今度は与謝野財務・金融・経済財政担当相に、先物業者が従業員の名義を使ってやっていたという話である。
自民党の二階経済産業大臣や、民主党の小沢前党首の件と同様に、ミカジメを払わないと嫌がらせをされるからという理由で業者は払っていたのであろう。
法律では、献金を貰った対価として仕事を取らせるという、いわゆる便宜供与を収賄行為として規定している為に、入札参加者から外す圧力をかけるような嫌がらせ行為をさせない為にお金を支払う行為は、お金を受け取った側にとっては便宜供与にはならないので、収賄行為にならないという、法の抜け穴があったわけである。粗探しをしない、苦情を言わない、嫌がらせをしないということから、怠宜供与とでも言おうか。
官僚の天下りを受け入れるというエントリーフィーの他に、その縄張りを仕切っている議員先生にミカジメを払わないと、競争に参加する事すら出来ないというのが、日本経済の閉鎖性と批判されている部分なのである。
この閉鎖性を、どのように外していくかというのが改革だった筈なのだが、骨太の方針は骨抜きになり、今では"ばら撒きの方針"に戻ってしまっている。自民党も民主党も、献金でずぶずぶという醜態を晒しているのであった。
Too big too fail(壊すには大きすぎる)というのは、日本ではバブル崩壊の時に出てきた言葉である。大きすぎて潰せないから、公的資金を投入するという、話で、公的資金の投入が行われた。宏池会のATMと揶揄されていた日本長期信用銀行(現在は新生銀行)に公的資金が投入されたのは1998年であり、あれから20年が経っている。
大きすぎて潰せない規模の企業を、細かく分割してリスクに対応させるべきなのに、企業は大きなままである。Too big too failというリスクへの対応が、20年経っても行えていない。これでは、怠業ではなく、無業であろう。
大企業は、少数の正社員といつでも切り捨てられる多数の派遣によって、賃金の下方硬直性を取り除いた経営を目指しているが、雇用や賃金を維持しないのであれば、内部留保は必要ない。法人としての利益も、株主への配当を支払う為以上の課税利益を必要としない筈である。つまり、利益の大部分は、従業員への還元となる筈である。法人税法や会社法が、終身雇用を前提として会社に資産を溜め込ませ、その上前を税金としてハネるとなっているのに、雇用関係法は終身雇用を前提としていないとなれば、終身雇用の為の余裕であった企業の内部留保は、企業の所有者である株主に還元しろという話になってしまう。
法や判例や通達を時代の間尺に合わせて変えていくのが政治の本分であり、為すべき事は幾らでもあるのに、ばら撒きとミカジメ集めに汲々としているのでは、国民に見限られるのも当然であろう。