はてなキーワード: ソラニンとは
「サブカル」と聞くと若者向けのちょっと尖った商品、作品と思う人が多いと思う。
たしかに、その認識に間違いはないだろう。ただし、十年以上前の話しならば、だ。
サブカルと聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。
みうらじゅん、吉田豪、または伊集院光……だいたいこの辺の人間は必ず挙がってくる。
しかし、ちょっと考えてみてほしい。同様の質問を五年前、十年前にしてみた場合、やはり同じ名前が出てくるのではないだろうか。
もちろん、彼らの実力は本物で、ゆえに需要が高く、キャリアも長くなっている。
だが、本当にそれだけが起因と言っていいのだろうか。
はっきりと言おう。サブカルは世代交代がなされていない。雑誌を開くと何年も同じメンバーが似たような切り口でコラムを書き、書店のサブカルコーナーに行けばいつも通りのスターディングメンバーの新刊が出迎えてくれる。
その原因はめぼしい新人が現れないだとかいったことが理由ではない。もっと内部に醜く捻れた構造が眠っているのだと、私は思う。
そもそもサブカルは主流文化に馴染めないエッヂな(悪く言えばひねくれた)人間が集まって形成されたものである。既存文化ではカテゴライズできない魅力を求めた人々が消費していたのだ。
しかし、いつしか本来既存からはみ出していたはずのそれらを、「サブカル」とパッケージングし、売り始めることになる。
そして、そのパッケージングされた商品を、個性尊重教育で「他人と変わっていなければいけない」という強迫観念にかられた人々が、「個性」を買うために手にし始めるのだ。
カルチャー誌もそれを後押しする。ロリータの作者、ナボコフは「広告はその商品を買えば、あたかも購入者が高貴な存在になれるかのように錯覚させる」と言い放ったが、彼らも「サブカル」のカタログに載っている商品のどれかを買えば、自らも個性的になれると錯覚していると思われる。
彼らの目的は自分の趣味を追求することでも、なにか新しいものを創造したりすることでも、見つけ出したりすることでもない。「自分は個性的」と安心したいだけなのである。孤立を覚悟してでも自らの感性を信じきっていた先人とは大違いだ。
さらに最悪なことにこのような人間は「クリエイター病」を併発している可能性が高い。「クリエイター病」とは、なにかモノづくりの現場に関わり、有名人と交流することこそが人生最良の道であり、クリエイター系の仕事についてない人間はすべて挫折し夢敗れた落ち武者で、毎日布団のホゾを噛みながら恨み言を呟くような悲惨で陰湿な生活を送っているに違いないと思い込むことである。
個性を金で買うようなクリエイター病羅患者が制作側に回るとどうなるか。それがいま現状起こっているような世代交代がまったく進まない世界、というわけである。
彼らのやりたいことは新しいものを見つけ出すことではないため、既存の「個性的」と烙印の押された人物に、自らのプライドを満たすために仕事を依頼することになる。その結果がどこを見ても「みうらじゅん」状態を作る。そして、サブカルは予定調和で満たされる。
みうらじゅんを使えばOK。ボンクラっぽいことを書けばOK。童貞って言えばOK。すべて約束事で構成されているくせに、あたかもエッジであるかのように気取る。
もちろん、そんなことをやっていると感性の鋭い人間は当然そっぽを向く。雑誌を買わなくなり、ネットなどを使って自分の足で本物を追い求めるようになる。それがスタジオボイス廃刊のカラクリである。
同じ人間を使って同じようなことを繰り返した結果、サブカルは特定の世代にしか相手にされていない中年文化へと成り下がった。まずはそれを認めるところから始めよう。このままじゃゲートボールや盆栽と同じになってしまう。
「私、サブカル好きなんです」と宣言し、オーケンと絡んだりしているアイドルのなんとどん臭いことか。サブカル好きと見られたいがためにサブカルとパッケージングされているオーケンの商品を買ったでしょう?
ソラニンの実写映画の主題歌を、アジアンカンフージェネレーションが担当すると聞いて「えっ!?」って思った人がいたかい? みんな「ああ、やっぱり」って思ったはずだ。本当のサブカルは、そんな予定調和から遠く離れたところにあるはずなんだよ。
じゃあ、そういう女の子と、いわゆる非モテ男子がくっつけばいいと思うよ!ってなるかと思うと、やっぱりならない訳で。
そういう女の子の「多分、私は(自発的に色々頑張って手を伸ばせば、恋愛に手が)届かないわけじゃないけど、そんなに恋愛というモノにエネルギーを消費したいと思えないし、別にいーや」って感じで非モテ女子で居る、というのと、
いわゆる自分で非モテとか喪男とか言っちゃう男子の「多分、俺って一生恋愛とかいうモノに縁が無いまま死ぬんだろうな(それでいて近づけば近づこうとするほど恥をかいて傷が大きくなるし)」っていう絶望と諦観を持って非モテで居る、ってのと、
同じ非モテでも両者は残念なくらい似て非なるモノって感じがする。
その辺が「女の子は非モテでも可愛い子がいたりする(けど、男でそういうのは稀だよね)」って感想になってたりするんだろうし。
だから実際、多分そちらのエントリーには「そんな女の子が好きだby非モテ男子」なコメントやトラバがズラッと届くけど、それ自体がもうイヤでしょ?
男子はチャンスがあれば付き合いたくて仕方ないけど、女子は付き合いたくないから付き合ってないのに、フリーだと勘違いして軽ーくアタックかけられちゃ。
ってな事を思った。
(それでもどうしてもそういう女の子と付き合いたければ、自分もそういう男の子になればいいんだと思う。
少なくとも非モテとか喪男的なメンタリティーとは120度くらい違う、浅野いにおの『ソラニン』に出てくる種田みたいな感じの。
・・・なれねーなぁ。)
だから非モテ男子は時々そっちの方向にオアシスがあると思って駆け出しそうになるけど、間違っちゃいけない。
・・・ほら、すげー嫌でしょ?w