# 一般市民が「科学(者)が満たすべき知的誠実さ」を持つことが倫理的に要請されるというのは必ずしも自明ではない(というか恐らく倫理学者からさえも支持されないであろう)こと。
# 一般市民が「「科学的に正しいとは言えないこと」を言ってはいけない(あるいはそれを根拠にした意思決定をしてはいけない)」ということが倫理的に要請されるかどうかはやはり必ずしも自明ではないこと。
# 「社会的活動が満たすべき、倫理的規範を満たしていないこと」を一般市民が行ってはいけないというのは確かに、疑いなく倫理的に要請されるが、これはトートロジーだから当たり前。「社会的活動が満たすべき、倫理的規範」が何であるかについてはやはり必ずしも自明ではないこと。
なるほどなー。
自明でないとすればじゃあどうなのか、具体的にいえば「なぜニセ科学とニセ科学実践が批判の対象になるのか」について、批判側は上の問題点を踏まえたうえできちんと説明できなきゃならないわけだが、こりゃ相当難しそうだな。
というか、「倫理」も持ち出せないようなことしてる科学者がニセ科学なんぞ批判できるのか?
というか、「倫理」も持ち出せないようなことしてる科学者がニセ科学なんぞ批判できるのか? 科学的な誤りの指摘は出来るだろ。科学者の科学者としての仕事はそれで終わりなんじ...
科学的な誤りの指摘は出来るだろ。 その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…? それはおいといても、科学者のニセ科学批判は、「科学者としての仕...
その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…? そういう話じゃないんじゃないか? 水伝が科学的にでたらめってのは、科学的には争う余地のないところ...
その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…? そういう話じゃないんじゃないか? 水伝が科学的にでたらめってのは、科学的には争う余地のない...
# 一般市民が「科学(者)が満たすべき知的誠実さ」を持つことが倫理的に要請されるというのは必ずしも自明ではない(というか恐らく倫理学者からさえも支持されないであろう)こ...
ニセ科学批判の元締めって菊池教授じゃないの?
元締めって表現はどうかと思うが、あの人はプロの科学者としての知識を生かしたSF屋としてふるまってるんじゃないかな。 たしかアシモフとか科学の啓蒙書書いてるよね。ああいう...
日本では元締め的存在といっていいんじゃない? ニセ科学って言葉を広めたのも菊池教授らしいし。 海外では知らんけど。
日本だと、fj.soc.pseudo-scienceと菊池教授ってどっちが先立ったかなあ。 まあ、海外ではこの分野はすごく昔からあるね。
水伝をバッシングすることが政治的・社会的・倫理的にどういう意味を持つのか、というところにゴタゴタがある。 この二つの問題は、少なくとも科学の側からは明確に分けられるし...