マルコはなぁ。
思考力(ってなんだろうね?)や文才はあるんだけど、いささか遊びすぎだよねぇ。
でもきっと現実にはいないんだろうなぁ。
手に負えない荒らしに対し、荒らしている人間を萌えキャラ化するという対処法がある。
「スルー」と同等の効果があり、なおかつ「スルー」よりも容易。
つまりは、マルコが嫌いなら「奴はツンデレなんだ」と萌えキャラ化してしまうしかないんだよなぁ。
それが「罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する」ということなんだろう。
いや、容認してないけど。
Marcoたん萌えー。
まぁ、そらそうなんだけど。
ただ、そこまで主張して話し合って分かり合う必要もないような、取るに足らない小さいことってあるやん?
そういうのってどっちかが妥協するしかないじゃん。
で、長年のうちにどっちかに「常に自分のほうが妥協してる」感が蓄積していくと、だんだん嫌になるんだよな。
(下手すると、お互いに自分のほうがガマンしてる!とか思ってたりするし)
例えば電気のつけ方や扉の開け閉めや物の配置とか、直接実害はないんだけどなんか自分のやり方じゃないと気持ち悪いというたぐいの物事。
喧嘩したりじっくり話し合うほど大した事じゃないけど、なんかヤダナって程度の小さい違和感。
そういうのが溜まっていくのって、修復が難しくない?
俺だけならいいけど。
もう姿を見なくなって2年くらい経つうちのテレビのリモコン、お前んちに遊びにいってない?
その気持ちはとてもよくわかるぞ。彼氏の方だけど。
単純に言ってしまえば、彼氏にとって節電することのメリット(電気代や環境問題)がデメリット(めんどくさい)を上回るものではない。それだけ。別に節電するのが嫌だとかいうわけではない。切らない理由を延々と述べるのはたぶん「めんどくさい」という理由では納得させられないからであって、その理由に意味は無い。だから節電したいのなら話は簡単。めんどくさくないようにすればいい。理想的な形としては自動化。
アクションが増えるというのはかなり痛い。例えば TV をつけるのに「コンセントのところまで移動」して「コンセントのスイッチを入れる」や「TV 本体のところまで移動」して「主電源を入れる」など。
逆にアクションが増えないのであれば大きな問題にはならない「部屋を出るついでに(部屋にあるすべての家電製品に繋がる)スイッチを切る」など。ただしスイッチはせいぜい2個までで、部屋の出口(ドア)から手を伸ばすだけで届く位置にあること。照明から家電製品まで全てを1つのスイッチでOn/Offできれば問題ないだろう。
ちなみに俺は TV の主電源を切るが、その理由はリモコンを探す方がめんどくさいから。
ダメ人間との指摘は不要だ。自覚はあるが直すのがめんどくさい。
http://anond.hatelabo.jp/20070611184241
そんなことですぐに別れてたら、鏡と結婚するしかなさそうな。
折り合いをつけるためにどうやってお互いの違いを分かり合って
上手くやっていくかという試行錯誤の過程が一切すっ飛ばされてる。
大体なんでそこで「変化させるのが嫌な人」って判断に行くのか理解に苦しむ。
その台詞の裏に、待機電力に対応するのは絶対の正義で、やらない理由は何も無くて、それを嫌がる=単に変化が嫌なのだろう、というエコ気取りの連中がよくやる強烈な押し付けが見えてうんざりもする。
テレビの主電源にせよルータの電源にせよ(ぶっちゃけルータ電源切るとか俺なんかから見ても噴飯モノだが)、その待機電力とやらの話に彼氏が自身で対応を取るほどの重きを置いてないってだけじゃないの。そりゃ。んでもってそういう価値観的相違を語ってすり合わせることを、一方的に「面倒」とか言っちゃうアナタもだいぶ素敵。「すり合わせるようなことじゃない。誰だってすぐに理解して実行すべき正義の真実なんだ」という思い込みでもあるんすかね。そりゃさらに素敵。
彼らは土日でも攻めてくるよーな。
まじでー。じゃぁ根本的に来ていないのかな。平日ですら来てないのか・・・。
確かにめんどくさいところに住んでるしな。
めんどくさくなくていいぜ。
近い人間ならさらっと何かの機会に補正を入れれば済むこと。
「他人」と一括で考えない方が楽よ。「他人にどう思われても平気な性格」なんじゃなくて、ちゃんと対応する距離感を掴み、対応を可変させるスキル。それは一定以遠の相手を黙殺「できる」、それを可能とする自信ある自己/自己周辺を身に付けるということでもある。
わかれればいいんじゃない?
根本的な部分で共感を得られないのは致命的だと思う。
そういう小さなほころびから違和感が拡大していくんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070611180923
うちには冷蔵庫とか電子レンジとか冷暖房器具とかの電化製品がない(という話をすると「信じられない」って反応される)んだけど、もうこの不便さに慣れてしまっているから別に困らない。だからといって持ってる人に「冷蔵庫とかエアコンとか必要?電気代かさむしいらなくない?」とは言わない。だってこれ持ってる人からしたら便利すぎて手放せない器具でしょ?言ったって無駄。
テレビの主電源はつけっぱなしにしてるけど、リモコンがあるのにテレビつけるためにわざわざテレビに寄らなきゃいけないなんて面倒すぎて死ぬ。ルータの電源とかいちいち切るなんて意味わかんない。
暑いの寒いの我慢するだけなら部屋でじっとしてるだけでいいけど、テレビの電源つけにいったりルータの電源つけにいったりするのはいちいち動かなきゃじゃん。
それ言い出すと無限ループなんだよね。
対人関係をなぜかゼロサムゲームとして解釈しちゃう人っているよね。
金銭的取引が関係してくる場合には特に。
http://anond.hatelabo.jp/20070611170030
「Win-Winの関係」って言葉を使う人いるでしょ。経験上広告屋に圧倒的に多い気がするが、他のところにもいるかもしらん。
聞くたびに考えるわけだ。商売にとって双方が儲かるというのは、最低限の常識というか基本中の基本ではないのかと。高値でも、付加価値のっけてさばく自信があるから買う。接待も初回無料もiTunesも越後屋の「傘貸します」もそうだが、仮に取引の片方が短期的に損しても、その取引が長期的な利益に繋がる見通しがあるのは、商売の必要条件だろうと。
その常識をわざわざ片仮名でウィンウィン言って強調しなきゃならんて、双方が利益を得る取引は、おまえにとってそんなにレアなのか?
おまえの普段の仕事は客に損させることなのか?
それとも俺が間違っていて、世の中のビジネスマンは、爬虫類が獲物とるみたくゼロサムゲームをやってるのか?
そんな考えを持っているとしたらおまえの提案なんて金輪際聞きたくないんだが。