http://anond.hatelabo.jp/20090209211058
これ書いたの俺だけどコミュ力とかリア充とかそれら自体に特に敵意は持たないんだよ。
ただそれらを武器にして、必死になってる奴らを嘲笑する感じが大嫌い。
発想が唐突すぎるということ?
昔の人が色々な自然を説明するために作った←これは唐突じゃないよね
その作られたものが本当にあるんじゃないかと思う←これも唐突じゃないよね
法政「は?」
明治「お前如きが俺等といつまでも肩並べられると思ってるのかよ!」
法政「おいおい、待ってくれよ…」
青学「悪いですね、そういうことです」
法政「じゃあ、俺の代わりはどうすんだよ!!」
立教「彼に入ってもらうことになった」
法政「そ、そんな…」
法政「どう読むんだよ!」
明治「うるせぇ!さっさと出て行け!!」
一年後―――
明治「ああ、人気は鰻登りだぜ」
中央「まあいいさ、あいつはあいつで上手くやってるだろ」
そこへ、法政と謎の男が現れた!!
法政「よう…」
慶應「なんだね、この小物共は」
MARC「“法慶”!?…ま、負けた…完敗だ…」
Aって青山のことだったんだ……長年の謎がとけたわ。サンキュ。
私は何で(超越存在・非科学的存在としての)神がいるかもしれないと思えるのかが不思議でならないよ。
私には「神がいるかもしれない」っていうのは、「明日、ペットショップから逃げてきたヤシガニに指を切り落とされるかもしれない」というのと同じくらいの「かもしれない」だと思えるよ。前者も後者も、客観的には「かもしれない」と考えるべき事前の情報が無くて、唐突よ。もちろん、後者もありうる以上、前者もありうるとは思うけど、そんなこと考えてたら全てがありうることになるよ。
ネタとして言ってたんだったら皮肉じゃなくてただの中傷、侮蔑になってると思うんだけどな。
ちなみに俺は18歳の元増田くんじゃないからね。
おう、マーチなのか。
俺、マーチのある場所なんていちいち知らんからわからなかった。
Meiji
Aoyama
Rikkyo
Chuo
Hosei
か?
どう見てもお前の方が必死すぎ。
http://anond.hatelabo.jp/20090209205051
学生運動が盛り上がったのは六十年代。
七十年代は半ばにはもう下火になっている。
全然プチ七十年代じゃない。
次に盛り上がるのは八〇年代後半から九十年代半ばまで。
きっかけは反原発。
今いたって別におかしくもなんともない。
もうちょっと教養を身につけて周りを見渡してから発言してはどうか。
キミの言っていることだってプチ八〇年代の焼きまわしだぞ。
古今東西、宗教的行為が娯楽と化している事は多いね。
というか、娯楽となったから生き残っているとも言えるか。
宗教であるから残ったとも言えるけど。
何にせよ、祭と芸能が好きな人は多い。
うん、それなら具体性が増すね。
血液型診断って思ってる以上にネタとして捉えていない人間多いと思う。
まずそれが正しいことを前提として、おふざけとして他人をそれにあてはめて盛り上がったり。
ああいうのはノリで他人を差別してるのとあんまり変わらないと思うから俺はそこで怒れる奴の方が素晴らしいと思ってる。
正しさ=コミュ力(これも相当曖昧な言葉だよね)では決してないからそういう人間が辛い思いをしてしまってそれは残念なことだと思うけど。
おっぱいちゃんはけっこう可愛いと思うけど、何かまずいこと言ってたっけ。
センスないんなら無理して面白い文章書こうとしなくていいよ。ウザいだけだから。