「AもBも同じだろ常考」
「AとBは違うだろ常考」
「ハァ?同じだろ何考えてんだカスwww」
「分かってねーのはおめーだこのカスwww」
「だーらAB一緒にすると問題あるっつーの」
「ハァ?最初からおれはぁ『AもBも同じだろ』しか言ってねえし。それ以上知らねーよバーカ」
「だからその『AとB同じ』って発想が有害だっつ・っ・て・ん・だ・ろ・カ・ス」←いまココ
と、ループしつつ一応進んでるわけです。正直、もう少しで終わるんじゃないかなと思ってます。双方言葉がヒートアップしており、ご不快に思われてる方にはお詫び申し上げます。
あと、向こうに義理はもちろん無いわけで、いつ「しらねーよ」と出て行かれても私は別に構わないのですが、幸いそうはならないようですね。
仕様変更後なのかどうなのかわからんが、「この内容を登録する」ボタンを押してから画面が切り替わるまで、微妙に間が長くなった。何件か重複投稿や投稿ミスを見るのもそのせいだろうか。
これが、実は荒らし対策、とかなら凄いが。
改めて考えるのメンドクセかもしれないけど
使いまわしできるほど良いってデザインでもない気がするんだがなぁ
手抜きだと思ってしまうぜ
スペックとかはよく見てないからわからんが
「○○中学校の校門付近を朝からうろうろしてる変な人がいます。用事があって出かける際、前を通りかかったらしつこく話しかけられつきまとわれたんですが、中学校の関係者には余り見えないので一応…」
これくらいで普通に対応してくれるよ。
とりあえず、今回はそちらが「両方私憤だろ」と答えてくれたことでようやく話が少しだけ進んで嬉しい。
最初からそういう趣旨の発言だ。それ以上の議論する気なんてねーよ。あとはどっちの私憤に共感するかって話だしそんなもんに興味は無い。俺はどっちが正しいかなんてことに一切言及してない。
やれやれ。
「『両方私憤だろ』というまとめ方がおかしいというか有害だ」という話をした積もりだったんだが、全く通じてないのか。
「どっちが正しいか言及しない姿勢こそが悪い相対主義だ」と。「どっちもどっち」という趣旨の発言をすることこそが、一連の事件に関して梯子の擁護になっているという話をしているというのに。だから最初にタイトルで「切って捨てろ」と主張していたというのに。
「天然には勝ちようがない」という意見には大いに賛同しておく。
3行とか……無茶言うなあ。
といいつつ、なんとなくオラわくわくしてきたぞ。
変態かな。
以下、本の内容を3行で。
演算だけでなくそもそもどんな言葉の意味も一番さかのぼると「これが○○(直示的定義)」にたどり着きます。
直示的定義には常に誤解が入り込み得ます。だから相手が「ホントに理解してるか」なんて確かめる術はありません。
以上。
最初の話にさかのぼって言うと、ある演算式がinputされた際に、暗記にたよろうが頭の中で一つずつ絵を並べて数えていようが、そろばんの得意な人みたいに頭の中で何か神秘なることを起こしていようが、outputさえ正しければ基本的には誰もその正当性を問わないということです。事実、例に挙がった話でも、答えが違っていて初めて「頭の中で起きていること」が問題になっているでしょう。我々の日常に「お互いに同じ言葉を実は違って認識していた」なんてことは、よくあることです。
だから足し算を「正しく定義する」というのは無意味な考え方ですが、足し算が「できるようにする」というのは別に難しい話ではない。りんごの絵とみかんの絵とかで直示的に定義して訓練すれば、大抵の子供はすぐinputとoutputをそろえることはできるようになる。奇妙に思えるかもしれませんが、我々の世界というのはそういう風にできているということです。
…って3行といいつつ膨大に補足した。正直反省している。
まあ、Picasaウエブアルバムを使うということなのだが。落ち着いて聞いてくれ。俺はMacなのでWinでできるかどうか知らん。
1.Picasaの利用開始する(GmailやiGoogleを使っていれば簡単)
2.Picasa Web Albums Uploaderをダウンロードインストールする
3.シャンバラなどにいっていつものようにエロ画像をダウンロード
4.Picasa Web Albums Uploaderを起動
5. +ボタンを押す。Photos modified:をToday, Photos in:をComputerを選ぶ
7.New Albumを選び Unlisted Albumを選ぶ(じゃないと公開したことになりとっつかまる)
8.アップロード。Macのダウンロードフォルダを空っぽにしておく
9.落ち着いたらPicasaウエブアルバムを見ながら、キャプションだとかタグだとかを付ける
10.Enjyo!ってやつだ
だれか、オートメータを作ってくれ。
朝青龍が優勝してないからでは?
とりあえず、今回はそちらが「両方私憤だろ」と答えてくれたことでようやく話が少しだけ進んで嬉しい。
最初からそういう趣旨の発言だ。それ以上の議論する気なんてねーよ。
あとはどっちの私憤に共感するかって話だしそんなもんに興味は無い。俺はどっちが正しいかなんてことに一切言及してない。
一番最初の俺の「どっちもどっち」発言に対してお前が義憤だのパワーゲームだのわけわからんこと言ってきたんだろ。
勝手に勘違いして勝手に話広げんなよ、俺はすごい奴相手にしてたって今更わかったわw
相手を怒らせようゲームでは完全に負けたよ。天然には勝ちようがない。
話を整理する。
初期から「はしごたんが他人に発する敵意」と同じかそれ以上のレベルの敵意をはしごたんに発している奴らばっかだったように思えるが・・・(1)
この(1)はそもそも「印象論」である。事実を測定する基準も何もない感想(ちなみにTB先の記事は自分の記事ではない)。ただ、こういう「印象論」をここで持ち出すと「梯子も叩きもどっちもどっち」という印象ができあがる。これまで一月ほどの間、梯子擁護者がことあるごとに持ち出してきた「相対化」の理屈やその結果としてのループと同じ流れにウンザリ。こちらが反駁したのはその点。で、コメント。
ここで「一人が一人に向ける敵意と多数が一人をターゲットにする敵意を同列に論じても無意味」ということを言うのに、私憤と(『公憤』という言葉は余り一般的ではないので)義憤、という言葉を使った。これはこちらのミス。で、それに対して上に書いた(2)のポイントではなく「義憤かよwwww」的なレスが来る。
正直(1)の記事で、そちらが何をしたかったのか未だに分からない。「どっちもどっちだ」という主張を導き出したいのかそうでないのかも、未だによく分からない。「義」とか「公」という言葉を随分大層に扱っているが、そちらのイメージするような「義」や「公」などというものはこの世に存在するのだろうか。
「私vs公」と述べたんだったらまずどこが「公」か説明しろっての。
そちらが大層な意味づけをしているのでなければ、上で言い直したように私憤・義憤という言葉を「1対1の怒り」と「多対1の怒り」と言い換えても言い。それらの言葉に大した思い入れもないので、「義憤なんて所詮はその程度のもの」だと思っているし、そう言い換えてもこちらの論旨は全く変わらない。
だが「義憤なんて所詮はその程度のものだ」的な考えを「何もしない」ことの言い訳にすると、何一つ手を出すことも活動することもできないニヒリズムを生むだけで、そういうものは「悪い相対主義」だと私は考える。
「私憤と同じかどうか」ってそんなもん説明したとおりに両方私憤だろ。
たとえばこういう考え方だ。
偽善を恐れて何もしない人間は、何もしないこともまた一つの意思表示であり行動であることに目をふさいでいるだけだ。
付け加えて言えば、どちらかといえば公を「背負っちゃった気になってる」人間の方が、「公を背負うとか馬鹿かwwww」と嘲笑してる人間よりマシな人間だと私は考える。なぜなら歴史上前者は世界を良くしたことはあるが、後者が世界を良くしたことなど一度も無いから。前者が後者よりも危険であることも勿論だが、危険でない後者が前者よりマシだとは全く思わない。よって後者の立場から前者の立場を批判する「そちらの理屈自体が無意味」と書いたが、それはそういう意味。
とりあえず、今回はそちらが「両方私憤だろ」と答えてくれたことでようやく話が少しだけ進んで嬉しい。
肌というか、女性キャラの体の描写でいかにもなマンガ・アニメ的デフォルメのきいた体型から理想的なグラビアアイドルのような体つきが主流になってきたような印象はある。
マスコミの過剰反応→愚衆が踊る→短期的な支持率のために政治屋も踊る→医療現場が追い詰められる→愚衆も追い詰められる→マスコミの過剰反応(以下ループ)
その仕事が好きなのか、金が好きなのか、による。金が好きだというなら金とでも寝てろと言って出て行けばいい。仕事が好きなのだとしたら、それを含めて受け容れるかどうか考えるしかない。
蝕まれていくのは自分自身だし、それを止めることができるのも自分だけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080128054032
ああ、あと「互いに傷つけ合う」は何の意味もないから止めた方がいいよ。
距離を置いて、それでも寄る辺となりうるならけちこんしても少々のことじゃ揺るがないだろうね
「我が国のガソリン安い」首相、暫定税率の維持求める : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
一国の宰相としてあんまり物を考えてなさそうに見えるのは何でだろ