はてなキーワード: はいとは
ゲイは社会に認められづらく、それでも貫くには情熱(性欲)が必要だから。うっすら自分はゲイじゃないかと思ってるけど、性欲の薄さゆえノンケとして過ごす人はいると思うが、この人達はゲイとしてカウントされない。
なるほどな。思いつく限りいないことはない
同棲してる恋人のことを「同居人」とか言ってぼかしたりするけど、その言葉の使い方をする意図がわからなすぎて、気になり始めたら止まらなくなった。
で、ぐるぐる考えてそこそこすっきりしたので残しておく。
最終的には「なぜ同居人を使うのか」ではなく「なぜ引っかかっているのか」という自分の感情掘り下げですっきりしちゃったので、結局「同居人」という言葉を使うこと自体はどうでもよかったのかもしれない。
モヤモヤしない例でいうと、会社で「同居人が怪我をしたので病院に連れていきます(だから遅刻します)」みたいな文脈だったら、遅刻する理由は説明しないといけないけどプライベートに踏み込んだ話はしたくない、TPO的にするべきじゃないと思っての「同居人」チョイスはわかる。その同居人は友達かもしれないし恋人かもしれないし事実婚関係かもしれない。でもこの文脈でわざわざ関係性を明かす必要はないし(どちらかといえば同居しているという事実のほうが重要)、聞いてる方もそこまで説明してとは思わない。
逆にモヤモヤする例は普通にプライベートの雑談とかで自ら「同居人が〜」って言われるor書かれるとき。「なんでその言葉のチョイスにしたの?」ってなる。
しかも大抵そういうときって「同居人」である必要がない。「友達」「恋人」「知り合い」でも通じる。なんなら「友人」「恋人」「友達の友達」とかはっきりしてくれたほうがスッと頭に入ったりする。そこでわざわざ「同居している」という状況説明を付け加える意味とは。
結論として、私は「同居人」という言葉を変な意味を付け加えてしまっていたのだった。
私の中で「同居人」は「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」じゃなくて「状況を表す言葉カテゴリ」であると変に捉えていた。さらに「同棲している恋人のことをぼかしたいときに使われる通称用語として新たな意味を持った一般名詞化しつつある謎用語」みたいな感じになっていた。って考えに至ったらわりとスッキリしたのでモヤモヤが供養された。
前者は、「同居人」は「「誰か」と同居している」というのを名詞化したものであり、概念であり個人を指してないだろ!という感覚だった。「人」って付いてるのにね。
後者は一般名詞を一般名詞でぼかす不思議さを感じていた。性行為のことを「仲良し」ってぼかす謎文化(?)あるけど、あれに近い感覚。
辞書によると「一緒に住んでいる家族以外の人」が同居人ってことらしいので、文字通りで「相手との関係性を表す言葉カテゴリ」が本来正しい。友達とか恋人と同列で語れる言葉。ラベルみたいなもの。そりゃそう。カテゴリが一緒だけど、レイヤーは違う感じかな。
もちろん辞書的な意味はわかってはいたけど、私の実体験として「同居人」が実態として同棲している恋人であることがほとんどであったから、バイアス(?)のようなものがかかっていて、色々ごちゃごちゃになっていたのだと思う。
だから「同居人」という言葉で説明されるとなんとなく全体がモヤがかっている文章に思えて、本質が掴めないような気がしてた。本当に「同居人」としか言いようがない関係の人もいるだろうけど。
「ぼかす」意味で利用している人も、「一般名詞を一般名詞でぼかしている」のではなくて「レイヤーをあげてぼかしている」なんだとやっと気づけた。そしてレイヤーをあげてぼかしている理由は私にとってどうでもよかった。千差万別だろうし。
なんだか文章にしてみると当たり前過ぎてなんでそんなモヤモヤしてたんだという気はするけど、これで明日から「同居人」と聞いてもモヤモヤしなくなるのは嬉しい。
オイオイ待てよお前だって普段はソシャゲなんて出来の悪い賽銭箱だ。買い切りの方がずっと面白いと言ってきただろ。、と。
要約すれば、買い切りゲームでは失敗してもプレイ時間以外に失うものがないので、1プレイにかける熱を薄めるというデメリットになる。、ということらしい。
つまりアイツが言いたかったのは、ソシャゲであることがマイナスになるゲームとプラスになるゲームを区別できずなんでもかんでも買い切りじゃないから駄目だと言ってる奴らは浅いということだそうだ。
なるほど。
アイツは言葉ではそう言っていたが俺には分かる。
アイツが本当に言いたかったのは、プレイするたびにスタミナを失うというゲーム性が、プレイするたびにコインを失っていくアケマスのゲーム性へと原点回帰しているのに、これを評価できない奴にこのゲームについて語る資格はない。、ということのはずだ。
俺達はあの頃、アケマスをやっていた。
金がない中で、飯代を必死に削りながらアケマスをやっていた。
若かった。
家庭用が出た。
XBOX本体と合わせた値段で考えてもプレイにかかる総コストはべらぼうに下がったはずだ。
だが、どこかで情熱が失われていった。
身銭を切ることがなくなったはずなのに結果に対しての悪態が増えていた。
時間以外は何も失っていない中で、時間だけを失っていくとうい感覚が結果的に、より多くのものを失ったかのような錯覚さえもたらした。
1プレイにかける覚悟、それを生み出していたのはクレジット投入音だったのか。
俺達のアイマスにかける熱はいつしか冷え切り、ガラケーで、スマホで、課金してスタドリを飲みながら走り続ける連中を嘲笑うようになっていた。
あんな集金装置にお金を入れちゃって、好きなアイドルにいつか声がつくと信じてるんだからおめでたいもんだね。、と。
そんな俺達もアイマスの新作が出るたびに少し齧っては、ゲーム性に違和感を覚えてやめてばかりいた。
だが、最近になってそうじゃなくなってきたんだ。
失敗と隣り合わせの育成が、育成の度に失われるスタミナが、単なるポイント稼ぎのための作業ではなく、一回一回に新しい発見のある周回が。
スタミナ制だから、疑似クレジット方式だから、そこに意味があるんだよ。
音ゲーじゃ駄目なんだ。
育成ゲーじゃなきゃアイマスじゃない。
周回じゃなきゃアイマスじゃない。
そして、買い切りじゃ駄目なんだ。
時間以外の何かを失いながら走れないなら、それはアイマスじゃない。
俺達にとっての、俺にとってのアイマスじゃないんだよ。
これが分かってないやつら、本当に浅いよな。
「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」
「「ああ、無料のな」」
欧米・日中台韓の恋愛工学フォーラムは「女はオナホ」の大合唱になったのであった。
フミさんはいい人
ますだ
じゃくだんポケモン おもさ 98.4kg おおきさ 161.2cm
インターネットにおいてつよい力をもち、
アジアゾウもたいあたりでたおせると話す
前の会社で、ある国家資格の登録したら8万円の祝金がもらえる制度があって、実は入社の数年前に合格はしていた(登録はいつでもできる)ので、入社後すぐに登録して8万円の小遣いをゲットしてことがある。
自分は女で普通に男友達はいるが、彼らともいつ何があってもおかしくないという気持ちで向き合っている。
それは別に脅威でもなんでもないというか、友人として付き合いつつセックスする選択肢もあるし、そういうスイッチは自分も向こうも常に持ち合わせてるものだと思っている。
たとえば犬を飼う時に、本質的には肉食獣であるということを忘れずに飼ってるか、「うちのショコラちゃんは大事な娘、人を噛んだりしないザマス」って思考停止してるかの違いのように思う
街の動物愛護センターからお迎えした時は両の手のひらにのるくらいのこねこだったのですが、まるまるしていたおなかもシュッとしてきて、とても素敵なわかねこになりました。センターのスタッフの方からはちょっとひかえめな子なのでと伺っていましたが、びびりちゃんだったのは最初の1週間だけで、いまでは増田が夕刻帰宅して玄関を開けるトトトトとお迎えに駆け寄ってくれますし、そのあと増田の足元をくるくるまとわりつきながら勢いよく倒れ込んで白いおなかを上にするので、増田もすかさずただいまのあいさつと共に全身を撫で回したりしています。増田のねこはいわゆる縞みけでキジトラと茶トラと白の三色毛皮なのですが、背中の模様はキジトラと茶トラがマーブル模様のように混ざり合っていてまるでめのうのように美しいので、増田は今日もきれいだねえかわいいねえと唱えつつ白いおなかとマーブルの背中を交互に撫で回してからばんごはんのパウチを召し上がっていただく準備を始めます。増田のねこもごはんよりもこの帰宅時のご挨拶を大事にされているので、手を抜くわけにはいかないのです。
増田には長く一緒にくらしていた先代ねこがいたのですが、街中で唐突に出会って勢いで共同生活が始まることになった先代とは違って、二代目は乞うて動物愛護センターから来ていただいているわけなので、やはりきちんとおもてなししたいですし、しないとダメだと思うのです。まあこちらも先代とは20年以上も共に暮らしていたものですから、遊びだろうがブラッシングだろうが所望されたら即対応することなど造作もありません。彼女のほうも遊びたいときには遊びたいおもちゃをくわえてやってきて、増田の目を見ながらぽとりと落としたりするくらいではあるので、「まあいっしょに暮らしてやらないでもない」くらいには感じてもらっていると良いなあと増田は思っています。ただ、ねこ一匹ひと一人の生活なので、コロナ禍から社会が通常に戻るにつれてねこに留守番をお願いすることも増えてきてしまいました。先日はとうとう初めて一泊二日の留守番をお願いしてしまったのですがとてもよいこで待っていてくれました。まあ帰宅時のご挨拶はちょっと長めを要求されましたが。
先代もとても素敵なねこだったのにさらに輪をかけてすてきなねこをお迎えすることができるなんて、NNNがちょっと増田をひいきしすぎている点についてはみなさまに対して大変申し訳なく感じているわけですが、こればかりはどうしようもないので、引き続き仲良く暮らしていこうと思います。以上よろしくお願いいたします。
単に困ってる人を放って置けないのか、助けて優越感に浸りたいのか、自分の存在を肯定するためなのかはわからないが、ネットで人助けをしてる。
別に大々的にやっているわけじゃないので目についた人しか助けていないけど。
利息とかもつけないで本当に貸すだけ。
お金が必要な理由はコロナで収入が減ったとか、転職する間の生活費とか、病院代とか。
老若男女問わず貸してきた。
遠慮がないのがシングルマザー。毎回毎回コロナが、子供が、クリスマスが、色々理由をつけてお金を借りる。
次の子供手当が入ったら、岸田のお金が入ったら返すって言うだけで返済されたことがない。
しかも連絡もしてこない。
一人につき50万以上貸してる。酷い話だ。
それに比べてハゲはいい。確かに、だらしない人もいる。でもハゲはいつでも誠意があった。
ギャンブルで貸したお金を溶かしたハゲもいた。でも泣きながら謝られたから許せた。
今ではそのハゲはギャンブル依存症の治療をして障害者雇用で正社員で働いてるらしい。
なんで急にこんな愚痴書いてるかというと、この前若い女に病院代ってことでお金を貸したら酒ばっか買って病院行ってなかったらしい。
「一人じゃ外に出られないなら連れて行くから一緒に行こう」って言ったら「うるせえブサイクじじい!」って言われて泣きそうになった。
なんで自分は1日1食でもやしにマヨネーズかけて食べてる中、お金借りてる方がピザ食べて酒飲んでるんだ。
と毎回思うのに、それでも困っている人を見ると手を貸してしまう。
歳をとるほど妥協すると思うだろ?
逆なんだよ
若いうちは多少の欠点も許容できるけど、後がなくなると無理なんだよ
客観的にみると、私はそれなりに優秀な人材だ。それなりの大学の修士卒で、かなり大手の企業に就職し、それなりの給料も得ている。
しかし、年々自分の自己評価と客観的な評価とのギャップに悩まされるようになってきた。「もっとあの時うまくできたんじゃないか」 「もう愛想つかされたんじゃないか」そんなことで四六時中頭の中がいっぱいであり、ここ数年、ぐっすりと眠れた記憶がない。
これは謙遜ではない。真に自分は仕事ができない。資料はどんなに時間をかけてもきれいにならないし、人前で話させれば噛みまくる。自分で自分が何を言っているのかわからないほど、筋の通らない話しかできない。準備すればするほどドツボにはまっているかのような感覚になる。
自分のやった仕事に一切自信が持てない。自信が持てないというより、全然いい仕事ができてないことに自信がある。そういったことを同僚や上司に正直に告白することができる年次はとうに過ぎてしまった。年々焦りが強くなる。
本当につらいのは、人事評価という点ではなんとなくごまかせていることだ。他人のやったことをさも自分がサポートしたかのように取り繕い、自分の実力をアピールする。ヒルみたいな性格だ。