怒りと苛立ちを言葉に込めて殴りかかるように吐き散らしあう。それは意味あることなのか。そうあるべきか。
言うべきことをどう伝えるか。言いたいことをどう伝えるか。悩ましい。殴り合って友情を生むのも良い。だが俺の言葉は友情を生む殴打になっているのか。
ただ息の根を止めるように、仕留めるためだけに吐いてはいないか。殴り飛ばし、己のために怒る。意味はあるか。
誰かのためを思ってのものか。よりよくするために、よりよくあるために拳を握っているか。殴打の痛みに価値はあるのか。
殴るのはよくないことだ。まずそう教わることだろう。一転して、殴り合いも良いものだと教わる。どちらも理解できる。
臨機応変に殴らなかったり殴ったりしなくちゃいけないのだ。苦労する。人間は難儀だ。
今日も殴るべきか殴らざるべきか逡巡した。何度もした。悩んだ。そして殴らずに終わった。拳は握られたまま明日へ持ち越される。
これまで殴ったり殴らなかったりで後悔した。どちらにしても後悔した。殴らないと心地が悪い。しかし殴っても拳が痛い。相手も痛い。
どこまでいっても疲れる。そんなものさと言われれば言うことも特にない。ただ苛立ちは募る。拳も握る。歯を食いしばって逡巡する。
そして壁を殴る。隣人に殴り返されてまた今日を終える。難儀すぎる。