2009-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20091101202611

萌えエロは同一ではない……というか、萌えエロエロゲというジャンルと思ってる。

私の思うに……

萌えとは、想像物・創造物それ自体に対する恋愛性欲的感情なので、その見た目対象が時代や地域によって大幅に異なっているとしても、それなりに発展した文化を持つ時代や地域ではほぼ普遍的なもののはず。ただ、産業革命によって手作業が機械作業に置き換わったように、日本において萌えの形式化が進んだに過ぎない。

誰もが異なる「萌え」を定義し、誰もが「萌え」を説明しきれないのは、萌え恋愛も同様に多種多様個々人で異なっていて、たぶん誰も恋愛感情における主観を一般化出来ないだろうというのと変わらない。

そのような意味で、萌えは様々なところに見出せる。有名どころだけでも……小説では、室尾犀星の「蜜のあわれ」の赤井赤子、夢野久作の「ドグラ・マグラ」の呉モヨ子、絵画では、ブーグローの「小さな物乞い」、ミュシャの「百合聖母」等々。いずれも、それを通じて誰かを想うのでなく、それ自身に対する恋愛性欲感情を伴う事と思う。

ところで、現代のエロゲには大別して三つの方向性があると思える。エロを追求するか(ただし、萌え恋愛性欲的感情なので、萌えが含まれるのは不思議なことではない……アリスソフト等)、萌えを追求するか(ただし、萌え恋愛性欲的感情なので、性的描写が含まれるのは不思議なことではない……キャラメルBOXの一部作品等)、物語その他作品としての出来や可能性を追求するか(あくまでエロゲという作品ジャンルなので、エロ萌えが含まれるのは不思議ではない……Nitro+等)。あくまでエロい表現を含むゲーム全般をエロゲと称しているだけなので、一部のブランドにおいては、むしろエロがおまけとなってさえいる(鬼哭街等)。

エロい心は恥ずかしいものだけれど、好きだという心は別に恥ずかしいものではない。だから、エロゲエロい部分は恥ずかしいものだけど、エロくない部分は別に恥ずかしいものではない。これは、彼女や嫁との性交を公にするのが恥ずかしいからといって、彼女や嫁や子供の存在それ自体は別に恥ずかしいものでも何でもないのと変わりがない。また、エロゲそれ自体はエロいものなので恥ずかしいにしろ、エロゲの中のヒロインそれ自体はエロいものではない。性交のためだけに彼女がいるのではなく恋愛の過程として性交があるように、エロゲの中のエロの描写は、仮想恋愛における一過程でしかない場合も十分ありうる。

恥ずかしいとしたら、それが仮想であるから、という一点だけのはず。それ以外の点でもって萌えを恥ずかしいというならば、それは、恋愛性欲そのものが恥ずかしいというに過ぎない。ただ、現実にある同種の感情を知らず(または、見て見ぬふりをし)、描き出された風刺画嫌悪を覚えているに過ぎない。

記事への反応 -
  • もうタイトルどおり。これだけ日本橋行ったりしてるんだが、いわゆる萌え系(絵)の棚にはなるべく近づかないようにしてます。 「どれを指して萌え系?」 「どれもおんなじだろ」 ...

    • 萌えとエロは同一ではない……というか、萌え+エロ=エロゲというジャンルと思ってる。 私の思うに…… 萌えとは、想像物・創造物それ自体に対する恋愛性欲的感情なので、その見た...

    • 「萌え」とは「要素」と「属性」の二つから成り立つものだよ。簡単に書くと次のようになる <萌え要素 萌え属性="メガネ,幼女,">対象</萌え要素> こう書けば分かるんだけれど、...

    • 絵に萌えるのは、遺伝子のせいなんじゃないか。 江戸時代の男が、花魁の絵を見て恋煩いになった、という話がある。 実話ネタの「いくよもち」という落語なんだが、重症の「萌え」が...

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