売れ筋書籍だけでなく、絶版書籍や著作権保護期間切れ作品を、Google Book Right Registryが勝手に出版権を設定して、データの課金販売をできるようになるという問題である。
絶版書籍は、インクのついた紙の束では採算が取れないからという理由で絶版になった商業的絶版と、内容が間違っていたり時代にあわなくなったりといった著作権者の意思によって絶版になった物とがある。このうち、商業的絶版については、出版権の設定に伴う報酬さえ話し合いがつけば問題なく成立するであろうが、著作権者の意思によって絶版になったものについては、権利存続期間中は、その意思を尊重するべきであろう。無論、図書館が実本を閲覧に供したり、所蔵者が個人的に引用して批評する行為を妨げる事はできないが、それとて、著作者の意思によって絶版にしていますという前提があれば、けじめをつけている事をほじくり返す方が問題となる。言論活動の記録を残すにしても、間違いを取り消した行為も含めて残すべきで、その為の手段としての絶版や削除といった手段を否定するのは、言論活動を萎縮させる行為となってしまう。
つまり、Google Book Right Registryのopt-out方式での出版権の設定はやりすぎなのである。全ての著作物を対象にしないと、選択の基準がトラブルを招くという可能性は十分に存在するし、著作権者の意思によって絶版になっているという情報は、著作権者しか知りえない情報なので、それを教えて貰う為には著作権者からの通知を期待しなければならないというのももっともである。それらを考慮すると、私が同じような立場に立ったならば、opt-out方式での出版権の設定を選択するであろう。しかし、それは善意の暴走でしかないのである。
ネット外のコンテンツをネット上に持ち込みたいならば、権利者に許諾を求めるべきであり、ネット上に持ち込んだ方が利益になる状況を作りだすべきであるし、ネット上での活動の方が、ネット外での活動よりも有利であるという状況を維持し続ける必要がある。
Google Book Right Registryの理念は面白いが、理念を実現する為の努力の方向性が間違っている。法廷闘争を幾らやっても、儲かるのは法律顧問や受任した弁護士であって、ネット外での活動よりもネット上での活動の方が有利になるわけではない。
さらに、Google Book Right Registryが著作権使用料を支払うのは、Bookとして出版された事がある作品に対してのみというのであれば、web上のコンテンツに対して著作権使用料を支払っていない事との差を、どのように説明するのかという問題が出てくる。将来、著作権者が、Google Bookに登録されている著作物を自分のwebページでも公表するようになったときに、出版権が解約されたとして、Google Bookからは排除されるのであろうか。だとすると、絶版書籍に対する取り組みについて、矛盾が発生するし、支払いを続けないだけで公表を続けるというのであれば、データを売った利益や広告の収益をGoogleが横領しているという事になる。
Googleは、変化ではなく変質を始めているようである。Googleの生え抜きの人がスピンアウトし始めたのは、Google内部に理由があって出て行ったようである。