おっぱっぴぃ
あ、確かに変な文章だわ
でも、大嫌いな人が幸せそうな状態を不幸と感じる価値観を許容したとして
不幸を無くすには幸せを無くすしか無いと思う
ただ、これは精神的な面に踏み込んでるので、私としては余り言いたくない
なぜなら、精神的な面での議論は、こう思う人が存在するとして・・・・と言う話になるので
この仮定を許しちゃうと反論するのに悪魔の証明をせざるを得なくなる
つまり、幸せという精神的な状態を定義するのに物質的な指標を使った私が悪いとは思う
で、弁解しておくと
http://anond.hatelabo.jp/20071013003057
不幸になっちゃいけないことはないけど
不幸より幸せの方がいいだろ?誰しも。
キミ不幸になりたいのかい?
そもそも話の発端の「30になったから結婚できない」って人もそれで不幸になるのが嫌だから言ってるんだし。
ていうか例えば不幸を積極的に望むなら、その人にとってはその「一般的に不幸」な状態が「幸せ」というだけじゃないのか?
おまえにかけるカネなどない!
もう既に思想統制だとは思うけれど
勝手にイラクいって拉致されんな!!助けるのに金かかるだろ!!
とかさ。
いや↑の例それぞれは、なんつーか、俺も同意するけどさ。
でも、こういう思考ってちょいと危なくないか?と最近思う。
電車で自殺、とか来たときに、真っ先に「ハァ?!遅れるだろ電車ふざけんな」とか思ったり
イラクのアレとか、「助けるのに俺らの税金が使われる!!」とか
とかそういう「俺らの損」みたいなところに真っ先に視点がいくあたりがさ。
いや↑の例くらいまでなら、いいと思うけど、
でもこの考えがどんどん浸透していって、どんどん当たり前のことになっていったら、
なんだか凄く怖い事になりそうで……
何をやるにも「他人に迷惑が」みたいな縛りが(ていうかもうかかってる?)かかりそうっていうか
ぶっちゃけ他人に迷惑かけないなんて有り得ないわけでさ……
程度問題なんだろうけど、でもこのままどんどんこの思考が進んでいったらその「許される程度」もどんどん下がっていってそのうち……みたいな
ちょっと怖いんだよね。人命がかかってる話に、真っ先に、
「金がかかるだろ」
的思考が出てくるところが。
うーん。
ある悲惨な事件が起きる。被害者は某であり加害者は某である、ということになる。長い時間が経つ。加害者とされた者も被害者とされた者も、もう既に故人だ。あるいはひどく年老いている。記憶は薄れつつある。そこで突然、あの悲惨な事件について言われてきた事は、全て嘘だったのだ、という者達があらわれる。皆騙されていた。あるいは自分をごまかしていた。記憶さえも捏造したのかもしれない。加害者は加害者ではなかった。被害者は被害者ではなかった。事件は実の所悲惨でさえなかった。そうでないと言うなら物証を挙げて証明したまえ、と彼等は言う。だが既に物証は散逸し、証言は曖昧になっている。記憶をただせ、という彼等は正しいのかもしれない。だが彼等こそが記憶を捏造しようとしてるのかもしれない。誰に区別できるだろう。私達は忘れっぽく、間違いやすく、記録は失われやすい。思い出せるのは嘆き訴える長い声だけだ。だがそれは誰の声だ。
いやお前のいいたい事は分かる。
その通りだと思う。
大体日本人世界で一番長生きのくせに一歳程度でグダグダいいすぎヨ(社会も個人も)
アメ公どもを見てみるべきヨ
はっきりいって精神年齢的には20も50もたいして変わらん。
そのくらいおおざっぱになるべきだ。
皆がそうやって神経質になるから周りの奴も神経質になって…というあくどいループ…
大体周りの奴がそうやって周辺に影響されまくりなのも日本の悪い癖だけど
どーでもいいじゃん!
結婚?!そのうちできるさ!!!!
できなくったってべつに大丈夫さ!!!!
ってくらいの気持ちでいろってーの