結局中身があるからなんだよね。
エリクサー話は考察ごとに調べるの面倒くさそうなデータが提示されていたり、当時の状況が説明されていたり、何かしら得るものがある。
逆に、トマト話は「俺は好き」「俺は嫌い」という4文字で済むことをあえて薄めて薄めて長文にするという悪ふざけであり、
読んだ人に損させる意図しかなかった。
人は損でも得でもないなら黙って去るが、損させられたら何か言う。それだけのことだった。
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