死にたい、という感情は苦しみを伴って立ち上るものである、というのが昨日までの俺の認識であった。
が、今日満開の桜を見て、今までとは別種の死にたさに包まれた。
不思議と満たされている。かといって幸福とは違う。しみじみと、死にたい。
従来の死にたいという感情が針のように鋭く痛いものであるとすれば、今日の死にたさは、プールの授業の後のけだるさのように鈍く、長時間続くかんじ。
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