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2007-02-28

「ハイパーテクスト」と「ハイパーテキスト

http://anond.hatelabo.jp/20070228073114

テキスト」とは、例えば学習教材だったり、教科書、または単純に現場資料や活字群を指す場合が多い。

テクスト」とは、ハイパーテクストとか間テクスト性とかいう用語を聞いたことがあると思うけれど、ある構造体そのものを指す。なので、活字媒体だけでなく、視聴覚メディアに対しても適用できる。メディアテクストという言葉最近ではだいぶ広まっているように思う。

たぶん、いつになっても混同されたまま使われるんじゃないかな。

ググってもこんなんだもん。

カタカナ語をまだ「嫌い」といっている人がいた

カタカナ語を使えない人は、言葉の力に鈍感だ。もっというなら、日本語の機能美に鈍感だ。

専門用語で申し訳ないけれど、例えば

テキスト(text)

テクスト(text)

この二つは専門書を読んでいても、しょっちゅう混同されている。でも厳密に両者は意味が異なる。

テキスト」とは、例えば学習教材だったり、教科書、または単純に現場資料や活字群を指す場合が多い。

テクスト」とは、ハイパーテクストとか間テクスト性とかいう用語を聞いたことがあると思うけれど、ある構造体そのものを指す。なので、活字媒体だけでなく、視聴覚メディアに対しても適用できる。メディアテクストという言葉最近ではだいぶ広まっているように思う。

だから普通は「テキスト」と「テクスト」を使いわける。厳密に意味が違うのに、「テクスト」というべき点を「テキスト」というのはコミュニケーションノイズになりかねない。そこのところに敏感になれない人が言語社会を語ろうなんてナンセンスだ。(余談だが、この「ナンセンス」も「ノンセンス」とは厳密に意味が異なる)

カタカナ語は、漢字という特有の訓意を内包した記号から反れ、独立的な概念を構築するという可能性を持った日本人のための記号なのだと思う。(少なくとも、そんな風にカタカナ語は生まれている)

だからこそ、それらは「原語(英語など)」に意味を求めるのではなく、しっかり日本語として認識されるべきなんだ。発音なども関係ない。なにせ、これは外来語として日本人のために使われるべき言葉なのだから。

そうしたカタカナ語を、さらには「不必要」だとか「漢字に変換せよ」だとかいうこと自体も非常識。それは旧来の日本文化の観念に、新たな認識概念を閉じこめてしまう言葉狩りでしかない。

もちろん、不必要と思えるほどにカタカナを濫用する場合もある。だけどそれは、たぶん「方言言葉が通じなかった」程度に認識すべき事象なのではないだろうか。

2007-02-24

分哲?

アウトプットされるテクストとは別に、その元となっている思考の実体というか基体というか本体のようなものがあって、テクストは単にそれの翻訳・置換の結果として出力されるものに過ぎない……のかどうかは、ちょっと微妙

言語が違えば、その実体だか基体だか本体だかに当たる「思考そのもの」も、また別のものになるんじゃないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20070222162447

イコンテクストとしての日本的なるものの"空気"と、現代の「空気嫁」の"空気"は単純に連続的な、異常進化結果なのか。あるいは全然別物なのか。

ポストモダン的といえばそれまで・・・とか考えてたら

http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050825

に殆ど書いてあった。じっくり読もう。

2007-01-24

わー!わー!世の中カオスだ!

Reply機能わかりにくい!age機能わかりにくい!!日記ってのはな、時系列で並んでいるっていう約束事があるから、同じ画面に無節操テクストが並んでいても、「読めるんだよ」、Reply+Ageは、何をやりたいのかはわかるが、別のページにまとめページができる感じにしてもらわないとカオスだ。

seVなんとかさんがつくった、グリースモンキートラックバック元とその記事を、記事の下に一覧表示するやりかたのほうがわかりやすい。

2007-01-19

[] 増田無間地獄スルー力の正体

仮説

  • 増田』における議論は、自分の意見を表明することが主たる目的であり、その際書き手が判断基準として用いるのは自分の思いつきと自投稿の直近2、3レスである。

議論の参加者は、自分の投稿が周囲に評価され、以降の投稿で引用され、やがて議論が収束することを望む(「自分は特別である」「自分は選ばれし人間である」「自分を褒めて欲しい」)。しかし、『増田』においては、誰にとっても「自分の意見を表明すること」が第1の目的であるため、議論の発展的解消は達成されず、別の投稿者による類似した投稿が延々と続くか、全く別の話題がアップされるのみである(「自分以外の人間は特別ではない」「自分以外は選ばれし人間ではない」「自分以外の人間を褒める必要はない」)。

増田』におけるテクストの羅列。それは、まるで、記憶力の悪い人間の壮大な独り言のようである。

そんな「ひとりごち」への、ささやかな報酬は、はてなブックマークブックマークされることであろう。混乱した思考に対し、外部から気にかけてもらえるのだから。

ところで、意見の表明のあり方には少なくとも次のようなパターンがあるように思う。

  1. 議題に対する素朴な感想
  2. 一群の同意の流れ(微妙な見解の相違を含む)。
  3. 2にまっこうから反対する意見
  4. それまでの流れをまとめて議論を終わらせようとする意見

問題は、議論の場への参加資格が対等なため、4は多数の意見がある中での一意見という扱いしかされない点である。これにより、議論はループし無間地獄と化す。

議論の終了宣言を行うことが許されるのは「他の投稿者より身分が高いと暗黙のうちに了解される人物」であるが、増田民は匿名なので、これは期待できない。ちなみに、ここでいう「身分」とは、理屈をこねる能力の優劣ではない。サービスにおける制度上の上下関係である。例えば、書き込みにあたっての物理的な強制力(書き込みを非表示にする、凍結する、削除する、など)を持っているか否かの違いである。

増田』上の議論に対し、読み手の精神的な安定をはかるための骨法は、「参加者が飽きるまでほったらかしにする=読み手が我慢する」という点につきる。これが、いわゆる「スルー力」である。

参考

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