えを説いていくのに似てるなあって、その延長線で理解されたりしたくらい。それくらい、speechってなにか分からなかった。それくらい、文化の違うものだから、アメリカのほうはゲタをはかせてもらってるわけ。日本のほうは履けそうな下駄がない。

ま、でも、もうそろそろ名演説が出てきてもよさそうなものだけどね。小泉さん郵政解散演説くらいではなあ。政治家はもっと演説が上手にならなきゃいけないね。

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