2007-08-11

今年も8月15日が近付いてきたけれど

靖国参拝問題について以前から疑問なのは、そもそもどうして戦争責任やら内政干渉やらといったことが主題になるのか、ということだったりする。だって、(乱暴な言い方をしてしまえば)善人だろうが悪人だろうが死んだら等しく一柱の神になるというのが日本古来の宗教観でしょう。自覚的にしろ無意識にしろ、そうやって日本人祖先を祭ってきた。仏教キリスト教の伝来とともに流入してきた天国地獄概念さえ、そのアニミズム的な死生観と混ざり合い、和風カレーライスのようにマイルドになってしまった。死者はみな尊い――ここで「戦犯かどうか」などという些細な属性は無に帰す。

参拝に反対しない人々の心情としては、戦争に関して本当に責任がないって信じているとか国家のために戦った英雄だと考えているとかそういうこと以前に、単純に「既に死んでしまった祖先の墓を掘り起こすような真似はちょっと……」という感覚があるんじゃないかな。賛成も反対もない。つまり、問題はそうした宗教観の相違にあるわけで、大陸流の骨太の死生観を持つ人たちにどうやって有耶無耶の美徳を伝えれば良いのかという点を議論しないでいったい何を議論するというのか、と思う。日本国粋主義に向かっているとか中韓が自国の政治問題を隠すために反日感情を煽っているとか、そんな表層の議題は取り上げれば取り上げるほど問題の本質から遠ざかる。

単なる国際政治歴史認識の問題じゃない。これは宗教間の対立なのです。宗教戦争の経験のない日本は、はたしてこの問題に上手く対処できるんだろうか(というか、そもそも円満に解決した宗教問題って人類史上に存在するのかな?)。8月15日に閣僚がみんな公務で海外へ行っているよ不思議だねー、というのは割と上手い対応に思えるけれど。

関係ないけど

「公務としての」靖国参拝にこだわった彼とか彼にしても、パフォーマンスとか権力の誇示を意図したというより「まつりごと(政治)」と「まつりごと(祭事)」を同一視する伝統精神の影響大な気がしている。国家元首としてそうしないと気持ち悪かったんだろう。でも、それを言っちゃうと政教分離大原則がピンチになるからね……

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