はてなキーワード: 仲裁とは
ちょっと長いが聞いてほしい。
近年の子供は、集団による言葉攻めや、相手を孤立させる村八分などの、ちょっとした暴力よりもよっぽど凶悪な攻撃を行う。
携帯メールなどが普及したこともあり、その手口はますます陰湿で極悪になっている。
そしてなにより、虐めがあまり気軽だ。まるでメンコで遊ぶ感覚で虐めが行われる。
通常このような虐め、すなわち攻撃にあった子供は、状況を打破するために反撃を試みるはずである。
孤立させられている状況を考えると、反撃の手段は拳によるものになるだろう。
反撃は攻撃を、すなわち虐めを緩和させるための防衛手段だ。
攻撃者も、反撃というリスクを理解していれば、いじめにも慎重になる。虐めは無益だと気づくだろう。
攻撃すれば反撃される、必死に抵抗される、場合によっては自分も致命的なダメージを負う、
というシステムは動物でも熟知している自然の摂理だ。当たり前のことである。
ところが、虐められた子供が虐めた子供を殴ると、どういうわけか虐められた子供が非難される。
理由はどうあれ、最終的に暴力を振るった人間、相手を目に見えて傷つけた人間が最も悪いそうだ。
もし、このようなシステムを許容すると、できるだけ早く虐めを始めた子供が圧倒的優位になる。
相手を孤立させて虐めれば、反撃の手段を拳に限定できる。
しかし拳は「暴力はよくない」というステレオタイプにより禁止されている。
虐めても、顔に傷を負うとか、目をつぶされるとか、そういったリスクがない。
昨今の加害者過保護の風潮もあいまって虐めが発覚しても、それほどしかられることもなく、処分を受けることもない。
虐めが気軽に行われるのはリスクがないからである。虐めはノンリスクなのだ。
最後のストッパーになるべき教師も、昨今ではもはやただの案山子、親御の奴隷。
ノンリスクであるから、虐めに歯止めがきかなくなる。やり放題だ。
虐めの標的になった子供はサンドバッグになるしかない。逃げるしかないのだ。
どこに逃げるのだろう?
引っ越すのか?
人格を消すのか?
死ぬのか?
この状況に疑問を持たない大人はいないだろう。
モンスターペアレンツの問題も、学校へのクレームに関するノンリスクが問題ではなかろうか。
言い放題なわけだ。結果として教育現場が混乱し、自分の子供のデメリットになるのだが、そのリスクを理解していない。
そのようなシステムの穴、ノンリスクを利用する人間は、悪人か馬鹿である。
自分の子供がノンリスクを悪用する馬鹿に成り果ててもよいのだろうか?
それは虐めた子供にとっても自然のシステム、行動とリスクを理解させるチャンスであり、
虐められた子供にとっても自分を守る手段なのだから。
リスクを理解できなかった子供は二世モンスターペアレンツになるかもしれないし、
守ってもらえず、同時に自分の身を守る手段を奪われた子供は人間不信になるかもしれない。
どちらも攻撃者となれば、それはけんかである。子供のけんかは大賛成だ。
けんかを許容するシステム。ある程度のけんかで仲裁できる教師。
今の日本にはこの二つが必要である。
それにしても、現代人は「暴力は悪い」というステレオタイプに踊らされすぎではないだろうか。
私は正しい暴力もあると思うのだ。
あるとき「おなかが空いた〜、たすけて〜アンパンマ〜ン!!!」と叫ぶと、空の彼方から飛んで来たのは
(途中省略)
そして背中のバックパックからけんだまを取り出すと
(途中省略)
しかし、財布の中には木の葉が入っていた。「くそっ、だまされた!」と叫ぶ暇もなく
(途中省略)
「じゃあね、お兄ちゃん」と呼ばれることなんてありえない。オタクの妄想だ!しかし、いくら叫んだところで「お兄ちゃん」と呼んでくれるのはいかついオッサンばかりで
(途中省略)
ガタンゴトンと揺れる列車の中から見えるゴールデンゲートブリッジが夕陽に赤く染まり、それはいつ崩れ落ちるとも知れぬ恐怖を
(途中省略)
だからと言って右クリックと左クリックの戦いをこのまま黙って見ているわけにもいかず、思わず声をあげて仲裁に入った。しかし、歴戦の勇士たちの腕力はすさまじく、私の必殺5ボタン同時押しが相手に届く直前、世界はぐるっと一回転した。次に気付けば私は芝生の上であおむけに倒れていた。しかも何だか左頬が痛い。
(途中省略)
(途中省略)
(途中省略)
(途中省略)
(途中省略)
(途中省略)
(途中省略)
(途中省略)
私の数千ページにもわたる黙示録、、、いや日記、、、これも違う。うーん、とりあえず、伝記?いやいや、とにかくだ、私の旅の最後で出会った怪物は、、、え、怪物だったっけ?いやいや、吸血鬼?それはもっと昔だな、、、。
えっと、、、、なんだっけ。
性格診断とかやってみても選択肢の中で本当ぐるぐるする。
自分はどんな風に生きてたっけ?直感?とも論理的?ありがちな選択肢にさえ迷いが生じる。
どんな人間だか判らなくなっちゃった。そういうのを感じる心が壊れちゃってるみたいだ。
ただ一つ自分のことで判ってるのは、できた人間扱いされたくないということ。
すごく気遣いできる人ね、とか貴方がいると空気が和らぐよ、とかムードメイカーとか
皆に愛されてるね、とか言われるたびにそんなの違うと叫びたくなる。
ほんとの私はそんなんじゃない。嘘ついてそう見えるようにしてるだけ。
誰か私を子供扱いしてほしい。私、全然世渡り上手なんかじゃない。ただ摩擦起こしたくないから笑ってるだけ。ホントは仲裁役なんて向いてないしいっつも怒ってばっかりの子供だもん。
こっちの私を好きっていってくれる人に抱きしめてぎゅーってしてもらいたい。ぎゅーってして、ちゅーって一杯してもらいたい。でもこんな嘘つきな私はだめなんだろう、たぶん。
あそこの仲裁には入れないよ。はてながムリなものはユーザにはもっと無理。
事実何人か入って死傷者数が増えただけだったからね。
あえて言うならもめごと両成敗。
勝っても得るものなんかないんだ。あの場合負けても失うものもないとおもうし。
負けるが勝ちだとしか言いようがない。
労力つかわず傷が浅い段階でハンドルネームなんて捨ててしまえばよかったのにとか思う。
おもしろ楽しくできない時点でね。
にちゃんねるは見てたけど書き込んではいない。
物陰に隠れながら見るのが精一杯。いや見てもなかったか。
なんにせよあそこを見てできる判断は「かかわらないでおこう」だけだった。
とても板橋のおまわりさんみたいな行動はできません。
そういえば相手方も最近みないね。
元気だったらいまごろはまちちゃんあたりに挑んでるんだろうな。
ITmedia News:「面白くないものが面白くなる」 ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の価値 (1/2)
本当に、面白くないものが面白くなっているのだろうか。
「動画に対する“突っ込み”が生まれて、突っ込んだ人に対してさらに突っ込む人も現れ――どんどん段階が増えていく。盛り上がり所の前に、『みなさんご一緒に』『数秒後にすごいの来ます』と指示する人が現れ、数秒後にみんなで一斉に書き込んだり。滑舌が悪い人のせりふを解説する人もいる」
画面上では「こんなのつまらない」「いや面白い」と言い争いも起き、それを仲裁する人も現れる。前の人のコメントを見た上で新しいコメントが入るので、コミュニケーションがどんどん深化していく。コメントは最新200件しか表示されないので、深すぎて何が起きているか分からない――というところまでは行きにくい。
「テレビだと『職業:ボケ』『職業:ツッコミ』の人がいて、突っ込んだ時点で初めてそこが面白いと分かり、テロップで『ここが笑う所だよ』と教える。ニコニコ動画は、テレビとしての完成品の上にさらに『ここが面白いんだよ』とやる」
「YouTubeは、他の著作権者の著作物をそのまま劣化させ、広告モデルにしようとしている。それはそれでビジネスと思うけれど、元の作品の権利の奪い合いになっているような状態。そこはあまりやりたくない。YouTube上の素材にユーザーが突っ込むことで新しい価値が生まれていると思うので、その部分を売りにしたい」
ITmedia News:「面白くないものが面白くなる」 ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の価値 (2/2)
「でも、すでにYouTubeなりAmebaVisionに動画が載ってしまっていて、そこに載った映像は、権利者にとっては何の収益のもならない。だから新しい価値をぼくらが加えた上で、何かうまく収益になる形を作るという方がいいのではないか」
最終的には、テレビ画面に対してリアルタイムに突っ込み合える環境ができれば面白いと、個人的には考えている。2chの実況板の映像付き、といったイメージ。
はてなブックマーク「注目の動画」とそこでのはてブコメントの関係に似てなくもない。が、ニコニコ動画のコメントの嵐は罵詈雑言だらけで内容がアホすぎる感がある。増田の皆さんどう思いますか?