2013-10-09

ここ数日、運動自己陶酔する人について「あのようになってはいけない」的な発言が某所で盛り上がっている。

だが、それを言う人が、自己陶酔抜きの運動を提示するというものではなく、どこか静観に優越感を感じてしまっている。

自己陶酔的な運動の最も問題な点は、それ自身が運動の勢いを削いでしまうことだ。

から自己陶酔的な人も、静観する人も、、ほぼ同じ問題を別の方向から見ていると言っていい。

双方とも、「主張をする優位性」「静観する優越感」から脱し、意見の普及に努めるべきだ。

同じ目的のための議論や内部批判、正確には内省は、不安定要素として悪玉扱いされがちだが、主張の洗練のために必要ものだ。

同じ方向性を持つ者同士の議論を、短絡的に失望に結び付けてはいけない。

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