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はてなキーワード: 格差とは

2024-06-03

大企業ってすげーな。そして大企業同士の陰謀事実

大企業転職して、資格取得しろっていうから本を買ってきて読んだりしてたんだよ

そんで1万2千円払って試験申し込んで受験して合格したわけ。

もちろん全部自腹ね。

で、合格したんでよろしくと報告したら、なんか、会社学習状況を確認したいかリンクしろって言うわけだよ。

なにそれ?

っていったら、なんか微妙な表情で示されたリンク先を見たら

中小企業大企業格差ってこんなにあるんだって思ったよ。

これある意味大企業同士の陰謀だよね。自分たち仲間で世界支配してやろーって言う。

そんで、大企業しか知らない人はこれが当たり前だと思っているから、小企業に降りてくると絶望するんだなーって思った。

セクシー田中さんにおける「ドラマ化に必要な改変」に関するズレ

例の報告書を読むに、セクシー田中さんドラマ化にあたって原作者

実写化するにあたり必要なこと」

については改変に同意していたことが読み取れる。

報告書を信じる限り、ドラマスタッフ原作尊重して作業を進めたが、

原作者スタッフ提示してくる脚本がその範疇を逸脱して改変されていると感じ、強い不信感を抱いたようだ。

なぜそのような対立が生まれたのだろうか?

これはドラマ化に必要なことについて、

原作者は「映像にする上で技術的、予算スケジュール的に必要な改変」のみを考えており、

ドラマスタッフは「同時代コンテンツとして原作未読のターゲットに受け入れられるようにすること」も含まれると(無意識に)考えていたのが原因だ。

報告書にある具体的な改変の例を元に考えてみよう

父親リストラされたせいで短大入学した」

という設定をドラマ制作側は

父親会社不景気になり専門学校入学した」

という内容に改変した。

その理由としてドラマ側は「近時の1020代にはリアリティがない」「父親リストラドラマとしては重すぎる」というものをあげている。

まりこのドラマターゲット現代1020代(の女性)であるわけだ。

こういったターゲッティングドラマ制作が多額の予算を投じる事業である以上、多くの企画で設定されるものである

また、公共電波を使っている以上、圧倒的多数原作を読んでいない人でも楽しめるものを作らないとならない。

そのための改変は、「ドラマ化に必要な改変」なのだ

そう考えた時に、大学進学の男女格差が縮み大幅に入学者数が減ったと報じられている短大は確かにターゲットにとって存在自体ががピント来ないものになっているし、

人手不足と法的規制リストラが困難な現代日本ではリストラされるというシチュエーションはかつてのそれより深刻なイメージを伴う。

また、これに関連し原作者が「心底どうでもいい」と断じた「かわいい制服私立高校に進むことが出来なかった」という改変も、

それが悪しきジェンダーロールとされていた頃よりも世界的に肯定的に受け入れられている現代的な感覚に照らして、

視聴者がその不条理共感を得やす強調表現として判断したのだろう。

ドラマスタッフはこうした現代の状況を鑑みて改変案を考えたのであって、

決して安易に思い付きで改変したわけではないのであろうが、

不幸なことに「原作者はそのような現代自体を望んでいない」ということは気づかなかったのだ。

原作者容認していたのは台詞を尺に合わせるとかロケの都合でシチュエーションを変えるとかそういったことであって、

アラサー女性ターゲットにした雑誌であるプチコミック漫画をそれより若い女性に向けた作品アレンジすることではなかったのだ。

日テレ報告書テレビ局ドラマ製作を詳しく分析した希な資料として価値があり、

原作モノのドラマ化に際して改変の原因となる理由をまとめた表(報告書80P)はメディアに関わる人間は一読すべきである

しか上記にあげたターゲッティングのズレは言及されず「より面白くしようとするための改変」という漠然とした項目があるのみである

しかし、このようなドラマ必要面白さとはなんなのか、そのためにどんなことをするべきなのかということへの解像度の低さが、

ドラマの低品質化や外部関係者とのコミュニケーション不全に繋がる大きな原因であるというのは火を見るより明らかだ。 

恋愛市場というよりはポ◯モンに近いと思う

元増田市場の話だと「売る側」と「売られる側」と「買う側」がごっちゃになってると思う

から実際はポ◯モンの方が近いと思う

女性はポ◯モンになる素養が出来やす

身だしなみを整えたり

がそう。トレーナーが欲しいと思う要素を鍛えている

男性トレーナーになる素養が出来やす

とにかく異性に興味があり

がそう。自分トレーナーとしてどうか?よりまずゲット欲が先行して行動する人の割合女性より多い

魅力がないポ◯モンは見向きもされない

はてブが言ってる市場に並ばない女性はこれだ

もちろん男性にも存在する

ポ◯モンはゲットされるために魅力を磨いているわけではない

身だしなみを整えたりするのはトレーナーにゲットしてもらうためだけではない

ポ◯モン社会生活するための要素でもあるし、自己満足でもあるから

から勝手に「いいポ◯モン見つけた」とゲットしに来られても困る時もある

これが「市場」ではうまく説明できない部分

勝手に売り物扱いされても困るのだ

ゲットする方法

ゲット方法はいくつかある

などだ

魅力の高いポ◯モンの数とトレーナーの数の差が男女の恋愛格差をうむ

女性は幼少期からの身だしなみを気をつけるなどの素養の高さから魅力あるポ◯モンが多い

男性大人になっても清潔感ってなんだ」でストップするレベルなので魅力あるポ◯モンは少ない

逆にトレーナーの数は男性が多いので女性受け身でいいなんて揶揄されるわけだが、

女性トレーナーからすると魅力的なポ◯モンが少ないという面もあるので、どっちもどっち真実

狙うべきポ◯モンがいないのだから、魅力を上げてアピールすることで、相手レベルを上げて狙いにきてくれるのを待つしかないのだ

ただトレーナーになる人は当然ながら能動的に動くので失敗も多く、ゲットできないと呪詛を吐きがちだ

トレーナーの数は男性が多いので、総じて呪詛吐く率も男性が高い

実際はポ◯モンでもありトレーナーでもある

場合も多いので齟齬がある部分も出ちゃってるけどね

anond:20240602110558

地方医大増田

まともな人間だったら一浪して地方医大であることを弁えて文化格差などには言及できないはずだ

結局伊勢丹で冷やかすくらいで時間を潰す程度の人間から一浪地方医大なんだよな

2024-06-02

anond:20240602202039

こういうガリ勉スタイル

地方では親御さんでも手が届く世界だったな

今の中受が叩かれがちなのは

親の資本力を試される度合いが強すぎるからじゃないか、そんな気がする

親の収入格差ダイレクトに刺さってる感

anond:20240602095622

から女性も稼得能力の高いキャリア志向して下方婚して家計を支える役割しろよって言われてるんじゃないの

女が上方婚する限り、男が家計を支えることになり女は家事育児の押しつけ場所が無くなって家庭に縛りつけられるのだから年収格差が生まれるのは当たり前

2024-06-01

anond:20240601201414

そんな格差があるなら漫画家都民ばかりになるはずだよ

文化資本格差というよりコミュニティ格差問題ではないか

都市田舎文化資本格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。

その点において、俺はやはり都市田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差しコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。



まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれ僻地農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業林業ぐらいしかない、田舎の中でもさら田舎の方だ。

なので俺が想定する田舎はそのレベルだと思ってほしい。

その俺が上京して15年経つが、田舎東京の違いは、何よりもコミュニティ多様性にあると思っている。



東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。

あらゆる社会階層の人が東京暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティ形成している。

学校職場一種コミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。

人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティ形成可能になる。



対して田舎は、コミュニティ多様性は小さい。

人口流入ほとんどないのでコミュニティメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。

地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。

大きな会社存在せず、大学存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。

大学進学でも目指すとなると、必然的田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。



一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。

「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティ所属しないのは不利だ。

受験勉強にしても、周囲の大人受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代受験生仲間が少ない、といった形で田舎受験生は不利を強いられる。

東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。



もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。

なので、田舎に生まれ子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。

田舎美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。



そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市田舎格差なのではないかと思う。

俺が想定したレベル田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。

それを文化資本と呼ぶのかは知らないが、多くの人が問題だと感じているのはそういうことじゃないのか?という気がする。

日本の生きづらさ(男女差別格差社会)は統計を歪曲する信仰のせい

もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。

 

分散とは

 個々のデータ平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータバラツキが大きい。

 

分散から何がわかるか

 分散平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。

 分布正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。

 

分散理解してない言論の例

 

【おまけ】そもそも平均を理解してない例

 

「みんないっしょ」信仰が癌である

 これは単に文系馬鹿というだけではない気がする。

 もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性否定する信仰さらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。

 日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通定義だけを学び、「分散」という多様性定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。

 増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。

 統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。

 

生活保護基準相対的貧困の連動

 「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。

 https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080

 相対的貧困ラインは「可処分所得手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。

 欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計理解していれば必ずわかるのだ。

 

まとめると

anond:20240601171205

女性は、生きてくれているだけでいいんだよ。本当にありがたい。

日本地域格差会社格差女性の人数で議論してる。

やっぱり元凶小学館

ドラマセクシー田中さん」社内特別調査チームの調査結果について

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20240531.html

読んでみた。

企画書には、企画意図企画ポイント(①自分を縛る“呪縛から解放された時の

カタルシス、②真反対なふたりの女友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるド

ラマ、④あらゆる世代に響く!60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の

行方!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。

そもそも企画書の段階で、原作重要ポイント社会問題格差)などを全外ししていてまったく読み込めていないことがあきらかで、テンプレをなぞった軽いラブコメにしようという意図が見え見え。こんな失敗臭しかしない企画書は速攻でゴミ箱にぶち込んで焼却するのが正解だが、この企画書を送られてきた小学館が取った対応は以下。

本件ドラマ化について日本テレビ A 氏が小学館に問い合わせ。

A 氏、小学館企画書を送付する。翌 2 日小学館 C 氏から返信。

A 氏、B 氏と小学館 C 氏、D 氏が小学館にて面会。原作はまだ完結していないがコ

ミック 6 巻発刊(当時)で、そろそろドラマ可能と言われ好感触小学館から

局へのバラシ(断り)の期間待ってほしい旨、日テレ側に述べ C 氏、D 氏から本件

原作者は「難しい人」(原作へのこだわりが強い人)である旨伝えられる。A 氏、B

氏が原作を大切にする旨答える。

上記のクソみたいな企画書みた段階で制作に「原作者は難しい人」と告げるのは、原作者がこの企画では納得しないだろうことが分かってて映像化の話すすめてんだろ。

本来なら、原作者に変わって「この程度の理解しかできない人間にこの原作はまかせられない」と突っぱねないといけない立場人間が、むしろテレビ側の制作者と結託して「原作者は難いひとなんで気をつけてください」なんて言ってるからこんな悲劇が起きる。

原作はまだ完結していないがコミック 6 巻発刊(当時)で、そろそろドラマ可能と言われ好感触

この辺も、小学館が金につられて原作者ないがしろにしている香りがプンプンする。

なんでお前らがドラマ可能かどうかを判断して制作に伝えるんだよ。

日テレのA氏、B氏も大概だが、 小学館側のC氏、D氏がやばすぎるだろ。

信じていた味方に裏切られる方がダメージはでかいのに、内部調査も行わずだんまり決め込んでいる小学館マジで反社

格差を嘆くのって難しいよな

弱者男性孤立している!」って声を上げると「そうなんです!弱者男性は人付き合いができないやべーやつばっか!」と馬鹿にされるし

非正規正社員より冷遇されている!」って声を上げると「そうなんです!だから結婚相手正社員じゃないと不安だよね」って差別されるし

東京地方より文化資本に恵まれすぎ!」って声を上げると「そうなんです!東京地方より凄いのですフフフ」と東京側のステータスにされてしま

自分の不遇を嘆く=弱点を曝すになるから弱者側には勝ち目がないんだよな

2024-05-31

anond:20240531060924

「親ガチャ」の類を呪詛(つまりは、生まれ持った資本格差があることを憎悪する発想)しながら東京に住むことを地方に住むことよりも上等だと思ってる、倒錯した手合いは割といそうだなと思わされる話

東京地方格差がある

→国は格差是正に努めよ(東京一極集中批判

の流れにはならなくて

格差なんて無いor地元の方が文化的

みたいな流れに

自分弱者だという主張は多いのに「東京対地方」の構図だと

地方に住んでるだけで弱者」を認めたくない心理は一体

anond:20240531175814

納得できるかな。「文化資本豊富なのは良いこと」とした上で「格差再生産に否定する」ではダブスタになってしまう。少なくともブコメにはこの論調がいたから、疑いがあるにはあるな。

anond:20240531174838

なるほど、ありがとう、参考になる

ちなみに「東京文化資本豊富というのはおかしい」ではなく「 「東京文化資本豊富」という人は文化資本意味理解していない疑いがある」だった場合は納得する?

(一応そういう意味で書いたつもりなんだけど、例えば再生産という条件に付いて考えて無さそうだったり、文化資本意味理解しているなら、「東京文化資本豊富」を良い事と捉えている人は格差再生産の容認になることを理解出来る筈なのに、その気配が無いので、等々)

やっぱりはてな、「文化資本」の理解あやしい人多くない?

そういう自分あやしい側なんだけどさ

 

そもそもお前ら、「文化資本」って意味わかって使ってるの?

anond:20240531060924

 

この増田本人では無いので尻馬に乗る感じで申し訳ないけど、ブコメとか見てると未だに理解あやしい人が多い気がする

まず元増田の内容を自分なりにまとめると、「文化資本」に該当するかどうかを計る条件として

①親から子へ受け継がれるものである

資産社会的地位権力再生産に結びつくものである

 

の2つの条件が少なくともあり、はてなで言われている「文化資本」の多くはこれに該当しない(そのため、はてな人達は「文化資本」の意味理解せずに使っている疑いがある)

ということなんだと理解した(つもり)

特に②についてはそもそも資本とは自己増殖するもので、文化資本」というからには再生産の要素を含まないと変というのはその通りなんじゃないかなと思う

でその上で、なんだけど

 

再生産の要素が無いのでは?

いや美術館が無ければ美術館に行く文化も作れないので「文化享受できる環境・子に文化享受させる親の文化」は文化資本なんだが。みんな美術館物理的な資本)の話じゃなくて美術館に行ける東京の話してるだろ。

例えばこの反応って、①の説明にはなってるけど、②の説明にはなって無くない?何が再生産されているの?

個人的には、文化資本」を名乗るうえで②の方が重要な気がするので、そっちが片手落ちになっては意味が無いんじゃない?と思ってしま

上は一例だけど、元増田への反論で②の再生産の部分まで言及できている人が少ないように見える

 

そもそもどういう再生産を想定している?

で、更に、そもそも東京文化資本豊富」と言っている人は、どういう再生産を想定しているんだろう?

ただの資本場合、単純に金持ち投資等で更に資本再生産できる、というよくある話で、これは分かりやす

対して文化資本は、例えば親が教育重要性をきちんと理解し、そのおかげで子は十分な教育を経て資産社会的地位権力を得られるようになり、それらが再生産される、といったシナリオになる

ただ、「東京文化資本豊富」と言ったり、その例が美術館(へのアクセス)だったりする場合、具体的にどういう継承から資産社会的地位権力再生産に結び付く話をしているんだ?

例えば、近くに美術館があってよく通った場合しかしそれが自身給料社会的地位権力特に結び付かない事はよくあるし、その場合②を満たさないので「文化資本」とは呼べないよね?

例えば美術精通する事で上流階級の人とコネが生まれ立身出世の役に立つ、とかだと「文化資本」と呼べると思うけど、現代日本でそういう機会がそもそもある人は(東京内に限っても)何%だろう?

当然、その%が低ければ東京全体でならした時の美術館の「文化資本寄与率は低くなって、他の寄与から比べると誤差以下になってしま

という感じで多くの場合②を満たせない割合の多いと思うんだけど、どうだろうか?

具体的にどういう継承再生産のシナリオで考えているんだろうか?

 

「東京」というフレーミングは適切?

また、再生産という観点で見た時、そもそも「東京」で括る意味って何?とも思う

例えば「金持ち文化資本豊富」ではダメなんだろうか?こちらなら上流階級の振る舞いや教育重要性の理解等々、再生産に関わる文化資本豊富なのは頷ける

これに比べて「東京」だと、金持ちでない人も居るし、そういう人が美術館に通っても再生産に繋がらない事が多い

というのも、そもそも機会やノウハウなど、「美術」という文化素養資産社会的地位権力再生産につなげるための回路こそ、資産家の親から子へ継承される貴重なものであり、ある意味それこそが「文化資本」だから

よって、「東京」という雑多なフレーミング文化資本を持たないノイズ人達(言い方は悪いけど・・・)を多く含み本質的ではないのに対し、

金持ち」というフレーミング再生産に結び付く「文化資本」と本質的につながっているので、より適切なんじゃない?と思えるし、その上で「東京」で括る意味is何?と思えてしま

東京金持ちが多いから、結局文化資本とも相関がある」という人も居るかも知れないけど、それってわざわざ要らない項を噛まして、分かりにくい疑似相関を作ってるだけじゃね?

地方でも金持ちなら教育もするだろうし振る舞いも継承したりコネも引き継いだりするだろうという事で、文化資本と言えるものが多そうだし

結局、文化的ななにかを資産社会的地位権力再生産へとつなげられるかどうかって、住んでる場所より資産社会的地位権力依存するんじゃないかなー、と思うし、それによる寄与と比べると「東京」要因の寄与って誤差に呑まれそうじゃね?と思う

 

格差再生産に参加して嬉しい、のか?

もう一つ大きな、そして根本的な疑問として、元増田の言うように「文化資本」というもの資産社会的地位権力再生産、つまり格差再生産を前提とするものだとして、

それが「東京豊富だ」と言われる事は、その人達にとって嬉しいのか?というのがある

美術なり音楽なりの素養格差再生産となるという事は、それなりに差別的論理社会なかに残存しているという事だけど、

そのおかげで得をしている格差再生産の加担者or受益者と指さされているようなものなので、それ嬉しいか?胸張るような事なのか?と思う

なので、軽々しく「東京文化資本豊富」という人は、「文化資本」が前提とする資産社会的地位権力再生産についてよく分かっておらず、つまり文化資本」の意味をよく分からずに使っているのでは?と思えてくる

ある意味東京には文化資本による格差再生産を肯定or容認するような差別的な風潮が残存している」という事でもあるので、本当に意味理解して使ってる?と疑問

anond:20240531060924

地方農村高卒の両親の家庭に生まれ

東京のそこそこいい企業に入って23区内のそこそこいい場所に住んでいるが

周囲の人々の人種全然違うので、

「周囲に合わせて行動した結果、自分も影響を受けて周囲に染まっていく」のはあると思っている。

お隣さんがコンサートに行くなら自分も行ってみようとか。

特に子供は周囲の友達に大きく影響を受けるので

友達ヤンキーばかりか中学受験する層かでは全然違ってくる。

もちろん田舎にも都会にも格差はあるけど

田舎にはそもそも私立中学がないとかで差が出てくる。

anond:20240531060924

格差存在する構造の中にまた格差存在するのってそんなに変な話かな?

例えば家庭を単位とする文化資本における格差を考えるとき

家庭の中でも文化資本享受について格差が生じることはありえるよね?

長男/次男、男/女、実子/養子

からといって文化資本概念死ぬとは思えないのだけれども

そもそもお前ら、「文化資本」って意味わかって使ってるの?

いや、おれも知らん。

と思ったのでググってみた。これは社会学用語なんだな。

文化資本英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴文化的素養といった個人的資産を指す。フランス社会学ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。

wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC

フランス社会学ピエール・ブルデュー,P.(Pierre Bourdieu, P.)とジャン=クロード・パスロン,J-C.(Jean-Claude Passeron, J-C.)が考案した概念で,人間知識技能資本として捉えたゲーリー・ベッカー,G.S.(Gary S. Becker, G.S.)の人的資本概念文化領域拡張し,貨幣や財の経済的側面のみならず,教育文化の面において財が相続生産・蓄積・投資される過程説明する。文化資本言葉遣いや立居振る舞いなどの身体化された様態書物絵画などの文化財所有による客体化された様態学歴資格によって制度化された様態からなり,それらを教育就職など,経済的には「市場」となりうる「場=界(champ)」に投資することで,再生戦略可能にする物質的・象徴的な利益を引き出す。それは幼少期の家庭から相続継承され,学校教育を通じて中立的能力証明へと変換され,社会的地位権力再生産に結びつく。この概念によって,一見利害関係なく実践される文化慣習行動を,貨幣経済より広範な「象徴交換の経済」に取り込んで分析することが目指される。

コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC-377212

小難しいがようするに、

・親から子へ、資産社会的なパワーが受け継がれる

という前提があって、

・金だけでなく、文化的素養学歴スキルなどの見えない資産も子に受け継いでいるんだ!

ということなんだな。

で、その受け継ぐ過程で使われる個人的資産(=投資のもとになるもの資本)を文化資本というらしい。

wikipediaでは3つの分類が紹介されていた。


てことは、美術館それ自体文化資本ではないやんけ!(個人資産じゃないから)

おいおい、「文化資本」という言葉もまた、はてなーたちの反知性主義によって意味が捻じ曲げられているじゃないか

「なんか語感がかっこいいから、意味はよくわからんけど使ってみました」じゃねーんだよ。

美術館のものではなく、「親が美術館によく行く習慣がある」とか、そういう「家のなか」の話なんだよ、文化資本てのは。

しか資産社会的地位再生産に結びついていることが前提なのであって

庶民が「お、、おれはモネ展覧会とかよく行くし?」とか「いやー、声優舞台挨拶が家から近くていいっすわ!」とかホクホクしてるのは文化資本じゃないんだよ。単なるエンタメ消費だそれは。アホか。

それよりもおれが思ったのは、成功した起業家がよく言うやつ。

「親父が社長やってたんで、起業自分にとって自然選択肢でしたね」ってやつだよ。

あれこそ文化資本だよな。

・・・と、こうやって知らない言葉意味確認すら行わない、知的誠実さ皆無のお前らが親からたいした文化資本を受け継いでいないのは明白。

地方民は「美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」とかなんとか自慢してるスノッブどもを見下していいぞ。

====以下、順次追記====

適当に調べたり考えたりしてみる感じ、居住地域に美術館だとかい学校があるだとかは社会資本の話な気がするわ

文化資本て、「親の語彙の豊富さ」とか「親同士の会話の知的水準の高さ」とか「親が教育資格保有していて、知的水準の高いフィードバック日常的に得られる」とか、「社会的地位の高いオトナとの会話機会の豊富さ」とか、そういうものなんじゃねーかな

・「文化資本定義都市地域に援用」とか言ってるやつ、文化資本社会階層再生産を説明するロジックで生まれ言葉らしいから、「都民=殿上人地方民=下層民!」的な東京選民思想を前提に生きてるってことになると思うんだが、大丈夫そ?

・つーか、東京のなかでも当然ながら格差階層があるわけで、そのなかでざっくり「もとの定義は家の話だけどぉ、都市に援用すればぁ」っつってるやつは、東京の内側で生まれている格差にはどう説明をつけるんだ?東京にいるだけで文化資本恩恵享受できるなら、東京の内側の社会格差はその他の地域と比べて小さくないといけないはずだろう。まずはそれを示してくれ

・いい学校とか文化施設へのアクセスを高めるために東京に住む、はたしかに「その判断能力があったり意思決定をする家庭である」という意味文化資本があるといえそう。ただ、その意思決定の内実が本当にそうなのか?というのは問いたいところではあるな。なんとなく東京就職したとか、職場東京からそのまま住んでますとか、そっちが主要因なやつも多いんじゃないの?

・いくつかブコメ読んで、格差批判する文脈でなら都市間に援用してもいい気がしてきたが・・・仮に「都市文化資本」という概念が成り立つ場合、以下が疑問。詳しい人おしえて

1.文化資本の枠組みだけで考えると、いい学校、いい美術館などは「客体化された形態文化資本」に分類されるはずだが、そもそもこれらは社会資本ではないか?どう整理するのか?「ハビトゥス形成やす環境東京文化資本」と言ってるやつもいるが、わざわざ"援用"せずとも「東京社会資本が充実してますなー」で済むんじゃないか

2.もとの定義に照らすかぎり、文化資本経済的格差階層再生産に結びつくものなので、「他地域よりも東京経済的社会的特権的地位たらしめている、東京に特異的な文化慣習行動」が「東京文化資本」ということになる。それってなに?そんなんある?

3.ここまで考えて、いわゆる「ユダヤ商法(ほんとにあるのかしらんが)」はユダヤ人の文化資本といえそう、つまり都市という地理的な要素よりは特定価値観を共有する集団内においてなら、文化資本という概念は家を超えて援用できそうと思ったんだけど、どうなん?

anond:20240531014143

実際には男女の雇用均等を目的として格差を解消する狙いがある場合ポジティブ・アクションとして女性のみの求人をすることは合法(均等法第8条)なんだが、その求人は逆にすべきだなw

文化資本議論の推移

文化資本

この言葉フランスピエールという社会学者提唱した概念らしいが、

最近ネットinJAPAN feat.はてなでは

東京文化資本豊富だと自慢する東京人の傲慢さ」

地方にも素晴らしい文化資本があり、東京と差がないどころか優位性がある」

みたいな話がよく上がってくるのを見かける。

けど、この話ってちょっと前までは「地方民が東京との文化資本格差を嘆く」って構図だったはずでは…?

そう思って試しにはてブざっと検索してみた。

日本文化資本研究が盛んになったのは90年代からのようだが、

2010年代以前には内田樹ブログで使ってるのがよくヒットするものの、まだ一般に広まってるワードとは言えなかったようだ。

また、この頃はあくま単語として出てくるだけでそれ自体テーマとしているわけではなく、都市部地方地域間格差などについても特に触れられてはいない。

そこから2010年代に入るとシロクマの屑籠、はてな定点観測所といったブログの中でも使われだす。

あいにく後者記事は見れず、またこれらのブログをよく知らないので詳しいことは分からないが、

この時点でもやはり文化資本という概念自体メインディッシュとして語られているわけではない。

大きく取り上げられるようになるのは2015年頃。

2014年に登場した「マイルドヤンキー」という単語議論で先程の2つに加えボンタイムスといったブログ等で「文化資本」が盛んに使われるようになり、

そこからメインの議題へと昇格…という流れのようだ。

マイルドヤンキー自体田舎に多く都市には少ないという性質のものとされているので、

ここで既に地方都市部格差に触れている記事も見かけるが、

本格的に都市部文化資本における優位性を論じてバズったのは2018年のこの記事

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

田舎には都市生活者には想像できないレベル地域格差存在し、教育を受ける機会を想像することすらできないこともある、

ということを語ったこ記事は1800を越えるブクマを集め、はてな以外でも大反響だった様子。

ここからコロナ禍の間まで、東京茄子が生えてほしいと願う増田が現れたり、在華坊氏がはてな三大論点として"文化資本東京格差"を挙げたり、羊文学は信用できないというツイートが出てきたり、

この時期の空気感こそ、まさに私のイメージにある東京文化資本についての語られ方である

そこから昨年の夏頃になると、空気が変わってくる。

東京ライブにすぐ行けていいなというtogetterのまとめにアウトドア趣味だと逆というコメントがついたり、

田んぼマジックリアリズムを感じる増田がバズった。

当初はまだそういった穏やかな空気感の反応だったが、

今年に入るとかなり強い口調で東京都民の傲慢批判する流れが生まれ現在に至る。

潮目が変わった原因は正直分からない。単に時間経過でバックラッシュが現れたというだけなのだろうか?

まあ「地方民が東京都民の無自覚傲慢さを批判する」という構図自体は変わらないのに、

その主張が真逆の方向に変わっているのは興味深くはある。

ただそこからピエール瀧の原著に立ち返って改めて文化資本とは何かについて考察したり、

本当に格差を生んでいるファクターは何であるかを主張したりといった、

資本力」を感じる記事最近はてなでは見かけないのは残念なところだなと思った。

2024-05-30

本当の美女はどんな時代でも古臭いと思われない

ほんの10年前の写真でも髪型眉毛の形やメイクのやり方が異様に古臭く見えて「美しい」とはとても思えないものが多い

しかし本当に美女だとそれを感じさせない

臭い髪型服装でも美しく見える

そういえばガングロメイクギャルメイク韓国メイクはどんな美女もどんなブサイクも同じような塗りにしてあえて全員画一化させて美女ブサイク格差を埋める働きがあると思う

でもそれとて10年も経てば美女はやっぱりどんな変なメイクでも美女に見え、不細工は「古臭い」というマイナス要素が加わってより悲惨になるのだろう

普遍的美女は結局10年前でも100年前でも美女なのだろう

平安美人浮世絵別に当時はああいう顔が美女と思われてたわけでなくあくまで当時の「二次元美女イラスト」であり現実美女基準とは別物だったらしい

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