2008-02-06

ふとした思い出話。

高専に通っていた頃、試験前になると有志で勉強会をやっていた。出席率は日(教科)によって変動はあるものの概ね30-40%くらいはあったかと思う。つまり、15人弱くらい。

他の高専はどうかは分からないが、うちの高専は大体試験というと、2ないし3教科×5日、くらいの日程だった。教官も一応考慮してくれているのか、暗記系科目(とにかく覚えていないと話にならない教科)+計算系科目(理解していないと話にならない教科)、という組み合わせになっていることが多かった。3教科の日はこの二つに、教養科目(わりとどうでもよい教科)か過去問依存教科(過去問さえやっていればOKな教科)あるいは今更足掻いても不可能な難問教科、が加わる。

基本的に暗記科目は前日資料を作って覚えて……というわけにはいかない。従って、まじめな人間は一週間くらい前には試験範囲をまとめた資料を作るし、不真面目な人間はそれを入手する(作る過程で覚える事項の方が多いのでかなりダメダメなのだが)。そして暇を見ては眺めることで大体の試験勉強は終了する。あとは試験直前のダメ押しくらいだ。

故に、前日の試験勉強は計算系科目に絞られる。しかし公式を覚えていれば何とかなる教科(これはどちらかというと、暗記系教科に分類されがちだが)はともかく、ほとんどの計算系科目(つまり力学系)は公式を覚えるだけでは太刀打ちできない。公式暗記ではちょっとした(あるいはかなり意地悪な)ひねりに対応できないのだ。しかし授業を聞いても理解できなかった諸々が、突然試験前に一人で勉強したからといってどうにかなるわけがない。

前置きが非常に長くなったが、ここで勉強会の登場である。

大体クラスが40人もいれば、何人かはものすごく飛びぬけてできる人間がいるし、10人も集まれば一人くらいはその教科が好きで好きで堪らない人間がいる。よって持ち回りで講義するのだ。教える人間は教えることで自分の理解を深めることができるし、教えられる人間教官よりも「分かり易い言葉」で理解を得られる。大昔に理解した人間よりも、最近理解した、まだまだ理解したときのフレッシュさが残っている人間の方が、やっぱり説明はうまいのだ。経験論なのだけど。

なので試験の前日(というか試験期間中)はずっと、放課後の教室で持ち回り講義大会をやっていた。メールで「今日、○○が線形代数講義するよー」とか、「材力の演習3-1が分からないんだけど分かる人いる?」「分かるから今日放課後教室でやろか?」「あ、講義するならいく」みたいなやり取りがよく流れていたし、どうしても分からないことがあったりすると誰かが教官研究室に突撃する→放課後講義大会クラス全員に教える、というようなルート確立したりもしていた。あるいは電気系の教科だったりすると、電気科の知り合いにゲスト出演願ったり(これまた機械科が死にそうな目にあってるものだって、電気人間にすれば「常識常識へのかっぱ」だったりするのだ)。

中学時代なんかは試験勉強というと孤独な戦いだったり、試験勉強会と称したお茶会だったりしたものだけど、高専でようやく、"効率的な勉強"みたいなものを知ったなーと思う。

私はわりと材料力学が好きだったので材料力学担当的な位置にいたのだけど、誰かに教えるとなるとかなり深く理解していないといけないし、何より「教えなければ」と思うと、「責任を持って今回の材力の試験範囲は完璧にしておく!」みたいな心持になったりもする。

結局二年生頃に始まったこの習慣は、五年生で卒業するまで継続した。五年生時は各自の研究室でさまざまに講義大会が開催されて、結構な活発ぶりだった。いい感じであの勉強会は続けられたなあ、と今でも思う。勉強が楽しかった記憶というと、まず最初にこの時代が思い浮かぶくらいだ。

教官方には、「常日頃からそれをやってくれれば……」などと嘆かれることもあったけれど、でも試験勉強、というイベント的なものだからあそこまで勉強にのめり込んだり熱心になったりできたんだろうな、と思う。

ふとした思い出話。

  • うちの高専にはそんな文化はなかったなぁ。 いやまあ、私が知りうるのは、自分のクラスだけですが。 寮生活者が多く、勉強をしてて困っても、詳しい人を探すことに大して苦労しなか...

    • 確かにうちが寮のない高専だったが故の習慣だったかもしれません。 家に帰ってしまうと頼れる人間が皆無ですからね>高専の試験勉強

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