葉桜が花を追いやり、新しい生活に浮き足立つ人とそれを迎えて浮き足立つ、つまりは春のこの時期、親友が亡くなった。
一度ならず未遂を繰り返して、それでもなんとか生き延びてきたのだが、ようやく見つけた就職先に勤めるために一人暮らしを始めて一月たらずだった。
以前私が家を尋ねた際、心配する親御さんと携帯の番号を交換していた。ひとしきり友人の現状について話したあと、でも大丈夫と言いながら、遠方に暮らす私に相談させてねという。
私と友人は高校時代からの友人で、恋愛について語り合い、漫画の話をし、科学技術や宇宙やコンピュータやインターネットや世界平和について語り、どちらかと言えば早熟で覚めてそのくせ好き嫌いの激しい私に文句を言いつつも、しょうがないなぁと笑っている優しい人であった。そんな友人の存在が私の助けになっていたと思う。
大学は二人とも、関東の別々の大学に入学し、それぞれに新しい生活と仲間ができていった。
顔をあわせるのは年に4〜5回程度となった。会って話をする機会は減っても、相変わらずだなと笑い合っていた。
学生時代の半ば頃、メッセンジャサービスが普及し始めた。いつでも連絡できるようにはなったけれど、たまに近況を報告しあったり、オンラインのゲームをする程度。でもやっぱり相変わらずで、自分たちは全然変わらないんだと思っていた。
それは私の勘違いで、友人は強がりでそう振舞っていただけだった。
バイトと趣味に没頭して留年した私と、同じく学業以外に没頭していた友人は5年目を終えた春に大学を去ることになった。
大学を去る前に二人で新宿で打上をした。この後福祉の専門学校に通うという友人の話を聞いて、私とは違ってやっぱイイヤツだと思っていた。
後に親御さんに聞いた話では、その時既に何度か自傷を繰り返していて、限界だと思ったので親元に戻したそうだ。私は全然知らなかったし、気付きもしなかった。
私は大学を辞したあと、なんとかバイトで食いつなぎながら就職先を見つけることが出来た。派遣ではあったが、希望の職種で社会人生活をスタートし、タイミングよく動けた転職や、職場の人たちに恵まれた結果、東海地方で正社員として生計を立てられるようになっていた。
私は調子にのっていたのだろう。
専門学校2年で就職活動を始めた友人に、いろいろ相談を受けた。多少ではあるが先輩社会人として精一杯アドバイスした。
自分のやりたい事をやって、住みたいところに住んだ方がいいよ、という話をして、やはり関東に戻りたいという友人のことを応援した。自分が読んでためになった、と思ったドラッガーの本を送ってみたりして。何様だ。
友人と知りあって11年目のことだった。
入社早々期待されまくって緊張する、という友人に、いいことじゃんwとか、久しぶりに関東にいる高校時代の仲間と遊びに行ったよ〜とか、メッセで話をして4月末の週末を迎えた。
金曜の夜、友人のアカウントがオフラインになっているのを見て「おお、飲み会かなんかいってるんじゃんwいい感じだね。順調だね〜」なんてニヤニヤしつつ私も友人と飲みに出かけた。
土曜日、正午近くに着信音で目が覚めた。
これまで一度もかかってこなかった、友人のおばちゃんからだった。
「またね、自分でやっちゃったみたいなの・・・」という声を聞いて二日酔いが吹っ飛び、血の気が引いた。
「一人で冷たくなっちゃったの」
呆然としながら東京行きの新幹線に乗り、葬儀場に行った。学生時代私が過ごした街の近く。
金曜の朝、出社してこなかったため会社の人が自宅に行って発見してくれたそうだ。私が友人と飲んでいる時には既に友人は旅立っていたと。
普通だったのになぁ。なんで気がつけなかったんだろう。
話してくれなかったことにショックを受けた。
無神経な私が木曜日のメッセで何か追い詰めるようなことを言ったかもしれない。
もっと前に一人暮らしを進めたのがわるかった?ドラッガーを勧めたのが追いつめた?
くちゃくちゃに混乱して、しばらく眠れなくなっていた。
もう数年前の話だ。
今も毎日100人くらいの人が自殺していて、私と同じような思いをしている人がその10倍とか100倍とかいて、そのことが悲しいと思う。
最近おばちゃんに電話したら、昨年結婚した友人の妹に子どもが生まれたらしい。
友人にそっくりだというおばちゃんの声が少し明るくなっていることが嬉しいと思った。
私は友人を救えなかった自分を憎んでいる。
個人には死を選ぶ自由があるのだとしても、救えなかった自分を憎む。
友人が失った希望や未来を全部背負いこんで、全部任せろ! と言う力がなかったし、今もない。
救いの手を差し伸べなかった日本を憎む。友人の求心力たりえなかった宗教を憎む。
ああ、同級生のうち何人が今も生き残っているんだろうか。