「はてな」辺りを見ていると、鞆の浦差し止め判決の住民側勝訴について
元来、天邪鬼な小生は、皆が皆「マンセー」だと、気持ち悪く感じる。
八ツ場ダムのように「税金の無駄遣いな公共事業はやめろ」というアプローチなら、まだ理解できる。
しかし、「気持ち悪く」感じたのは、「景観を守れ」という、極めて個人の主観に
属することを、さもはてなーが「国民の総意」のようにすりかえて、
もっといえば、宮崎駿監督の「判決を評価する」コメントとの相乗効果。
つまり、「宮崎駿的世界観が絶対善で、それが国民の総意」とでも言いたげな
景観と言えば、東京オリンピック(今回誘致失敗した奴じゃなく、1964年の奴)開催時に、
「屋外に洗濯物を干すのは、来日する外国人から見れば景観を乱す行為なので、控えましょう」
という運動が存在したらしい。
これなどは「洗濯物が干された光景は、醜い」という「価値観の押し売り」である。
それでも景観が大事、と言いたいのであれば、あらかじめ鞆の浦を美観地区などに指定して、
法的手続きに則って保護すればいい。
そういう必要な法的手続きも経ないで、事後的に美観の押し付けをして争う、
そういえば最近これに似た話があったなあ、と思い起こせば、鳩山弟の
あの際はネットの世論も「二分」されていたと思うのだが、今回の鞆の浦の件では、
一方的に住民側マンセー。
これを「不健全」と思う小生が悪いのか?
「宮崎駿の良さが分からないなんて、欠陥人間、かわいそう」ということなのか?
ええ欠陥人間で結構ですよ、映画を見て大して感動もしていないのに、
周りに合わせて「宮崎駿に感動した」と自分にウソを付く人間(結構存在すると思う)
よりマシだと思う。
そういえば、以前会社の職場の女性2人が「千と千尋の神隠し、あれって何が言いたい映画?」
「さあ~、川をきれいにしましょう、という映画なんじゃない?」という
「間の抜けた会話」をしていたが、世間に迎合して「宮崎映画、感動しました」と
ウソを語るぶりっ娘よりは、「ホンネ」をさらけ出していて、好感を持った。