簡単に言えば、メディア化なんですよ。
昔、小説を読むってのは金持ちの道楽だったけど、明治が過ぎる辺りに一気に一般化した。
それ以前に、「心中物」とか悲恋が好まれる土壌はあったわけですが、
近代文学の隆盛、そしてその後の三島・太宰時代に至るまでずーっと
それに拍車をかけたのは、カトリック的な「純愛」の勃興ですね。
そういうわけで、上流階級の紡ぐ「物語」の上で「恋愛」っていうフィクショナブルな真実ってのは
既に明治に醸成されていた。
その上、女性解放運動が来ましたよね。家制度に深く結びついた「見合い」みたいな文化は
当然攻撃に晒されることになった。これも文学者たちと目茶目茶深く結びついてる。
これが一気に転換を迎えたのはやっぱ戦後の昭和の頃じゃないですかね。大正くらいから
上流階級の中で萌芽は無論ありましたが。昭和ってのはそういう時代だったかと思います。
思想・文学の中で醸成されたものが、社会の変化とともに一般化した。そういうわけで恋愛結婚が増えたのかと。
こういう動きは純文学に始まったわけだけれど、当然ながらエンタメに飛び火することになる。
そういうわけで、エンターテイメント、あるいは読み物、あるいは創作物と「恋愛」ってのは
日本に於いても欠かせないものとなった。そして、メディアが増えるに連れ
それは「異国の文化」から「愛の理想」へと格上げされたわけです。
現代では考えにくいですが、一昔前の書籍の持つ力ってのはスゴかったから。
そして、そういった創作の土壌が広まっていた以上「純愛」ってものがドラマの主題になっていくことも
そりゃもちろん当然の流れで、もし「恋愛」を広めた罪科を問いたいのならば
だって、あらゆる創作物から「恋愛」を抜いたらどれほどのものが残るか、想像つくでしょ?
ドストエフスキーも川端も、ヘミングウェイもほとんどみんな消滅するわけですよ。
だから今更「ドラマ」なんかに罪を問うてもマジ仕方ない。
必然だったわけです。文学と恋愛、創作物と恋愛が切り離せない以上、しかもその文化をいち早く
輸入して広めたヤツら、そしてその後の創作の基になったヤツが誰かと考えれば
http://anond.hatelabo.jp/20100217011554 日本で恋愛結婚が増えたのは、明治辺りに「恋愛」って価値観が導入されたことが原因。 当時の純文学の書き手なんて、みんなこぞって恋愛賛美・純愛賛...
だったら近年になって恋愛結婚が増えているのはなぜなんだ。 もしも明治時代に恋愛が一般的になっているのであれば1800年代には恋愛結婚が主な結婚方法になってないとおかしくないか...
簡単に言えば、メディア化なんですよ。 昔、小説を読むってのは金持ちの道楽だったけど、明治が過ぎる辺りに一気に一般化した。 それ以前に、「心中物」とか悲恋が好まれる土壌はあ...
いや、断罪とかそういう話までいってないので。 「恋愛幻想の拡大がメディアによって行われた」ということさえ言えればオレはそれでいいんだけど。
確かに「拡大」はメディアによってなされたモンだと思いますが。 でも、面白いコンテンツを読みたがったのは消費者そのもので、その部分を根拠として メディアに責任を問うのはムリ...
供給する人にも責任の一端はあるとオレは思います。 「みんなが求めているから」という理由では広範に情報をばら撒くことの責任を回避することはできない。 いくら営利企業であった...
ちょっと待ったァ! メディアが「恋愛」のようなイデオロギーまで「調整」し「管理する」って それ、スッゲー危なくないですか? 俺は超危ないと思う。そんなことやらせるくらいな...
むしろ、パロディや逆説、あるいは脱構築的な反撃はクリエイターと消費者の側からすべきかと思います。 うーん、消費者が十分な流布力を持っていればそれでいいんですけど、実際...
それが許される社会状況になるとともに、恋愛化が進んだのは寧ろ必然。 とちゃんと書いてくれてるじゃんその増田。 つまりそれ(=恋愛結婚)が許される社会状況になるまでにタイ...