差別をやめても、実際、直接的なご褒美なんてものはないよ、少なくとも現世では。
少なくとも自分が加害者側に加担してはいないという満足があるだけ。
もちろん、声高に「すべての」差別解消を訴えるのも宗教以外のなにものでもないとおもってるよ。
動物虐待しないで生きるためにシャンプーを使わない毛皮を着ないまで含めればそういうことだろ。
人にできるのは差別「行動」をしないところまで。
差別感情を持たないことなんて感情がある以上無理。
その感情こそAIにまさる人間の財産なんだしね。
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