はてなキーワード: 都市伝説とは
きょぬー好きとそこそこ好きの間には大きな差があると思うぜ。
ちうか巨乳好きとか本当にどんだけいるんだろう。ましてや巨乳好きが多いとかいうのは都市伝説だよ!
……とか無根拠に言い切ってしまう巨乳嫌いな私(28歳・男性)。
でも、そこそこがいいんだよね、やっぱり。
巨乳は服の上からでも分かるぐらいなんか生物学的に気持ち悪くて退いてしまうのだが、こう、酷な話だが、貧乳も現物を拝む機会の多い(更衣室とか温泉とか)友人女性曰く「ちょっと生き物として『あるべきものがない』微妙な違和感を感じる」と言う。微乳=美乳であることはやっぱり稀で(冷静に考えれば美と貧を兼ね備えたフォルムってすごい特殊だ)、微乳≠美乳は哀しいながら当たっているみたい。服の上からしか想像しない我々野郎諸氏にはイマイチ伝わらない話らしいのだが。
「プログラミング作法」のなかのデバッグ方法のひとつとして語られる話ですね。どっかで読んだ話だけど、テディベアすら思い出せなかったという。だめじゃん、自分。
つーことでちょい検索。
そのくだりはベル研にありました→http://cm.bell-labs.com/cm/cs/tpop/debugging.htmlの"Explain your code to someone else."の所。
さらにネタもとの大学名とかないかと探しましたが、それは見つからず。原文も"One university computer center"ですし。カーニハンやパイクの実体験なのか、ベル研で語られていた話なのか、それとも都市伝説的または創作なのか。
どーなんでしょうね。
[追記]
ってかあるし。テディベアエフェクトw
http://anond.hatelabo.jp/20070314201650
というところがとてもじゃないが耐えられない。
一行知識というのが世の中にはある。雑誌のハシラに書いてあった「サンドイッチはサンドウィッチ伯爵がトランプの合間に食べられる食事として発明した」といったような、どうでもいい雑学のことだ(唐沢俊一さんが詳しい>http://www.tobunken.com/)。今はトリビアとか言うんだっけ? この一行知識のよいところは、あまりにくだらないから誰も正誤を確かめない、ということだ。
「ものを知っている」というのは「見たことがある」というのとは根本的に違う。原著にあたれとは言わないが、少なくとも「インターネットのウィキペディア」で手に入れられるような知識に、正誤の確証性は求められないだろう。
だが、それでもいいのだ、それが一行知識ならば、その知識は「いかに役に立たず」「いかにくだらなく」「いかにソースが不明瞭」でもかまわない。面白いことが第一であって、他には何の役目もない。
ところで、カラスの脳には霊長類の新皮質に似た構造があって、他の鳥よりはるかに頭がいいらしい。
そう、スチャダラパーの名曲「ヒマの過ごし方」で歌われるように、人類の脳も、発達すると同時にヒマを知った。
ヒマを潰すために絵を描き、音を発し、言葉を生み、知識を遺す。
性本能は水爆戦がなくとも暴走し、テレビモニターの中に映る肌色の物体に欲情することを喜んだ。
かなり思いがけない事だが 人は必死でヒマをつぶしてるだけだ
本来 人はヒマだった そしてそれを受け入れることができた
世界中の至る所そんな足跡を見つけることができるだろう
スチャダラパー「ヒマの過ごし方」WILD FANCY ALLIANCE
酒の席で発酵と腐敗について一言、殺人の前にはモナリザの素晴らしさを語ろう。
女子プロの前座で小人プロレスやってた頃って百貨店の試着室で誘拐されてタイかどこかでだるまにされて、なんて都市伝説がありましたよね。
長い人生を生きていれば、要らぬ知識を溜め込むぐらいのヒマは誰でも作れるだろう。
そこで何を溜め込むかは人の勝手だ。できることなら、要る知識を溜め込んだ方が良いのだけれど。
本・テレビ・インターネットで見聞きしたことを話してるだけの浅いことしか知らないひとたちと、本当の知識を持っているひとの差は、誰にでもわかる。
「大切なのは何を知るかではなく、いかに知るかだ」という言葉にもある通り「インターネットのウィキペディア」ではそれなりのことしかわからない。
なぜ、自分よりも知識の少ないひとしか周りにいないのか、その原因を深く考えてみよう。
それなりの知識を溜め込んだ自分を、後悔する前に。
障害者といえば、障害者を天使だのなんだのとやたら美化する人々を思い出すが、彼らは実在するんだろうか。どうも都市伝説の風味がある。「数十人で手を繋いでゴールする小学校」が嘘だったように。いや、まあ、そういう掲示板を見ると、そういう書き込みがあるので、完璧な虚像とは思ってないけども。
んで、人権擁護団体と聞くだけでうさんくささを感じて忌避しようとするほど彼らは嫌われてるわけだが、下手に障害者をかばったら自分も彼らと同じに思われると感じて自衛的に障害者を嫌うってのもあるのかなあ、と。人権擁護団体のせいで人権侵害が拡大してるという、不条理な構図になるわけだ。
そもそも人権ってなによ、と言われてきちんと答えられる人がほとんど居ないのも要因か。定義っぽいものの暗誦ならできそうだけど、理解してるかというとそうでもない、みたいな。そのへんの漠然とした認識に、障害者は天使だとか同和とかが植えつけられて、人権=うさんくさいって意識ができあがる。義務教育における人権教育って、実務的には差別の見本市なだけだし。
人権とかポリティカリーコレクトなことを楯にされると、学校とか行政とかスイミングスクールも反対しづらいみたい。そこらは役所お得意の毅然とした対応しろよ、とも思うが、波風立てたくないんだろう。立ってるけども、そういうんじゃなくて、圧力とか。ああ、タブー視されるのもこれか。