もちろんモテたいが、馬鹿にもされたくない。どっちも切実な問題だよ。
というか、馬鹿にして煽る奴がいるから、好きでもない女を落としにかかって遊んで捨てる馬鹿男が増えるんでな。
そういうやつに獲物を何度もかっさらわれて苦い思いをした俺としては、こういう奴らに怒り百倍なんだよ。
実際はそうじゃないんだけどな。
努力が足りないのだからモテないことは自己責任、不遇を嘆く資格はないとおっしゃるのですね。人として当然のことができていれば恋人の一人ぐらいできるはずだ、と。
よろしい。結構。あなた方の言うことが正しいとしましょう。それはそれでかまいません。
ところで話が変わるようで申し訳ありませんが、「学歴差別」についてどう思われますでしょうか。「学歴なんかで人を差別するのは理不尽だ」「高学歴であることと頭の良いことは違う」と皆さんおっしゃいますね。
ですがですね。旧帝大といえども、高校の教科書をきちんと理解していれば合格できるのですよ。それは「ドラゴン桜」が流したデマなんてもんじゃない。私は旧帝大院卒ですからそれは保証します。
とすればですよ、その程度の「努力」をするというのは、高校生として当然のことではなかったのでしょうか?あなた方はその程度の努力を怠った。要するにあなた方は勉強していなかったんです。だったら、それによって差別されても自己責任じゃないんでしょうかねえ?
え?文句おありですか。だって「受験勉強」なんてしょうもないことだっておっしゃったのはあなた方でしょう。「答えのある問題」を解くよりも、人間関係という「答えのない問題」を解くための「コミュニケーション能力」こそが大事なんだって。だとしたら、そんな低レベルのことができていないあなた達は努力が足りない以外のなにものでもないですよねえ?好いた相手の心をつかむなんて難行を成し遂げるだけの「努力」をできるお方が、まさか「受験勉強ごとき」のための労力など労力ともお思いになるとも思えませんがねえ?
というわけで、私はモテ様を尊敬しますから、低学歴モテどもは高学歴様を尊敬しなさい。嫌なら非モテを見下すのをやめなさい。
・・・さて、あと「高学歴モテ」が残った。こいつらだけは煮ても焼いても食えない。こいつらの劣等感も刺激して仕返ししてやりたいんだが、困ったことにこういう奴らだけは、大抵のことは人並み以上にこなしてしまい、劣等感というものにまったく縁がないのだ。しかも、世の中で甘い汁を吸い、一番エラそうなのはこういう奴らだ。どうやったらこいつらに的確に仕返ししてやれるんだ・・・?誰か教えてくれ。
まだ万どころか百にも達してないよ。
やはり差がつくのは肩書きだな。
肩書きがない奴は社会の隅っこで暮らすしかないというのが
マケリサ業界の通説
だから、容姿に金かけるのはやめて
資格を取ったほうが効果絶大だろう
まあ人生で一番効力のある肩書きは言うまでもなく
大学名なのだけどね
後はお飾り
つまりブサメンでもスピリチュアルカウンセラーを名乗れば人気者になれるわけか。
鉄道関連とかはちょくちょくらしき人を見かける気がする
俺もそういう経験あるな。
お金に余裕があると「いつでも買えるし」って考えるから、必要ないものは買わないようになるのかもね。
平伏。
生きていると、知らないことがいろいろでてくるなあ。
自分はなにも世界のことを知らないことに改めてびっくり。
斜めから照らすと、そうか。そうなるのか。
とりあえず、考えてみる。
これらのカバー曲の演奏は、権利者の権利を侵害するフリーライド*2行為であるとされている。演奏を入力する、自分で楽しむ、誰にも聞かせないのであれば、それは違法行為にはならない。(たぶん)だが、誰かに成果を確認して貰うと、それは違法行為になる。人前で歌うなということだ。
公開練習は違法ですネットに限ればいってることは正しい。しかし練習であればネットにあげない限りは合法だ。非営利であれば著作権法38条で著作権が制限されるので合法になる。練習はもちろん非営利活動であるので、著作権を侵害しないことになる。よってネットにあげない限り歌の練習は合法だ。もしかしてこの記事を書いた人間は学校が音楽の練習のためJASRACと契約を結んでると考えているんだろうか?いいかげん非営利である限りは歌を歌うのはネットにあげない限り、自由だというのが広まってくれねーかな。上のような人間は誕生日に歌を歌ったたり、口笛吹いたりしただけでJASRACがくるなんて馬鹿なことを信じてるんだろうな。で、きっとこういうやつは練習してもJASRACに訴えられないのはJASRACが見逃してるからとでも思ってるんだろう。こうした馬鹿なやつらのせいで「非営利で歌を歌っても違法とならないのに、ネットにあげたとたん非営利でも違法となる」という変な状況があるってことが認知されないんだよな。
俺の会社はマーケティングリサーチやってるんだが
見た目は確か5??10%くらいしか
影響を与えないという20年前から不動のデータがあります。
やはり肩書きが全てなんじゃないかな。
なぜそう言い切れる?
議論といっても時間の制限や目的があるミーティングのようなものか、特に目的がない「何々について語る会」のようなものかというので別れる気がする。
前者なら一部の空気読めない人が無駄なおしゃべりをしているときに、議論を戻すような流れを作れば(議論を戻したいと思っていた人たちからすれば)空気を読んだということになる。
逆に後者のように議論といいつつも実際にはただのお喋りという場合には、何について議論するかということよりもとりあえず何かについて議論しているという状態が続くことが重要な場合は、それが途切れなければいいということが優先すると考えられるので、話を無理やり戻そうとして場の空気が盛り下がってしまうと空気が読めないということになるかもしれない。
こうしたことから空気を読むということを考えると、それは会話の目的や参加している人たちの意向を読むということになる。そして元増田は大前提的に「議論とはかくあるべき」みたいなことを考えているようなので、空気を読めないのではなく読もうとしてない、根本的に相手や場のスタイルに合わせようという意識がないのではないかと思う。
それは100%ないわ。