2011-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20110828185456

まあそこはどこがラインかというのは物議を醸すところだろう。

要は「行為」のどこから刑法の対象になるかということで。「内心」である欲望が裁けないのは同じこと。「表現」も、たしかに「行為」の原因であったことを立証できない限り裁けない、ということです

また、だからといって『資本論』を裁くかというと、今でも見るべきところがある本だから、安易に悪書定義付けられない。

表現規制というのは、それほど重いのさ。

記事への反応 -
  • 少なくとも、そういう方々向けの三次元女児コンテンツは山ほどございまして

    • 二次元ロリペド嗜好の人が現実の小児に向ける眼差しを見る限り、 と 少なくとも、そういう方々向けの三次元女児コンテンツは山ほどございまして をつなげてしまうんだ? 俺そう...

      • 話を創作に限る必要性がわからない 「生身の女児は二次元ロリペド嗜好人間にとって性的対象なのか/そうでないのか」という単純な話なんだけどな そして俺には前者に見えますという...

        • 俺にはそうはみえない。脳が「倫理的に言えば、現実の小児の膣なり直腸なりを損壊することは、小児に申し訳ないだろう」と思うかどうかだと思う(俺はそう思う)。これは見解の相...

          • それ、ハードル高すぎね? 性交に至らない連れ回しとか声掛けとか唾くれとかならセーフってことじゃないか

            • まあそこはどこがラインかというのは物議を醸すところだろう。 要は「行為」のどこからが刑法の対象になるかということで。「内心」である欲望が裁けないのは同じこと。「表現」も...

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