めんどくさいからもう、男と社会が悪いってことでいいんじゃね?
そりゃアニメを科学って視点から捉えてるからいけないんじゃね?
シンデレラが一発逆転しなきゃ、「ある不遇な召使いの一生」ってだけじゃないか。
そもそもSFはエウレカセブン(他の多くのロボットアニメでもそうだけど)の中では主題として扱われてないと思うんだ。
極端な話をすると別にSF的な設定もロボットも出てこなくたって問題ないと思う。
同様にそういう設定を出したって別に問題ないわけだ。
「主婦臭くない」とか「生活感がない」とか、そういう言葉はほめ言葉にもけなし言葉にもなるだろうに。
「いい人」論争みたいなことをはじめたいのかw
できるとしないは無関係じゃないからでは?
差別があって報われにくいからあまり頑張らないようにしようとか。
条件を不利にして自発的にあきらめるように仕向けるのは差別じゃないよという立場はありうるだろうけど。
元増田。そうだねぇ。熱意だけでどうにかできる分野なんていうものは、ほとんど存在しないねぇ。
だから、熱意なんて捨てましょうって教育するのがいいんじゃない?熱意なんて持たなくても、のんびり一生過ごせれば多くの人は満足だと思うよ。
「熱意を持つのがいいことだ」っていうのは、なんか、とてもイデオロギーっぽい感じがして嫌だ。もっと極端にいえば、「社員には熱意を持って働いて欲しい。そういう人じゃなきゃ取りたくない。うつ病の人とか相手にするのは嫌だ」っていう、経営者の論理に洗脳されている気がするよ。だから、「何でもいいけど、とりあえず熱意を持ちましょう」っていう番組をたくさん作って、庶民を啓蒙してるんでしょ。
まぁ、実際自分が人を雇う側になったら、やっぱり、「とにかく熱意をもって働いてくれる社員が欲しい」って思うんだろうけどさ。
「できる・できない」「している・してない」は違うし
原文は前者には触れられてないわけだけど
やはり触れなかったら差別と言われたでござるの巻??
どんな職業でも、ビジネスマンでも(当然)才能やカネからコネまで
なんでもありの世界じゃん?もちろん嫉妬や恨みが渦巻いてる。
そういえば茂木健一郎が似たようなこと言ってたな。
努力や熱意じゃどうにもならない部分っていうのが必ずある。
そんなことだらけで、その際たるものが人間関係だってさ。
努力じゃどうにもならないものは諦める他どうしようもないじゃない。
なんかとりとめないな。話半分に聞いてくれ。
その本がそういう内容なのは知ってるけど、世間一般では同じ意味では使われないからこそ読まないと誤解されてしまうんじゃないかと。
読まないと「負け犬が勝ってる人の自虐」だと理解できないということは、逆に言えば世間では独身=負けと思われてることの証明にしかならないはず。
「仕事してるから偉いってわけではない」という話と、「仕事する機会を奪ってよい」ということは、全く別の話だよと言いたい。
そもそも原文の論調からいえば「仕事しててもしてなくても平等」「政治家であってもなくても平等」「武士であってもえたひにんであっても平等」という話にはなっても、権利を侵害したり、差別を助長することになならない。
http://anond.hatelabo.jp/20081229034913
http://anond.hatelabo.jp/20081229132249
http://anond.hatelabo.jp/20081229131935
元増田。エウレカセブン見ながら、てきとーに思ったことをかいただけなのに、割と反応があって驚いた。元の記事ではちょっと表現がぶっ飛んでいたので申し訳ないが、自分の言いたかったことは別に大したことじゃなくて、一言で言うなら「夢とか希望とかうぜー。そんなもの下手に与えないほうがいいよ。与える方が残酷だ。」ってことになるんだと思う。
>2008年12月29日langu 主人公の気持ちで世界が変わるのはセカイ系であってSFではないでしょう
うん、これは、とてもいい指摘だと思う。エウレカセブンって、まぁ、一応広義にはSFに含まれるのかもしれないけど、少なくとも絶対ハードSFではないわなぁ。なんか、エウレカセブンってなんて表現したらいいのかわかんなかったけど、やっぱり「セカイ系」でいいのか。一応、少しはハードSFも読んでるよ。2001年宇宙の旅も3001年終局への旅も読んでるし、映画コンタクトは5回以上は見ていると思う。
もうちょっと正確に書いたら、以下のようになった。
「一見SFのように見える作品の中には登場人物の気持ちで問題が解決するような話があるが、『気持ちで問題が解決する/世界が変わる』というのは科学とは全く相反するものだ」
「実際には、いくら問題に対して熱い気持ちを持っていようが、才能と金と環境がないとどうしようもないことが多い」
「結局、才能や金や環境に恵まれた人間だけが、科学で食っていける」
「しかし、いくら才能や金や環境が羨ましくて嫉妬しても、実証的(論理的)に正しいものは正しいと認めなければならないのが、科学だ」
(他の競争、例えばスポーツとか芸術作品の良し悪しだったら、審査基準を作っているのは人間だから、嫉妬した時は審査基準そのものを疑って新しい審査基準を作ってしまえばいい。科学というか、実証的な学問は、最終的な判断基準が人間の外にある。人の羨望や嫉妬など関係なく、実証性でかっ飛ばしていくのが科学だ。)
「これから進路を決める子供たちに、『気持ちで世界が変わる』と誤解させるかのような話を見せる/聞かせるのは酷だ。
科学が好きだとか、科学者になりたいとか、科学に対する熱意とか、そんなものは、科学には全く関係がない。
何も科学に限ったことじゃないが、熱意があっても、才能や金や環境に恵まれなければ、成果が出ないのが普通だ。
「だいたい、そうめったにない成功例を多数の視聴者に見せるということ自体が、宝くじに当たるような確率の成功例を『普通に起こりえる』ように描いていてリアルでない。実証的でない。主人公が流れ弾に当たって死亡して終わりとか、時間内に修理しようと思ったけど納期に間に合いませんでしたとか、長期にわたる戦闘で精神的に不安定になって戦闘後に自殺するとか、味方の誤爆で死んじゃいましたとか、同じ舞台設定であるにしても、もっと『起こりそうなこと』を描いてほしいと思うのが、リアルさや実証性を重視する心だと思う」