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小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
ここ数日、増田界隈ではぬいぐるみペニス現象(ただの友人だと思っていた友達が突然恋愛感情(もっというと性欲)を見せてくると、女はドン引きする)について分かる・分からんの話が盛り上がっているが、今日Xで流れてきたある男性の「オペラ座の怪人」の解釈が、扱うものや主張の方向性は違えど、同じような議論の呼水になっていた。
事前情報としてお伝えすると、オペラ座の怪人といえば劇団四季でもお馴染みの、フランスの伝奇小説を叩き台にした、メロドラマミュージカルだ。オペラ座のコーラスガールのクリスティーヌが、謎の存在「オペラ座の怪人」に見出されてプリマドンナになるとともに、突然現れた幼馴染のイケメン貴族とあっという間に恋に落ちたため、怪人が嫉妬に狂って人を殺したりシャンデリアを落としてオペラ座を破壊したりする話である。
物語のラストで、怪人はクリスティーヌに「俺と結婚しないとお前の恋人を殺すぞ!」と脅迫するのだが、そこでクリスティーヌは怪人にキスをする。怪人は泣き崩れて、クリスティーヌを恋人ごと逃してやる。この切なすぎるラストは、いろんな解釈を産み、きちんと出版された二次創作や、さらには二次創作ベースの別のミュージカルなどもある。
今日Xに流れていたのは、デジタルデザイン分野でご活躍されている男性のツイートで「劇団四季のオペラ座の怪人を見に行ったが、ラストのキスシーンを2人が愛し合っている証だと理解できないほどに日本人の読解力は弱くなっている(要約)」というものだった。重ねて、「原語(英語)のままで鑑賞できない、日本人の英語力の問題だよなあ」という発言もあった。ただ、私もオペラ座の怪人は日本語版でも英語版でも複数回鑑賞し、英文のスクリプトも精読したこともあるので言いたいが、英語で読むと余計にそんな単純な話じゃないと思う。
ある一つの解釈としていえば、オペラ座の怪人は典型的なぬいペニショックの話でもある。うっかり幼馴染のイケメンといちゃついているのを見られて、怪人の怒りを買ったクリスティーヌは殺されかける上、その後拉致監禁され、無理矢理に怪人と結婚させられそうになる。クリスティーヌは強いショックを受け、そのうちに怪人を憎み出す。クリスティーヌにとって怪人は、死んだ父の代わりであり、腕のいい教師であり、何かと融通を聞かせてくれる守護天使なのだ。そんな相手が自分と結婚しろ、彼氏とは別れろなど、彼女からすれば青天の霹靂、ぬいぐるみ(無害な存在、なんなら都合のいい存在)が性欲モロ出しで迫ってきたも同然である。そのため、作中ではクリスティーヌが「ずっと私を騙してたのか!」と怪人にブチギレるシーンがある。観客からすれば、怪人がはじめからクリスティーヌを性的に見ていることは見て取れるが、怪人は「私は君の父親、守護天使」とあくまで下心がないとクリスティーヌには振る舞うため、クリスティーヌからすれば怪人は性的なことから遠いぬいぐるみである。
オペラ座の怪人はぬいペニ現場の分かりやすい例だと思っていたのだが、人によってはこの2人に男女の愛があると解釈し、あまつさえ「この解釈ができないのは日本人の読解力が下がっているから」と決めつけているので、こりゃあぬいペニ現象も分かる人・分からない人に別れるよなあと思った。
怪人とクリスティーヌは、怪人の思いが隠れているうちは信頼関係があった。なんなら2人に肉体的な接触はなかった。しかし、クリスティーヌの彼氏の登場により、怪人は粗暴な手段でクリスティーヌに言い寄り、結果ドン引きされている。ぬいぐるみにペニスがあるわけない、という思い込みが外れたショックに加えて、怪人がペニスを押し付けてくる(比喩)速さ・手段の荒々しさに、クリスティーヌは引いている。これで「ぬいぐるみだと思う方が悪い」「ペニスがないと思い込む方が悪い」というのは、さすがにクリスティーヌが可哀想ではないか。
それでも、これが怪人とクリスティーヌの激しい恋の物語で、ラストは愛し合いながらも引き裂かれる2人だ、それが正しい解釈だという風に言われるならば、ぬいペニ現象について理解が進むのって難しそう〜とげっそりしてしまった
俺が中高時代の頃はよほど欲しいと思ってたゲーム以外は、980円くらいで投げ売りでされてる所謂ワゴンのゲームばっかり買ってたんだよ。なにせ通常なら5000円くらいするのに、わずか1/5で買えてしまう。それがさらに中古ならもっと安い。
微妙にクロノトリガーの影響を受けてるような受けてないような過去に遡るRPG「カエルBバック」、今思えば妙にオタク臭い内容だった「ZERO ONE SP」、なんかシリーズファンから評判悪いらしいけど他は知らんから普通に遊んでた「ダライアスR」、右スクロールになったり左スクロールになったりで混乱した「鋼鉄帝国」、だんだんストーリーが狂っていく「ナポレオン」、姉と2人で無人島に流れ着くというシチュエーションが刺さった「南の海のオデッセイ」、専用のフィギュアがないと遊べない早すぎたamiiboの「プラスターワールド」……ふと思い出したのは、そんなもんか。
で、こいつら何となく値段を調べてみたら、メチャクチャ高騰してるんだな。南の海のオデッセイなんか、値段がエグすぎる。そんなに姉萌えが多かったんか。評判の悪いはずのダライアスRも普通に高いしどうなってるんだ。
誰も買わないゲームだからワゴンになってたわけで、誰も買わないゲームだから出回ってないわけで、そんな誰も買わないゲームを大切に扱う人も少ないわけで。
同棲してる恋人のことを「同居人」とか言ってぼかしたりするけど、その言葉の使い方をする意図がわからなすぎて、気になり始めたら止まらなくなった。
で、ぐるぐる考えてそこそこすっきりしたので残しておく。
最終的には「なぜ同居人を使うのか」ではなく「なぜ引っかかっているのか」という自分の感情掘り下げですっきりしちゃったので、結局「同居人」という言葉を使うこと自体はどうでもよかったのかもしれない。
モヤモヤしない例でいうと、会社で「同居人が怪我をしたので病院に連れていきます(だから遅刻します)」みたいな文脈だったら、遅刻する理由は説明しないといけないけどプライベートに踏み込んだ話はしたくない、TPO的にするべきじゃないと思っての「同居人」チョイスはわかる。その同居人は友達かもしれないし恋人かもしれないし事実婚関係かもしれない。でもこの文脈でわざわざ関係性を明かす必要はないし(どちらかといえば同居しているという事実のほうが重要)、聞いてる方もそこまで説明してとは思わない。
逆にモヤモヤする例は普通にプライベートの雑談とかで自ら「同居人が〜」って言われるor書かれるとき。「なんでその言葉のチョイスにしたの?」ってなる。
しかも大抵そういうときって「同居人」である必要がない。「友達」「恋人」「知り合い」でも通じる。なんなら「友人」「恋人」「友達の友達」とかはっきりしてくれたほうがスッと頭に入ったりする。そこでわざわざ「同居している」という状況説明を付け加える意味とは。
結論として、私は「同居人」という言葉を変な意味を付け加えてしまっていたのだった。
私の中で「同居人」は「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」じゃなくて「状況を表す言葉カテゴリ」であると変に捉えていた。さらに「同棲している恋人のことをぼかしたいときに使われる通称用語として新たな意味を持った一般名詞化しつつある謎用語」みたいな感じになっていた。って考えに至ったらわりとスッキリしたのでモヤモヤが供養された。
前者は、「同居人」は「「誰か」と同居している」というのを名詞化したものであり、概念であり個人を指してないだろ!という感覚だった。「人」って付いてるのにね。
後者は一般名詞を一般名詞でぼかす不思議さを感じていた。性行為のことを「仲良し」ってぼかす謎文化(?)あるけど、あれに近い感覚。
辞書によると「一緒に住んでいる家族以外の人」が同居人ってことらしいので、文字通りで「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」が本来正しい。友達とか恋人と同列で語れる言葉。ラベルみたいなもの。そりゃそう。カテゴリが一緒だけど、レイヤーは違う感じかな。
もちろん辞書的な意味はわかってはいたけど、私の実体験として「同居人」が実態として同棲している恋人であることがほとんどであったから、バイアス(?)のようなものがかかっていて、色々ごちゃごちゃになっていたのだと思う。
だから「同居人」という言葉で説明されるとなんとなく全体がモヤがかっている文章に思えて、本質が掴めないような気がしてた。本当に「同居人」としか言いようがない関係の人もいるだろうけど。
「ぼかす」意味で利用している人も、「一般名詞を一般名詞でぼかしている」のではなくて「レイヤーをあげてぼかしている」なんだとやっと気づけた。そしてレイヤーをあげてぼかしている理由は私にとってどうでもよかった。千差万別だろうし。
なんだか文章にしてみると当たり前過ぎてなんでそんなモヤモヤしてたんだという気はするけど、これで明日から「同居人」と聞いてもモヤモヤしなくなるのは嬉しい。
婚活すると、覚悟決めて独身やっていくしかねーって思えていい 条件の良い女奈良別だが、条件の悪い女は結婚するより独身のが幸福だ
婚活するとこれがよく分かる
自分もろくなスペックをしていないので、会える相手は基本的に以下
・ドブサイク
・アスペ
・35歳以上
・頭が悪い
単純に一緒にいるのが辛い
そして、間違いなく相手も同じ感じのことを考えてる
女はセックスが褒美にならないので、男よりさらにその傾向がある
あまり者同士でいびつにくっついても、まあろくなことにならんよね 不幸を産むだけ
私もそこそこ高齢で、運が良けりゃ子どもが産めるよネーな年齢なんだが、こういう相手と番って子どもが産まれるほうが悲劇だ(子ども自身にとって)
人によるが、少なくとも私個人に限って言えば結婚して幸福度が上がることはありえない
頑張って働いて、金ためて、健康に気をつけて、安楽死を制度化するっきゃねー!これ以外に自分が幸せを維持できる道はねー!!って覚悟決まったよ
将来苦しいことがあっても「結婚の道を選んておけば‥」っていう思考の逃げ道を塞げた
独りでやるしかない
TOEIC900点代あるんだけど、たまに遭遇する低偏差値大学のバカにこういうこと聞かれてめちゃくちゃイラつくのでチラ裏で愚痴吐き出す。
文系で偏差値高い大学卒だったら英語は得意で当たり前だし、受験勉強やってた要領で試験対策すればTOEICで高得点取るのもそんなに難しくない。
ぶっちゃけ自分たちみたいな上位大学の文系就活生にとってTOEICで高得点取るのって足切りみたいなもので、そこからさらに意識高いサークルの活動とか玉手箱対策とか業界研究とか企業研究とかフェルミ推定の練習とか頑張ってそれなりに納得できる会社に就職した。
なのにこういうこと言うやつは、まるで英語が話せるからでかい会社に就職できたみたいに勘違いしてたり、自分の専門性が英語を使えることにあるみたいな扱いをしてくるので、これまでの英語以外の(なんなら英語なんかよりよっぽど苦労した)努力を自邸されている気分になってむかつく。
あえてストレートに書くけどだらしなくブクブク太る女性とは別れた方がいいしパートナーにしない方がいい
自己管理がなっていなく、自制心がなくて自分に甘く自らを律する事が出来ない地雷女の証拠だから
さらに、もし太った理由を自分の生活や自己管理の話を除いてストレスなどの愚痴ばかり言うようなら常に自分がかわいく他責思考で生きてる人間ということ
将来そんな人と安心して家庭を築いていける?私なら無理
彼女さん、申し訳ないけど性格がどこかしら幼稚だったり、思考なんかで成熟出来ていない所があるんじゃないの
太っている女性は愛嬌ある人が多いなんて意見がたまにあるけど、愛嬌があるって言われる肥満女性の大抵はその幼稚な性格ゆえにコミュニティ内でもそういう「甘く見てもらえるコ」みたいなポジションに収まって責任感や大変な苦労を要する事柄に取り組んだ経験がないから顔つきがいつまで経っても幼いだけなんだよね
街の動物愛護センターからお迎えした時は両の手のひらにのるくらいのこねこだったのですが、まるまるしていたおなかもシュッとしてきて、とても素敵なわかねこになりました。センターのスタッフの方からはちょっとひかえめな子なのでと伺っていましたが、びびりちゃんだったのは最初の1週間だけで、いまでは増田が夕刻帰宅して玄関を開けるトトトトとお迎えに駆け寄ってくれますし、そのあと増田の足元をくるくるまとわりつきながら勢いよく倒れ込んで白いおなかを上にするので、増田もすかさずただいまのあいさつと共に全身を撫で回したりしています。増田のねこはいわゆる縞みけでキジトラと茶トラと白の三色毛皮なのですが、背中の模様はキジトラと茶トラがマーブル模様のように混ざり合っていてまるでめのうのように美しいので、増田は今日もきれいだねえかわいいねえと唱えつつ白いおなかとマーブルの背中を交互に撫で回してからばんごはんのパウチを召し上がっていただく準備を始めます。増田のねこもごはんよりもこの帰宅時のご挨拶を大事にされているので、手を抜くわけにはいかないのです。
増田には長く一緒にくらしていた先代ねこがいたのですが、街中で唐突に出会って勢いで共同生活が始まることになった先代とは違って、二代目は乞うて動物愛護センターから来ていただいているわけなので、やはりきちんとおもてなししたいですし、しないとダメだと思うのです。まあこちらも先代とは20年以上も共に暮らしていたものですから、遊びだろうがブラッシングだろうが所望されたら即対応することなど造作もありません。彼女のほうも遊びたいときには遊びたいおもちゃをくわえてやってきて、増田の目を見ながらぽとりと落としたりするくらいではあるので、「まあいっしょに暮らしてやらないでもない」くらいには感じてもらっていると良いなあと増田は思っています。ただ、ねこ一匹ひと一人の生活なので、コロナ禍から社会が通常に戻るにつれてねこに留守番をお願いすることも増えてきてしまいました。先日はとうとう初めて一泊二日の留守番をお願いしてしまったのですがとてもよいこで待っていてくれました。まあ帰宅時のご挨拶はちょっと長めを要求されましたが。
先代もとても素敵なねこだったのにさらに輪をかけてすてきなねこをお迎えすることができるなんて、NNNがちょっと増田をひいきしすぎている点についてはみなさまに対して大変申し訳なく感じているわけですが、こればかりはどうしようもないので、引き続き仲良く暮らしていこうと思います。以上よろしくお願いいたします。
大切なお客様が不快な気持ちにならないように、店という場を乱す客は積極的に排除する。そうやって店の雰囲気、居心地を確立していくのも店側の使命のひとつだ。つまり客の選別は店の仕事。
紹介客以外を店に入れないのは、お高くとまっているわけでも差別したいわけでもなく、リーズナブルで(少し店がラクな)客の選別方だ。
円安で外国人観光客からの外貨獲得は必要だが、このままでは限界が来てしまう。
外国人観光客も「筋のいい」お客様だけを入国させ、それ以外は排除しよう。
この場合、「筋がいい」というのは端的に「金払いがいい」ということだ。
所得格差の大きくなる世界、最も金をもっている層だけを招いて、その人たちに1,000人分の消費をさせる。
単純に客の数は1/1,000になる。外国人観光客はストレスなく観光を楽しめ、さらにプレミアム感、選民感を味わえる。
目利きの客の目にかなう観光サービス、飲食店のみが生き残り、観光地としての質も上がる。
日本人観光客はポイント還元などのシステムを設けて、従来(1/1,000)の料金にしてもいい。
名目は「生涯教育支援」など、なんでもいいだろう(観光地に歴史や美術を学びに来ている学生に対する学割のイメージ)。
この考え方が重要だと私は思う。
大企業に転職して、資格取得しろっていうから本を買ってきて読んだりしてたんだよ
もちろん全部自腹ね。
で、合格したんでよろしくと報告したら、なんか、会社で学習状況を確認したいからリンクしろって言うわけだよ。
なにそれ?
芦原先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦原先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦原先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
いや、元増田の文脈と前提を捉えて話をしてるのに、突然言って無いよとか言われても困るんですけど。
被害者が精神疾患を持っていたかは知らんけど、精神疾患の有無など関係なく、初めから俺はこの程度で死ぬ被害者がお気持ち繊細ヤクザすぎてドン引きしているよ
「精神疾患を持っていたから」自殺が本人の問題であると誘導されている、というのはあなたの勘違いだよ
「論点としては自殺の責任とかじゃなくて、自殺の有無は関係ないんだけど、「自殺したから精神疾患があった」→「精神疾患がある相手だから加害者の行動は正しかった」ってなるのって話。
そんで、さらにあなたは「精神疾患の有無など関係なく、初めから俺はこの程度で死ぬ被害者がお気持ち繊細ヤクザ」と言うんだけど、精神疾患で決めつけてくる奴よりそのさらに古いタイプの偏見だって思う。どうしてそんな偏見を持ったのか知りたい。」
ってレスしたのに。
生きる意味が見つからないとか、人に必要にされないと不安で仕方ない人を見てると思う。
いまさらそこまで打ち込める趣味って探しても見つかるもんじゃないのかもしれないけど。
もっとも、「一方がただの友達だと思っていた関係が、もう一方にとってはそうではなかった」というシチュエーション自体は昔からよく聞かれてきたものであり、最近生まれた現象ではない。あくまでもそれを端的に表した言葉として、「ぬいぐるみペニスショック」がパワーワードすぎたというだけの話である。
また、あくまでも傾向論であり、男女の立場が逆転した「ぬいぐるみヴァギナショック」とでもいうべき事象も当然あり得る。さらにいえば同性から告白されてショックを受けるという事象もあるだろう。ペニスという言葉に引っ張られず、性別や性的指向に関係なく発生しうる問題であることに留意しておきたい。