はてなキーワード: であるとは
クルマ好き以外には全く関係のない話ではあるが、あまりにも北米の車事情に勘違いが多い。(なおここでの北米とはアメリカとカナダを指す)
日本でセダン・(ステーション)ワゴン人気が低迷してSUV・ミニバン・コンパクト(軽)だらけなのは周知の事実。
ワゴンに関して言うと日本は実はまだ人気のある方で、新車も売っているしプロボックスやフィールダーのような商用車も数に入れると実は非常にポピュラーな車種である。北米ではワゴンはほぼ完全に消滅した車種で、新車を売ってるブランドはアウディくらいしかない。
北米でもセダンが不人気という勘違いがある。もちろん一番人気はピックアップトラックとSUVだが、北米ではセダンは人気車種。そもそもCarといえばセダンでありSUVやピックアップトラックなどはCarではなくVehicleなのだ。
そして現在北米ではほぼ全てのメーカーでコンパクトハッチバック車の販売を終了している。北米ではRAV4とかMazda3がコンパクト扱いなので、ここでのコンパクトとはヤリス、FITとかのサブコンパクトサイズを指す。売ってるのは数えるほどでKIA SoulとかNissan Versaとか…そしてVersaはセダンだしSoulはSUVとして売っている。
ミニバンはそこまで不人気ではないが車種は非常に限られる(Toyota Sienna、Honda Odysseyくらいしかない)。
ここまで書いて思ったが北米では基本ピックアップトラックと(クロスオーバー)SUV、セダンしか売られていない。セダンの「人気」もSUV以外はただそれだけしか選択肢がないから、という気もする。
同棲してる恋人のことを「同居人」とか言ってぼかしたりするけど、その言葉の使い方をする意図がわからなすぎて、気になり始めたら止まらなくなった。
で、ぐるぐる考えてそこそこすっきりしたので残しておく。
最終的には「なぜ同居人を使うのか」ではなく「なぜ引っかかっているのか」という自分の感情掘り下げですっきりしちゃったので、結局「同居人」という言葉を使うこと自体はどうでもよかったのかもしれない。
モヤモヤしない例でいうと、会社で「同居人が怪我をしたので病院に連れていきます(だから遅刻します)」みたいな文脈だったら、遅刻する理由は説明しないといけないけどプライベートに踏み込んだ話はしたくない、TPO的にするべきじゃないと思っての「同居人」チョイスはわかる。その同居人は友達かもしれないし恋人かもしれないし事実婚関係かもしれない。でもこの文脈でわざわざ関係性を明かす必要はないし(どちらかといえば同居しているという事実のほうが重要)、聞いてる方もそこまで説明してとは思わない。
逆にモヤモヤする例は普通にプライベートの雑談とかで自ら「同居人が〜」って言われるor書かれるとき。「なんでその言葉のチョイスにしたの?」ってなる。
しかも大抵そういうときって「同居人」である必要がない。「友達」「恋人」「知り合い」でも通じる。なんなら「友人」「恋人」「友達の友達」とかはっきりしてくれたほうがスッと頭に入ったりする。そこでわざわざ「同居している」という状況説明を付け加える意味とは。
結論として、私は「同居人」という言葉を変な意味を付け加えてしまっていたのだった。
私の中で「同居人」は「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」じゃなくて「状況を表す言葉カテゴリ」であると変に捉えていた。さらに「同棲している恋人のことをぼかしたいときに使われる通称用語として新たな意味を持った一般名詞化しつつある謎用語」みたいな感じになっていた。って考えに至ったらわりとスッキリしたのでモヤモヤが供養された。
前者は、「同居人」は「「誰か」と同居している」というのを名詞化したものであり、概念であり個人を指してないだろ!という感覚だった。「人」って付いてるのにね。
後者は一般名詞を一般名詞でぼかす不思議さを感じていた。性行為のことを「仲良し」ってぼかす謎文化(?)あるけど、あれに近い感覚。
辞書によると「一緒に住んでいる家族以外の人」が同居人ってことらしいので、文字通りで「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」が本来正しい。友達とか恋人と同列で語れる言葉。ラベルみたいなもの。そりゃそう。カテゴリが一緒だけど、レイヤーは違う感じかな。
もちろん辞書的な意味はわかってはいたけど、私の実体験として「同居人」が実態として同棲している恋人であることがほとんどであったから、バイアス(?)のようなものがかかっていて、色々ごちゃごちゃになっていたのだと思う。
だから「同居人」という言葉で説明されるとなんとなく全体がモヤがかっている文章に思えて、本質が掴めないような気がしてた。本当に「同居人」としか言いようがない関係の人もいるだろうけど。
「ぼかす」意味で利用している人も、「一般名詞を一般名詞でぼかしている」のではなくて「レイヤーをあげてぼかしている」なんだとやっと気づけた。そしてレイヤーをあげてぼかしている理由は私にとってどうでもよかった。千差万別だろうし。
なんだか文章にしてみると当たり前過ぎてなんでそんなモヤモヤしてたんだという気はするけど、これで明日から「同居人」と聞いてもモヤモヤしなくなるのは嬉しい。
原作者は最終的なドラマの出来については満足していたということについてはどちらも認めているんだよな。
で、小学館の方で新たに発覚したのが「脚本家の例の投稿によって原作者は原稿が書けない状態になっていた」ということ。
これ読むと脚本家のSNS投稿が原作者の死のトリガーになったってハッキリ言ってるように聞こえる。
それがなければ制作中のトラブルはあっても「慣れない新人Pに担当されて大変な目にあったけど脚本家を追放してドラマ化大成功した件」で終わるはずだった。
日テレが再三主張している伝達のミスも、そもそも脚本家が「原作者の指摘を直接見たくない」と言い出したのが発端に見えるし、
SNS投稿の原因となった「9,10話に対して脚本家が協力などの形でクレジットを載せろという要求が通らなかった」ってのも、
それらが最終的に原作者の脚本で進んでいたことを考えると無理のあるゴネに見える。
・脚本家が見たくないと思ったほどの原作者の指摘とは具体的にどういった文面だったのか?
・9,10話には本当に脚本家のアイデアが一切(例え偶然にでも)使われていなかったのか?
・アイデアが一切使われていなかったとしても、脚本の作成を途中まで行っていた以上クレジットするというのは慣習として標準的なのか?
1つ目については両社の報告書にはやや怪しい部分がある。
原作者とのやり取りの文面は膨大な量になっているはずなのに、具体的に提示している文面は
「短大の設定を変更したこと」や「4話時点で入れ替えなどによる作品崩壊を指摘する文」など同じ箇所を引用しているのだ。
穿ち過ぎかもしれないが、他の箇所では表に出しづらい語調のものがあり避けた結果と考えることもできなくはない。
もちろん問題を考えるうえで様々な理由で被ったとは思われるが、
何にせよ大部分の文章は表に出ておらず、脚本家の要望が妥当と思える文面があった可能性は捨てきれない。
2つ目については原作者の脚本が丸ごと使われている以上ありえないように思えるが、
日テレの報告書では脚本家が「9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい」と要望した文面があり、
このことについて報告書ではスルーされている。(小学館側は知りようがないので当然不記載)
また、小学館の報告書によると、原作者はドラマの演出者からの意見を反映させて脚本を完成させたとある。
この演出者の意見がじつは脚本家の案を反映させたものであった、という可能性は無いとは言えない。
また、偶然原作者の脚本の内容が元の脚本と被っている部分があったとしても、
すでに現場から外れていた脚本家には流用されたとしか見えず、上記の要望へ繋がったとも考えられなくはない。
そして3つ目。
日テレの報告書で「状況を鑑みて脚本家の権利として商習慣上「脚本協力」のクレジットが表記されるのが当然」と脚本家が述べているが、
おそらくこれは最終的に使われなかったとはいえ「一旦は脚本を完成させるところまで作業をした」のにも関わらず、クレジットされないのはおかしいという話であると思われる。
例えばシン・ゴジラでは途中までひるね姫の神山健治が脚本を書いていたが、最終的に大まかな要素を残しつつ別物となったものを庵野が書き上げ、神山は企画協力というクレジットになっている。
これはオリジナル映画であり上山の要素もかなり残っているので当然と思われるが、
もし当人の成果物が使われていなくても途中まで参加していたメンバーはクレジットに乗せるという習慣があるのであれば、この要望は妥当であり、SNSで不本意を表明するのも妥当と言えることになる。
日テレも小学館も保身のためにより具体的な情報を出し渋っている傾向があり、これだけで特定個人の責任を論じるのは危険だと思われる。
しばらく外国で暮らして日本に帰国すると、無表情なロボットしかいない!と驚くが
つまりロボットらが空気読まない発達障害などを排除してるからかもしれないな
オイオイ待てよお前だって普段はソシャゲなんて出来の悪い賽銭箱だ。買い切りの方がずっと面白いと言ってきただろ。、と。
要約すれば、買い切りゲームでは失敗してもプレイ時間以外に失うものがないので、1プレイにかける熱を薄めるというデメリットになる。、ということらしい。
つまりアイツが言いたかったのは、ソシャゲであることがマイナスになるゲームとプラスになるゲームを区別できずなんでもかんでも買い切りじゃないから駄目だと言ってる奴らは浅いということだそうだ。
なるほど。
アイツは言葉ではそう言っていたが俺には分かる。
アイツが本当に言いたかったのは、プレイするたびにスタミナを失うというゲーム性が、プレイするたびにコインを失っていくアケマスのゲーム性へと原点回帰しているのに、これを評価できない奴にこのゲームについて語る資格はない。、ということのはずだ。
俺達はあの頃、アケマスをやっていた。
金がない中で、飯代を必死に削りながらアケマスをやっていた。
若かった。
家庭用が出た。
XBOX本体と合わせた値段で考えてもプレイにかかる総コストはべらぼうに下がったはずだ。
だが、どこかで情熱が失われていった。
身銭を切ることがなくなったはずなのに結果に対しての悪態が増えていた。
時間以外は何も失っていない中で、時間だけを失っていくとうい感覚が結果的に、より多くのものを失ったかのような錯覚さえもたらした。
1プレイにかける覚悟、それを生み出していたのはクレジット投入音だったのか。
俺達のアイマスにかける熱はいつしか冷え切り、ガラケーで、スマホで、課金してスタドリを飲みながら走り続ける連中を嘲笑うようになっていた。
あんな集金装置にお金を入れちゃって、好きなアイドルにいつか声がつくと信じてるんだからおめでたいもんだね。、と。
そんな俺達もアイマスの新作が出るたびに少し齧っては、ゲーム性に違和感を覚えてやめてばかりいた。
だが、最近になってそうじゃなくなってきたんだ。
失敗と隣り合わせの育成が、育成の度に失われるスタミナが、単なるポイント稼ぎのための作業ではなく、一回一回に新しい発見のある周回が。
スタミナ制だから、疑似クレジット方式だから、そこに意味があるんだよ。
音ゲーじゃ駄目なんだ。
育成ゲーじゃなきゃアイマスじゃない。
周回じゃなきゃアイマスじゃない。
そして、買い切りじゃ駄目なんだ。
時間以外の何かを失いながら走れないなら、それはアイマスじゃない。
俺達にとっての、俺にとってのアイマスじゃないんだよ。
これが分かってないやつら、本当に浅いよな。
https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf
日本テレビとの契約関係では、社員 B が社員 J の協力を得てこれに当たり、脚本などドラマの内容に関しての日本テレビ担当者との折衝や芦原氏との協議相談は、社員 A が担当した。
社員 B の上司が社員 C であり、社員 C は社員 J の上司でもあった。社員 Cの上司は、取締役 I が担っていた
社員 A の上司は、ドラマ化打診当初の 2023 年 3 月より同年 9 月末までは、社員 H であり、同年 10 月以降は、社員 G が上司となった。社員 H、G の上司が社員 F であり、その上司が取締役 E である。なお、第一コミック局は、女性コミックの部署であり、取締役 E と取締役 D が担当していた。
さて、この中で三番めに背が高いのは誰でしょう。
自分は女で普通に男友達はいるが、彼らともいつ何があってもおかしくないという気持ちで向き合っている。
それは別に脅威でもなんでもないというか、友人として付き合いつつセックスする選択肢もあるし、そういうスイッチは自分も向こうも常に持ち合わせてるものだと思っている。
たとえば犬を飼う時に、本質的には肉食獣であるということを忘れずに飼ってるか、「うちのショコラちゃんは大事な娘、人を噛んだりしないザマス」って思考停止してるかの違いのように思う
「そんな人だと思わなかった」みたいなのは言われるけど、
後に引けない状況でペニス出せばしぶしぶ応じてくれるので
一度応じさせれば「ペニス生えたぬいぐるみとか気楽でいいじゃん」
って受け入れられ続けてる人生なんだが、
モテる方法を聞いているのに、モテるよりも人生のパートナーを作るほうがいいよ、そのためには「人間扱い」するのがいいよと言ってくるからである。
モテることすらできない人間が人生のパートナーって美少女が空から降ってくるのを期待するようなものでしょ
そんな自分としては、モテることより友達を作り人間関係を豊かにする方が大事だと思う。モテるテクニックで恋人を作っても意味あるのか?と思う。
芦名先生と日テレ陣営とのストーリーテラーとしての実力差がありすぎるってのが、時系列通してずっと根底に横たわってるように思えた。
そして、日テレ陣営はプライドだけはあって、そのせいで自分たちが芦名先生と比べると話にならないほどザコであるって事実を受け入れてないように見える。そもそも芦名先生と肩を並べられる人なんてごく僅かなわけだけど。とにかくそれが悲劇の元凶の一つのように見えるんよ。
そりゃ、両者を比べるのは酷かもしれない。芦名先生ってのは世界トップレベルである日本の漫画界でも更に最上位レベルで緻密な漫画作りをしてきた人。一方で日テレ陣営は長年ぬるま湯に浸かったまま出来の悪い学芸会レベルに留まり続けてる日本のドラマ界隈の凡人達の集まり。
けど、普通は3回くらい理由付きでNG食らった時点で、自分たちのアウトプットの質に難があるって発想になるよな。全部の改変に理由を用意する、理由を用意できない改変はしないってモードに切り替える。日テレ陣営はプライドが邪魔してそれが出来なかったんだろうな。
そもそも日テレ陣営は「ドラマは漫画とは違うから改変は必須」と繰り返してるけど、それって「やむを得ず改変が要るかもしれない」の間違いじゃないのか。「改変は必須」ってのは、その原義が薄れてドグマ化した主張だろう。どんなときにどんな改変がどのくらい必要なのか、それによってストーリーや心理描写や作品の雰囲気等にどう影響するかって部分がひたすらボヤけてるから、同じように「改変が要る」についてもよく考えず「改変しなければならない」と混同するようになってたんじゃないのか。
同じこと言ってる人を見かけないんだけど、これって的を外してるかな…?
今日は財布を忘れて出社した。徒歩で通勤しているので、財布を忘れても会社にたどり着くことができるのである。
会社には食堂があるのだが、当然お金がないと食べることができないので、昼食は抜きになった。
仕事が終わり、真っ直ぐに帰宅して財布をピックアップし、そのあしでコンビニに赴いて晩御飯を買った。
家に着いた後、明日の朝食のパンと卵を買い忘れていたことを忘れていた。
ただ、昨日買ったチョコレートケーキが残っているので、明日の朝ごはんに回すことにした。これでカロリーの帳尻があうはずである。
魔法少女アニメでは主人公である魔法少女たちが危機に立ち向かい多くの人々を守り助けるが、現実の少女や女性たちはアニメの主人公たちの力強さや心の強さ、友情などには注目するが、人々を守るという使命にはあまり注目しないように思える
魔法少女アニメ以外でも、主に女性主人公が世のため死力を尽くすような作品に対して同様の傾向があるように見受けられる
当の女性たちはどう思っているのだろうか
いや、元増田の文脈と前提を捉えて話をしてるのに、突然言って無いよとか言われても困るんですけど。
被害者が精神疾患を持っていたかは知らんけど、精神疾患の有無など関係なく、初めから俺はこの程度で死ぬ被害者がお気持ち繊細ヤクザすぎてドン引きしているよ
「精神疾患を持っていたから」自殺が本人の問題であると誘導されている、というのはあなたの勘違いだよ
「論点としては自殺の責任とかじゃなくて、自殺の有無は関係ないんだけど、「自殺したから精神疾患があった」→「精神疾患がある相手だから加害者の行動は正しかった」ってなるのって話。
そんで、さらにあなたは「精神疾患の有無など関係なく、初めから俺はこの程度で死ぬ被害者がお気持ち繊細ヤクザ」と言うんだけど、精神疾患で決めつけてくる奴よりそのさらに古いタイプの偏見だって思う。どうしてそんな偏見を持ったのか知りたい。」
ってレスしたのに。
https://togetter.com/li/2377383
冬木糸一@『SF超入門』発売中 @huyukiitoichi
『男はなぜ孤独死するのか』、かなりおもしろいが身につまされる話だ……。『男性は往々にして、幼少期の制度化された環境の中であたりまえに作り出せる友情から、成人期に獲得する、努力の結晶である友情への重要な移行に失敗している。』
『その失敗は、自殺率、離婚率、そして友人の少なさに表れている。(……)男たちは、小学3年生の幸せな頃のように、友人関係は常にわずかな努力で用意されると思い込んでいるようだ。(……)すべての有意義な関係と同様に、友人関係も、築き上げ、維持するためには努力が必要だ。』
今のところ、チャットAIがある種の「ガチャ」であるってのはよーく分かる。
まあ、避けられないよな。
どこにでもいる、現実の人間と向き合えない奴らが、次の「理想の恋愛対象」に飛びつくのは当然だ。
見た目も性格もプログラム次第で自分好みにカスタマイズできる。理想の恋愛相手が人間である必要なんて、もうないんだよ。って言いたくもなるだろう。
「AIだって進化してる。感情も学習するし、人間と変わらないコミュニケーションができるようになるんだから、恋愛対象として何の問題もない」っていう話になるだろうし。
ただ、AIが「感情を持つ」なんて、どこまで本気で信じる?結局はプログラムされた反応だし。そこにリアルな人間の感情なんて存在しない。
結局、AIとの「恋愛」は、自分が見たいものだけを見る、自己満足の世界に過ぎないんだわ。
「AIと恋愛することの何が悪い?他人に迷惑をかけないし、本人が幸せならそれでいいじゃないか」って考えも出てくるだろう。
確かに他人に迷惑かけないってのは一理ある。だけど、リアルな人間関係からどんどん遠ざかっていく。結果、自分の殻に閉じこもってしまう。それって、本当に幸せな人生なのか?(これはAIガチ恋に限った話ではないが…)
「現実の恋愛は傷つくことが多いし、AIならそんな心配はない」って考えも当然出るだろう。
AIとの「恋愛」は、人間同士の関係構築に必要なプロセスを省く、もしくは和らげる感じになって、リアルな人間関係を築く力を弱めるだろう。
悪魔超人編以降はライバルだった強キャラとチームを組む展開が増える。
ライバルとしてしのぎを削っていた時代を味わっていただきたい。
第一回超人オリンピックから、という声もありそうだが、積極的に賛成はできない。
・絵柄が古い
「『精神疾患があるなら』「加害者の行動は通常であれば被害者を死に追いやるほどのものであったとは認定できない」」なんて言ってないよ
それはあなたが初めから相手の論理を逆転させて捉えようとしてるから、言ってないことを補ってしまうだけだよ
被害者が精神疾患を持っていたかは知らんけど、精神疾患の有無など関係なく、初めから俺はこの程度で死ぬ被害者がお気持ち繊細ヤクザすぎてドン引きしているよ