はてなキーワード: ダガーナイフとは
なんつーか、昔から時代とか社会が良くないっていう言葉はあったと思うんだよね。
でもここ10年ぐらいはやっぱり日本の社会は悪くなってるのかなあと、ニュースを見てたりすると思う。
先に言っておくと、自分が生きるという意味だけをいうなら自分は自分に満足している、相対的に言って勝ち組といえるかもしれない。
だから自分の利益を社会に対して要求しようというつもりは全くない。
世の中の人々が不遇を社会や時代のせいにするその風潮が、なおのこと社会や時代を悪くするように思う。
現状がどうだろうと、合理的に目の前の問題を解決することでしか我々は前進しないのだから。
しかし、なんかその合理的に考えてその解を共有するというようなこと自体がなんか通用しなくなってる気がする。
インターネットっていう強力な武器をもってるのに、なぜだろう?
ダガーナイフ禁止!とか明後日の方にいってるのを見るともうね。
ネットには正しいように見える言説があふれているのに、それらがほとんど実行されないのはなぜだろう。
日本の中で権力ある人々ってのは、自分のことしか考えていないんだろうなってメッセージを日々のニュースから読み取れる。
そして、そのなかで非力な人間が力を持つにはそういう人たちにおもねることが重要。
正しいことが間違ったことをただすことを見ることはまれにしか無く
力が力を呼び、歪んで肥大していくことを日々見せつけられる。
戦争が終わって60年以上たち、社会にも膿がたまってきてるんだろうか?
なにか黒幕のようなおぞましい何かがこの社会の見えない頂点に潜んでいて糸を引いているようなそんなイメージをうける
ユダヤ?中国人?韓国人?マスゴミ?官僚?世襲政治家?経団連?カルト?
それぞれが、それなりの求心力をもって日本の庶民を食い物にしてるような気がするが、よく見えない。それすら偽装で本当の黒幕が何かあるような気さえする。その黒い何かが、堀江や村上を犯罪者にして竹中の担当記者を変死に追い込んだのかもしれない。川田亜子さんはそのために死んだのかもしれない。
村上春樹の作品に出てくる羊の力。
では、食い物にされている日本の庶民の求心力って何だろう?徹底的に分断されてるけど、日本の庶民像ってのは確かにある。
無理矢理に言うと江戸っ子と関西人を足して二で割った何か。仕事を愛し、技芸を好み、礼儀正しく、粋に生きる、お人好し。そういう庶民像。
しかし、そういう庶民像の本当の味方、総体としての利益の代弁者というのは存在しないように思える。
左翼は、税金を弱者に使うことしかできない、しかも超非効率。保守は大企業の代弁者だが、大企業はバブルがはじけた後、庶民を2つに分断し片方を犠牲にすることに決めた。
ここに来て、さらに移民を呼ぶという。アメリカが自由の国なら、日本は、サムライの国、どんどん失われつつあるが技芸に優れ、木訥を潔しとする国だ。肌の色さえ違うかもしれない移民は日本語を学び、日本の庶民になってくれるだろうか?そしてそれを期待することにどれだけ意味があるだろうか?
GDPが増えたらハッピーというわけではない、ニコニコや2ちゃんねるに神が現れるまさにそのことが日本のすばらしさなのだとそういう気もしてきた。バブルのように日本の購買力で海外の資産を買いあさってるよりよっぽどハッピーじゃん。そうか?本当にそうか?サムライの技芸は、現代ではオタクとして昇華している、海外ではそれをリスペクトするものさえいる。しかし、オタクは非モテ、少子化への道。サムライの技芸を継ぐ跡継ぎはいない。回路はショートサーキットしている。
村上春樹の作品で言うなら世界の終わりとハードボイルドワンダーランド。サムライは座して死のうとしてる。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。
日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。