はてなキーワード: 朝鮮人とは
主人公寅子の明律大女子部時代の学友である朝鮮からの留学生・崔香淑が再登場した。
共に法律を学ぶ女子の仲間でありながら、試験に受からないまま「同居の兄が特高に目をつけられたため」朝鮮に帰国して以降消息不明だったが戦後に偶然再会。
彼女は学生時代は(他の女子部の仲間たちと比べて)あまり深い所まで描かれず、
いまいち存在意義が分からない、いかにもNHKから「多彩な国籍の俳優を出してね」と要請されたための枠っぽい臭いを感じていたんだが、
どうやら女子部の学友たちは戦後全員再登場するらしい、と聞いて
在日朝鮮人問題つったら女性差別だの同性愛差別だのと比べても圧倒的に触っちゃいけない闇深さだろうに
その辺突っ込んだら色々ヤバいんじゃないか、NHKの偉い人から止められるんじゃないか?どうすんだこれ?と思っていた。
そして再登場後語られた香淑の帰国後の経緯は、
その後に知り合った汐見と惹かれあい結婚したが、その事で双方の実家から勘当されて行き場がなくなり
そして日本では朝鮮人だとバレると差別されるため、過去を捨てて日本人の「汐見香子」として生きている、とのことだった。
さて、ここから彼女がどうするのか。この物語中で今後の彼女をどう描くのか。
彼女は所謂在日朝鮮人なんだろうが、夫は日本人だし判事という固い仕事、かつどう見ても「いい人枠」で今後クソ夫に堕ちることもなさそうなので
表向きさえ日本人のふりをしていれば特に生活に困る事はないだろうし子供も日本国籍だろう。
実家とは縁を切られて過去を捨てているので、朝鮮人の友人知人親戚等がこれ以上出てくる事もない。
夫の汐見の方も実家に縁を切られている設定なので「日本人家庭に嫁いだ朝鮮人妻の苦労」といった事も特に描かれないだろう。
香淑が家族から汐見との結婚を反対された理由も「兄を酷い目に合わせた国の人だから」と、だいぶ個人的な理由にされていた。
(実際は兄の事だけではないと思うんだが)
香淑は元々留学中は日本語読みの「さい こうしゅく」と名乗り周りからもそう呼ばれていたが、
帰国間際に仲間たちから本来の国での読み方を尋ねられて「チェ ヒャンスク」と答えたところ「じゃあ『ヒャンちゃん』と呼んでいい?」と言われ
そう呼ばれるようになるというエピソードがある。
なので再会した寅子も「ヒャンちゃん?」と聞くのだが、「その名では呼ばないで」「崔香淑の事は忘れて」という。
「本来の国の名前で呼ぶべき」というエピソードをわざわざ入れた後で「その名前を否定する」展開になっている。
なるほどテーマを「名前」に絞れば政治的にセンシティブなあれこれに触れずに「在日朝鮮人問題」の一端を描けるかもしれない。
「生まれた時の名を差別にて奪われる苦しみ」という意味では先週やっていた(現代にも繋がる)夫婦別姓問題と繋げたつもりかもしれないし、
「本来の自分を隠して偽の自分で生きる苦しみ」だったらこれも朝鮮云々だけではない幅広い話となりそうだ。
今後はその辺りだけを描いて「在日朝鮮人問題」にそれ以上突っ込む事はしないのか、それとももっと何かしら突っ込むのか。
いかにも伏線っぽく「親しげに『香子ちゃん』に醤油を借りに来たおばさん」がいたが、恐らく今後はこのおばさんに朝鮮人だとバレるんだろう。
そこで差別されるのか、それとも「私はそんな事気にしない」となるのか。
朝鮮人がいるぞおおおおおおおおおおおおお
https://www.riken.jp/press/2024/20240418_2/index.html
さらに、共同研究グループは中国、韓国、日本から報告された古代人ゲノムデータを使って、東北と関西の間の遺伝的親和性の違いを評価しました。
その結果、関西人と黄河(YR)またはその上流地域の中新石器時代および後新石器時代古代中国集団との間に顕著に密接な関係があることが見受けられました。
対照的に、東北地方の個体は、縄文人との遺伝的親和性が顕著に高く、また沖縄の宮古島の古代日本人ゲノム(高い縄文比率を持つ)や韓国三国時代(4~5世紀)の古代韓国人とも高い遺伝的親和性を持つことが示されました。
政治の話をすると人の本性が見えるのだろうか。伯父と都知事選の候補者について話す機会があった。
元々右寄りの人間であるということは知っていたが、純粋に候補者についての見解を聞きたくて気軽に話を振った。
「百合子蓮舫石丸がトップ3みたいだけど、学歴詐称女と二重国籍女とフェミシンパ市長がトップ3じゃちょっとな、どう思いますかね」という聞き方をしたら「まず桜井、次に田母神」とバッサリ言ってきた。
自分も保守寄りの人間で、在日韓国人に利権があることはおかしいと思っているし、外国人参政権なんてもってのほかだ。碌にルールも作らず移民だ共生だという自民党のやり方はおかしいと思っている。
原発は再稼働するべきだし減税もすべきだし、閣議決定でLGBT増進法を通してしまうのだって絶対におかしい。
でも個人的に桜井誠はやりすぎだ。なにせ政治活動をして逮捕されたことのある人間だ。
「桜井誠は在特会の創設者で、ちょっと極端じゃなかろうか」と言ったその瞬間、伯父は豹変した。「なにが極端なんだ!言ってみろ!法律を守ろうと言ってるだけだ!」激昂して掴みかかってきた。
在特会のことは昔から知っていたが、暴力沙汰を起こして逮捕されたニュースを見て、「この人たちが目指すところとはちょっと違うな、関わるべきではないな」と思った。10年以上前のことだ。でもそんなことは、伯父に激昂された時にはとっくに忘れていた。
法律を守れって言いながら破ってるじゃないかって、忘れてなければ言い返してやりたかったな。
「覚えてません」って答えちゃって勝ち誇ったように「じゃあ極端とか言うな」って言われたの、正直悔しかった。
意見が違うからと手を出した時点で暴力革命を是とする伯父が大嫌いな共産党と同じやり口じゃないか?
「極端かもしれないと思ったからそれが正しいのかどうか話したいのであって、そもそもわたしは自分の視点を常に疑っている。でも桜井誠のやり方で票が集まるのか、この国をよりよく変えていけるのか疑問だと思ってる」って言ったら言い返してこなかった。
自分が正しいと思っていることが本当に正しいのか、どう思うのか、どうしていくべきなのか、どういう人間がリーダーにふさわしいのかという建設的な話がしたかったが、ムリだった。
父とはそういう話ができたから、その父の弟ともできると思ったが、間違っていた。
なんでも相談に乗るよ、というスタンスの叔父だったが正直失望した。人間として見習うところのある人だと思っていたが、軽蔑すらした。
自分の意見や考えていることが絶対に正しくて、そうでない人間には手を出してもいいと思っているのは絶対に間違っている。
例え公安に監視されている共産党だって、思想だけなら自由なのが日本だ。思想を暴力で押し付けることは、この国の在り方そのものを否定することに繋がりかねない。
自分も正しいし相手も正しい、という前提と信頼がないと建設的な会話はできないということを思い知った。身近にこんな人がいたとは正直まったく思わなかった。
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自由民主主義の国のトップに立つ者にはバランス感覚が必要だと思う。親戚同士でだってこんな望まない対立をしてしまうのに、1億人が集まったらみんな考えることなんてバラバラだ。
守るべきものを守り、変えるべきものを変える、民意をまとめるバランス感覚が優れていなければリーダーたりえないと思う(安倍首相は本当にバランスをとるのが上手だったと思う)。
それこそ日本第一党が主張する核武装論などバランスから逸脱してはいないだろうか。もちろん今にも戦争を起こしそうなお隣の野蛮の極み近平ランドを放置しておいていいはずがない。
だけどバランスをとるべきだ。日本人の多数が核武装を望むのであればすればいいが、今はそうじゃない。平和ボケしているだけかもしれないが、国民の多数が望んでいないことは国民に望まれないことで、主張しても支持されないことだ。
近平ランド以外の隣国に対してもそうだ。相手を必要以上に刺激してしまわないだろうか。たとえば隣国がNATOに加盟すると決めたら侵略した国は日本とも隣国だ。日本が核武装したら彼らはどうするのだろうか。それがきっかけで世界の構図が変わりかねなくはないだろうか。戦争の引き金になることや国際関係のバランスを考慮できているのか?
しかしだからといって「9条がある!自衛隊は不要!」などと主張して悪意のある国のされるがままになれば奪われるだけでこれもまたバランス感覚がない。
また、日本人になくて朝鮮人にある権利を否定することと、人種差別をしていいことも当然違う。むしろまったく別問題だ。人種差別をするような政治活動家は一歩間違えればヒトラーだ。
新大久保に集まって「ゴ○ブリ」などと汚い言葉を吐くのは良識のある人間として超えてはいけないラインだろう。
やっぱりわたしの視点からすると桜井誠や在特会は極端だ。バランスがとれているとは全く思わない。
相手がそうだから自分もそうしていいという考え方もあるだろうが、日本は法治国家だ。変えるべきことは暴力ではなく選挙で変えなければならない。
国がそうだということは当然だとして、これは家族という社会の中でもそうだろう。暴力には訴えず、話し合って、皆がよりよく生きていける日本にしないといけない。
日本人として、和を以て尊しとなせるように生きていきたい。そうしていくと誓った。
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今回のことがきっかけで「保守とは永遠の微調整」という言葉を知った。有本氏は「保守というのは極端なものを嫌うものだ」と言っていた。どちらの言葉も非常にしっくりきている。